苦難の中で忍耐強くあり、ののしる者にののしり返してはならない。柔和に家を治め、また確固としていなさい。
あなたはどこでもわたしの望む所に行きなさい。あなたのなすべきことと行くべき所は、慰め主によってあなたに伝えられるであろう。
最後まで忠実でありなさい。見よ、わたしはあなたとともにいる。これらの言葉は人から出ているものではなく、人々から出ているものでもなく、父の御心によって、わたし、すなわちあなたの贖い主であるイエス・キリストから出ているものである。アーメン。
「神が授けて下さった信仰」(英文)1983年10月、ゴードン・B・ヒンクレー、大管長会
どんなに大きな障害も、どんなに難しいチャレンジも、信仰があれば克服することができます。私たちは、福音の標準が脅かされ、嘲笑され、神聖な事柄があざけられる時代に生きています。こうした中で、世の中に妥協すべきでしょうか?それとも、不作法な言葉を浴びせてくる人々に反撃すべきでしょうか?
今より問題の多かった教会初期の時代に、主はトーマス・B・マーシュに次のように言われました。
「苦難を耐え忍び、罵る者に罵り返すことなかれ。柔和をもって家を治め、然も毅然たれ。いずこにてもわが意のある所に赴くべし。されば、われ汝の為すべき事、行くべき所については『慰め主』によりて汝に告げん。終わりまで忠実なれ。さらば見よ、われ汝と共に在り。これらの言は人間の言にあらず、また世の人々より出でし言にあらずして、われより出でし言なり。すなわち父の御意により、イエス・キリスト、汝の贖い主より出でし言なり。」(教義と聖約31:9、11、13)
救い主は弟子たちにこう言われました。 「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ5:48)
これは私たちに与えられた戒めです。しかし、残念ながら私たちはまだ完全ではありません。前途はまだ長いのです。私たちは信仰を養い、生活を改善していかなければなりません。まず、弱点を直すことから始めて、徐々に、そして絶えず自分を変えていき、理想的な状態に近づいていくのです。
信仰があれば、私たちをつまずかせようとする悲観的な要素を乗り越えることができます。また、努力すれば、堕落や邪悪な行為へと導く誘惑に打ち勝つ力を養うことができます。
信仰があれば、欲望を抑えることもできます。
信仰が冷えきってしまった人々に手を差し伸べて、私たちの信仰で温めてあげることもできるのです。
