そこでパロはそのすべての民に命じて言った、「ヘブルびとに男の子が生れたならば、みなナイル川に投げこめ。しかし女の子はみな生かしておけ」。
「子供」2011年10月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
「信仰を忘れたのですか」というキンボール長老の鋭い質問について聖句を読んでみましょう。
アダムとエバが最初の子を産んだのはエデンの園ではありませんでした。園を立ち去った後,「アダム〔とエバ〕は……地を耕し……〔た〕。……アダムはその妻を知り,彼女は……息子,娘たちを産んだ。そして〔信仰を働かせ〕,彼らは増えて,地を満たし始めた。」(モーセ5:1,2)
リーハイとサライアが信仰を働かせてヤコブとヨセフをもうけたのは,金や銀,貴重品のあるエルサレムの家ではありませんでした。荒れ野で産んだのです。リーハイは息子ヤコブについて「荒れ野で艱難に遭っていたときに最初に生まれた子」(2ニーファイ2:1)と述べました。ヨセフについては,「苦難に遭った荒れ野で生まれ……〔わたしたち〕が大いに嘆き苦しんでいたころに,あなたの母はあなたを産んだ」と言っています。(2ニーファイ3:1)
出エジプト記には,ある男女が結婚し,信仰を働かせて男の子をもうけたと記されています。家の戸にその子の誕生を知らせるはり紙はありませんでした。イスラエルの民に生まれた男の子は皆「ナイル川に投げこめ」(出エジプト1:22)とパロが命じていたので,生まれた子を隠したのです。話の続きは御存じですね。その子はパピルスで編んだかごに入れられてナイル川に置かれ,姉がそれを見守りました。そしてパロの娘がその子を見つけ,実の母親がうばとしてその子を育てました。その子は成長するとパロの娘のところに連れて行かれ,彼女の子供となり,モーセと呼ばれました。
子供の誕生にまつわる話の中で最も愛されている話には,きれいな子供部屋も高級なベビーベッドも出てきません。世の救い主にはかいばおけしかありませんでした。
「もっともよい時代〔にも〕もっとも悪い時代」(チャールズ・ディケンズ,A Tale of Two Cities(Signet Classic,1977年)13)にも,神の真の聖徒たちは信仰を働かせ,「増えよ,地に満ちよ,という……神の戒め」(『リアホナ』2010年11月号,129)を忘れたり,退けたり,ないがしろにしたりすることはありませんでした。何人の子供をいつもうけるかは夫婦と主の間で決められるべきことであると理解したうえで,わたしたちは信仰をもって前進するのです。このことに関して,互いを裁くべきではありません。
