わたしに従ってきなさい | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アブラハム1:2

また、わたしのためにさらに大いなる幸福と平安と安息があるのを知り、わたしは先祖の祝福と、わたしが聖任されるべきそれらの祝福をつかさどる権利とを得ようと努めた。わたしは自分自身が義に従う者であったので、また、多くの知識を持つ者となり、義に従うさらに大いなる者となることを望み、もっと多くの知識を持ち、多くの国民の先祖、平和の君となることを望み、また数々の指示を受け、神の戒めを守ることを望んだので、先祖に属する権利を持つ正当な相続人、大祭司となった。

 

「わたしたちの『心の望みに応じて』」(英文)1996年10月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会

現在わたしたちが抱いている望みの幾つかは、小さくしていって、ゆくゆくは消し去ってしまう必要があります。例えば、「罪びとをうらやんではならない」という勧告は、悲しいほど心の不安定な人に向けられています箴言23:17。ここでもまた、昼に夜が続くように、わたしたちは望みの結果について自分に正直でなければなりません。

 

同様に、人生のいわゆる不運に直面したとき、「生まれながらの人」は自己憐憫に浸りたいと願いますが、この望みも捨てるべきです。しかし、悪い望みを捨てることは一部にすぎません。例えば、より良い息子、父親、母親になりたいという望みが今弱ければ、強くする必要があります。ちょうど、アブラハムが満たされない思いを経験して、さらに大いなる知識と幸福を望んだのと同じですアブラハム1:2参照)

 

憐れみと忍耐をお持ちの主は、いつでも助けをする用意ができておられます。主は「わたしは終日、腕を伸べている」2ニーファイ28:32と言われました。もし主の御手をつかめなければ、それはわたしたちの責任です。同じように、わたしたち自身が手を差し伸べて人間関係の改善を望むときも、忍耐が求められるのが普通です。時には、はりねずみをなでるような状況もあるでしょう。たとえそうでも、皆さんが受ける苦痛は、友情の手を差し伸べようとしたことの証でもあるのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)