時にその妻は彼に言った、「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」。
しかしヨブは彼女に言った、「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」。すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった。
「偉大な戒めー主を愛する」(英文)1988年4月、エズラ・タフト・ベンソン大菅長
神を第一に考えれば、ほかのすべてのものは正しい位置に落ち着くか、または私たちの生活の中から消えていくかのどちらかです。主の愛は感情の欲求や時間の要求、興味、物事の優先順位をコントロールします。
私たちは生活の中で、神をすべてのものの頭とすべきです。
ヨセフはエジプトで何を頭としたでしょうか。神でしょうか、仕事でしょうか、それともポテパルの妻でしょうか。その誘惑に対してヨセフは答えました。「どうしてわたしはこの大悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう。」(創世39:9)
ヨセフは神を第一に考えたために投獄されました。同じような選択を迫られたら、私たちはまず何を選ぶでしょうか。安全や平安、情欲、富、人の誉れなどを押しのけて、神を頭に置くことができるでしょうか。
ヨセフはこの選択に迫られたとき、雇い主の妻ではなく神に喜んでいただくことを考えました。私たちも選択しなければならないとき、上司や教師、隣人、恋人ではなく、神に喜んでいただく方を選ぶでしょうか。
主は言われました。「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。」(マタイ10:37)だれにとっても最も大きな試しは、愛し尊敬する人、特に家族を喜ばせるか、神を喜ばせるかのどちらかを選ぶように迫られたときです。
ニーファイは父が主に少しの間不平をこぼしたときにこの試しに遭いましたが、賢明に対処しました(1ニーファイ16:18-25参照)。妻から神をのろって死ぬように言われたヨブも、主に対して誠実さを保つことができました(ヨブ2:9-10参照)。
