まことに、だれでも鎌を入れて刈り取ろうとする者は、神から召されている。
「わたしたちの間におられる神」2021年4月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会
主イエス・キリストは,再び世に語りかけられました。
主は何と言われたでしょうか。
わたしたちを祝福するために,多くの御言葉が教義と聖約に記録されています。それを読んで研究したいと思う世の人はだれでもそれを得られます。今日わたしたちにとって,これらの言葉は何と貴重なことでしょう。
救い主が福音の核となる次のメッセージを再び教えておられることを知っても驚くには及びません。「あなたは心を尽くし,勢力と思いと力を尽くして,主なるあなたの神を愛さなければならない。また,イエス・キリストの名によって,神に仕えなければならない。」(教義と聖約59:5)救い主はわたしたちに,神を求め,(教義と聖約88:62-63参照)神の僕である預言者たちに明らかにされた教えに従って生活するように促しておられます。(教義と聖約14:7;41:5参照)
互いに愛し合うように,(教義と聖約12:8;59:6参照)そして「すべての人に対して……慈愛で満たされる」ように教えておられます。(教義と聖約121:45。ほかの人々の世話をするプロセスによって,富んでいる人と貧しい人の両者が人格を磨く方向に向かうことができ,両者ともに昇栄に導かれます(教義と聖約104:15-18参照))
主の御手となり,善を行うようにと勧めておられます。(教義と聖約81:5参照)「わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく,行いと真実とをもって愛し合おうではないか。」(1ヨハネ3:18)
主からの大いなる務めを心に留めるよう,主はわたしたちに求めておられます。 それは愛すること,分かち合うこと,すべての人を主の福音と教会に招くことです。(福音を宣べ伝える資格は何でしょうか。救い主はこう答えておられます。「だれでも鎌を入れて刈り取ろうとする者は,神から召されている。」(教義と聖約11:4)結局のところ,神の言葉を宣言する業で資格ありとされるのは,わたしたちの望みなのです(教義と聖約4:3参照))
聖なる神殿を建て,そこに入って奉仕するように命じておられます。(教義と聖約124:39参照)
主の弟子となるように教えておられます。個人の権力や富,評価,地位を追い求めることに心を向けるべきではありません。「この世のものを捨てて,この世に勝る世のものを求め」るようにと,主は教えておられます。(教義と聖約25:10)
喜び,啓発,平安,真理,幸福,(モーサヤ16:11参照)また不死不滅と永遠の命の約束を求めるように促しておられます。(教義と聖約82:9参照)
これをさらに一歩進めましょう。今日,イエスが皆さんのワードか支部,あるいは家庭に来られたとしましょう。それはどのような感じでしょうか。
