おお、神よ、あなたはどこにおられるのですか。あなたの隠れ場を覆う大幕はどこにあるのですか。
「大幕はどこにあるのですか」2012年10月、ヘンリー・B・アイリング、大管長会
預言者ジョセフ・スミスは,リバティーの監獄で苦痛の最中にこう叫びました。「おお,神よ,あなたはどこにおられるのですか。あなたの隠れ場を覆う大幕はどこにあるのですか。」 (教義と聖約121:1)わたしたちの多くは,苦難のときに神を遠く感じることがあります。しかし,一見すると天の助けを妨げている大幕ですが,神を覆うことはありません。大幕が覆うのは多くの場合,わたしたちの方なのです。神は決してお隠れになりませんが,わたしたちは時折神から隠れることがあります。わたしたちは動機という大幕に覆われてしまうのです。その大幕はわたしたちを神から引き離し,神が遠くにおられ,近づく手立てがないと思いこませます。「みこころが行われますように」(マタイ6:10;ルカ11:2;3ニーファイ13:10;エテル12:29;教義と聖約109:44;モーセ4:2参照)というよりも自分自身の望みを,という気持ちでいると,神を妨げる大幕が生じます。神はいつでもわたしたちを見たり,わたしたちと交わったりすることがおできになりますが,わたしたちは神の御心に快く耳を傾けず,神が定められた時に従わないことがあります。
神の前で幼子のようになるにつれ,神を遠くに感じる気持ちは次第に薄らいでいきます。ほかの人の意見が自分の動機に極めて大きな影響を及ぼす世の中にあって,それは容易なことではありません。しかし,幼子のようになれば真理,すなわち,神はわたしたちの近くにおられ,わたしたちを御存じであり,忠実な神の子供たちから御自身を隠されることは決してないという真理に気づくことができます。
わたしたちを神と結びつける純真さと謙遜さの持つ力について,3歳の孫娘が教えてくれました。この孫は家族とユタ州ブリガムシティー神殿のオープンハウスに行きました。その美しい建物のある部屋の中で,あたりを見回しこう尋ねました。「ママ,イエス様はどこ。」母親は,神殿でイエス様に会うことはないけれどもその影響力を心に感じることはできると説明しました。エライザは母親の言葉についてよく考えてから満足げにこう言いました。「あら,イエス様はだれかを助けにおでかけしているのね。」
