主はノアに言われた。「わたしの御霊はいつでも人を励ますわけではない。人はすべての肉なるものが死ぬことを知るであろう。それでも、人の年は百二十年である。もし人々が悔い改めなければ、わたしは彼らに洪水を送ろう。」
「言い尽くせない賜物」2003年、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会
教義と聖約で,主は聖霊の賜物を「言い尽くせない賜物」と呼んでおられます。(教義と聖約121:26)これこそ,証と霊的な賜物の源です。思いを照らし,霊に喜びを満たし,(教義と聖約11:13参照)すべてのことを教え,忘れた事柄を思い起こさせてくれます。(ヨハネ14:26参照)聖霊はまた,「なすべきことをすべて……示〔し〕」てくださいます。(2ニーファイ32:5)これに加えて,ジェームズ・E・ファウスト副管長は,聖霊の賜物は「この不安定な世にあって,ほかの何よりも心の平安を保証してくれる」と語りました。(「聖霊の賜—正しい羅針盤」『聖徒の道』1989年7月号,35参照)
ゴードン・B・ヒンクレー大管長は,「神会の御一方から導きを得られるとは,何と大きな祝福でしょうか」と教えています。(Teachings of Gordon B. Hinckley (1997年),259)このことの意味を考えてください。神会に属する御方から導きを受ける能力と権利です。無限の知恵,無限の知識,無限の力と交われるのです。
すべての賜物と同じようにこの賜物も,受けた後,活用しなければなりません。神権者の手が頭に置かれ,皆さんを教会の会員として確認したとき,「聖霊を受けなさい」という言葉を聞いたことでしょう。これは聖霊が無条件に,常に伴侶となるという意味ではありません。聖文には,主の御霊は「ながく人の中にとどまらない」という警告があります。(創世6:3。2ニーファイ26:11;教義と聖約1:33;モーセ8:17も参照)教会員として確認されるとき,聖霊を伴侶とする「権利」を与えられます。しかし,この権利は従順とふさわしさによって保っていかなければなりません。この賜物をおろそかにしてはなりません。
