彼の妻エバは、これらすべてのことを聞き、喜びながら言った。『わたしたちの背きがなかったならば、わたしたちは決して子孫を持つことはなく、また善悪も、贖いの喜びも、神がすべての従順な者に与えてくださる永遠の命も、決して知ることはなかったでしょう。』
「信仰を行使することを最優先とする」2014年10月、リチャード・G・スコット、十二使徒定員会
アダムとエバがエデンの園にいたとき,日々の生活に必要なものは全て十分に与えられていました。困難な状態や難しい問題はなく,苦しみもありませんでした。不幸な思いをしたことがまったくなかったので,幸せになれることを知りませんでした。動揺したことが一度もなかったため,平安を感じることができませんでした。
後にアダムとエバは,善悪を知る木の実を食べてはならないという命令に背いたため,罪のない状態ではなくなりました。事物には反対のものがあるという原則を,身をもって知るようになったのです。健康を損なう病を経験し,喜びとともに悲しみも味わうようになりました。
アダムとエバが禁断の実を食べたために,善悪の知識が世にもたらされました。彼らがこの選択をしたことで,人はこの地上に来て試されるようになりました。(モーセ5:11参照)わたしたちには選択の自由という祝福が与えられました。物事を自分で決めることができるようになり,決めたことに対して責任を負うようになったのです。この「堕落」の結果,人は人生で幸せと悲しみの両方を味わうことができるようになりました。動揺を感じるようになったので,平安を理解することができるようになりました。
天の御父は,このような変化が人に起こることを御存じでした。これは全て,御父の完全な幸福の計画に含まれているのです。御父は,完全に従順な御子であり救い主であられるイエス・キリストの生命と,主の贖罪によって,人が死すべき世で経験するあらゆる困難を克服する道を備えてくださいました。
