神より与えられた神の律法にかなった奉献によって自分の受け継ぎを得ない者が、神の民とともにその名を登録されることは、神の御心と戒めに反する。神は報復と焼き払いの日に対してその民を備えるために、彼らに什分の一を納めさせようと、その律法を与えられたのである。
「今こそ用意をする時期である」2005年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会
今こそ,用意をする時です。でも,どのように始めればよいのでしょうか。まずは悔い改めです。聖文にはこう書かれています。「自分たちの試しの生涯に悪いことをしようとしたならば,あなたがたは神の裁きの座の前で清くない者とされるであろう。清くない者は神とともに住むことができない……。」(1ニーファイ10:21) 神は次の簡単な規則をお与えになりました。「あなたがたはわたしの律法に従わなければ,この栄光に達することができない。」(教義と聖約132:21。教義と聖約88:36-39も参照)
今こそ,自分の体を敬い,大切にする時です。この肉体は,霊が永遠にわたって宿る宮なのです。肉体の欲望は,霊の意志で制御しなければなりません。神の御心に添わないものをすべて拒む必要があります。(モロナイ1 0:32 。2ニーファイ2:21;モルモン9:28も参照) わたしたちはすべての悪を捨て,すべての善を固く守らなければなら〔ず〕,……神の口から出る一つ一つの言葉によって生きなければならない」(教義と聖約98:11) のです。
世界中で恐ろしい災害が頻繁に起こっているために,神の存在を疑う人もいます。しかし実際,神はわたしたちを助けようとされているのです。こうおっしゃいました。「わたしの僕たちの口により,また天使たちの働きにより,またわたし自身の声により,また雷……,暴風雨……,地震と雹を伴う大嵐おおあらし……,飢饉ききんとあらゆる疫病の声により,……わたしはあなたがたを幾度呼び,永遠の救いをもってあなたがたを幾度救おうとしてきたことか。しかし,あなたがたは応じようとしなかった。」(教義と聖約43:25)
神は人が永遠の命を得ることを望んでおられます。それには聖約に従い,自分自身と家族と先祖のために神殿で儀式を受けなければなりません。家族や先祖なしには,完全な者とされることはないのです。(教義と聖約128:15,18参照)望むだけでは,神のみもとに戻れません。その祝福が基づく律法に従う必要があります。(教義と聖約130:20-21参照)
神の計画は公正です。「この福音を知らずに死んだ者で,もしとどまることを許されていたらそれを受け入れたであろう者〔でさえも〕皆,神の日の栄えの王国を受け継ぐ者と」なります。(教義と聖約137:7) 神の計画は憐あわれみ深いものでもあります。神は,「すべての人をその行いに応じて,またその心の望みに応じて」裁かれるのです。(教義と聖約137:9)
今こそ,神の民に自分の名を連ねる時です。これは什分の一を払うことで行います。神は民を祝福するために什分の一の律法を定められました。(マラキ3:10;3ニーファイ24:10参照。什分の一はまた,将来の報復と焼き払いの日に対してその民を備えるものである(教義と聖約85:3参照)) ネルソン姉妹はこの教えを繰り返し家族に教えました。(スペンサー・J・コンディー,Russell M. Nelson: Father,Surgeon,Apostle(2003年),104参照)今こそ,神の目標を自分の目標とする時です。神の業であり,栄光である「人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと」(モーセ1:39。モーセ6:59;ジョセフ・スミス訳創世6:62(英文)も参照) を自分の目標とすることができるのです。神殿結婚について救い主はこう宣言なさいました。「もしある男がわたしの律法であるわたしの言葉によって,また新しくかつ永遠の聖約によって妻をめと〔るならば〕,……王位,王国,公国,および力,主権,……〔そして〕すべての事柄について昇栄と栄光を受けるであろう。」(教義と聖約132:19。教義と聖約75:5;101:65も参照) 主が愛されたように愛し,祈られたように祈り,主が堪え忍ばれたように最後まで堪え忍ぶことで,主の模範に倣ならう必要があります。(2ニーファイ33:4;3ニーファイ15:9;27:21-22;教義と聖約14:7参照)
