そしてその時代の者もまたことごとくその先祖たちのもとにあつめられた。その後ほかの時代が起ったが、これは主を知らず、また主がイスラエルのために行われたわざをも知らなかった。
「日々の回復」2021年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会
良きにつけ悪しきにつけ,霊的な生活面での変化は一歩ずつ徐々に起こります。マックス・プランク研究所の被験者たちのように,いつ道を外れたのか,本人には分からない場合もあるのです。まっすぐに歩いているという強い自信があったとしても,目印になるものがなければ,道をそれることは避けられません。そして,思ってもみなかった場所に行ってしまうのです。
これは,個人も,社会も,そして国家もそうです。聖文には,このような例がたくさん出てきます。
士師記には,ヨシュアの死後「ほかの時代が起ったが,これは主を知らず,また主がイスラエルのために行われたわざをも知らなかった」と書かれています。(士師2:10)
イスラエルの子らはモーセやヨシュアが生きていたころに驚くべき天の力の介在や訪れ,助け,奇跡的な勝利を見てきたにもかかわらず,人々は次の世代に移る前に「道」を捨てて自分たちの望む道を歩み始めたのです。当然,自分たちの行いの代価を払う時は間もなくやって来ました。
このような背教は,数世代かかって起こることもあれば,ほんの数年または数か月で起こることもあります。しかし,背教の可能性はだれにでもあります。過去にどんなに強烈な霊的経験をしていようとも,人間であるわたしたちは道をそれることがあるのです。アダムの時代から今に至るまで,そうでした。
しかし,すべてが失われるわけではありません。さまよい歩いてしまった被験者たちと違い,わたしたちには頼りになる目印があり,それを使って進路を確認することができるのです。
では,その目印とは何でしょうか。
もちろんこれには,日々の祈りや聖文について深く考えること,『わたしに従ってきなさい』のような霊感されたツールの活用が含まれます。わたしたちは謙虚で正直な気持ちになって,神の御座に日々近づくことができるのです。自分のしたことについて深く考え,一日を振り返ることができます。自分の意志と願いを,神のそれと照らし合わせるのです。もし道を外れていたら,神に願って元に戻れるよう助けていただき,さらに良くなろうと決意します。
