人は謙遜であり、愛に満ち、信仰と希望と慈愛を持ち、また自分に任せられたすべてのことについて自制しなければ、だれもこの業を助けることはできない。
「神権の喜び」2012年10月ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会
神権やそれに付随するいかなる責任も,金銭で買ったり,自在に操ったりできません。神権の力を行使するに当たって,地位や富,勢力によって影響を受けたり,左右されたり,強制されたりすることもありません。それは天の律法に基づいて働く霊的な力であり,全人類の偉大な天の御父がその源です。その力は独善ではなく,義の原則に従ってしか制御することも,運用することもできません。(教義と聖約121:36参照)
キリストは地上におけるあらゆる神権の権能と力の真の源です。(ヘブル5:4-10;教義と聖約107:3参照)わたしたちが手助けする特権にあずかっているのは主の業です。「人は謙遜であり,愛に満ち,信仰と希望と慈愛を持ち,また自分に任せられたすべてのことについて自制しなければ,だれもこの業を助けることはできない。」(教義と聖約12:8)
わたしたちは個人的な利益のために行動しているわけではありません。むしろ,周りの人に仕え,彼らを高めようとしています。強制ではなく,「説得,……寛容……温厚と柔和,偽りのない愛」(教義と聖約121:41)によって導きます。
全能の神の神権は,先祖がだれか,どれほど貧しい境遇に置かれていか,また地球のどの地域に住んでいるかにかかわらず,世界中のふさわしい男性に与えられます。金銭もこの世のどんな代価をも払うことなく与えられます。古代の預言者イザヤの言葉を言い換えれば,のどがかわいているすべての人は水のある所に来て,金銭を支払わずに飲むことができるということです。(イザヤ55:1参照)
救い主イエス・キリストの永遠で計り知れない贖いのおかげで,神の神権は,たとえ過ちを犯したり,過去にふさわしくない時期があったりしても,受けることができます。霊的に精錬され清められる悔い改めの過程を経ることで,「立って光を放」(教義と聖約115:5)つことができるのです。赦しをもたらす,救い主,贖い主の限りない愛によって,目を上げ,清くふさわしくなり,義にかなった気高い神の息子となって,全能の神の最も神聖な神権を持つのにふさわしい者となることができるのです。
