教義と聖約1:3 欺かれてはならない | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約1:3

また、背く者は深い悲しみに刺し貫かれる。彼らの罪悪が屋根の上で語られ、彼らの隠れた行いが暴かれるからである。

 

「欺かれてはならない」2004年10月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会

実際,周囲を見渡すと欺く者は大勢います。犯した罪を認めない著名な官僚,自分の試合の勝ち負けをかけ事の対象にしたり,勝つために薬物を使用したりしながらその事実を否定する有名なスポーツ選手。有名人でなくとも,決して表面に出ないところで悪事を行っている人もいます。だれにも分からないと思っているのです。しかし,神はすべて御存じです。神は,「彼らの罪悪が屋根の上で語られ,彼らの隠れた行いが暴かれる」時が来ると繰り返し警告してこられました教義と聖約1:3モルモン5:8教義と聖約38:7も参照)

 

使徒パウロは教えました。「欺かれてはならない,神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを,刈り取ることになる。すなわち,自分の肉にまく者は,肉から滅びを刈り取り,霊にまく者は,霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。」(欽定訳ガラテヤ6:7-8から和訳)

 

言い換えると,麻薬やポルノグラフィーなど,パウロが言う「肉にまく」邪悪な行いをやめなければ,永遠の律法に従って滅びを刈り取ることになり,永遠の命は得られないということです。これが神の正義です。憐れみは正義から何も奪うことはできません。永遠の律法を破るならば,その律法が定める罰が下されます。罰の中には救い主の贖いによって取り除かれるものもありますが,罪人が憐れみによる清めを受けるためには,悔い改める以外に方法はありませんアルマ42:22-25参照)。罪によっては,悔い改めの過程が長く,つらいものになることもあります。しかし,「悔い改めを生じる信仰を少しも働かせない人は,正義を要求するすべての律法にこたえなければな〔りません。〕したがって,偉大な永遠の贖いの計画は,悔い改めを生じる信仰のある人のためにだけ備えられている」のですアルマ34:16

 

幸いなことに,悔い改めは可能です。ただし,重大な罪については,多くの場合,監督に告白し,愛に満ちた助けを求める必要があります。そのほかの罪については,主と傷つけた相手に告白するだけで十分です。ほとんどのうそはこの部類に入ります。人を欺いたことのある人は,今すぐ重荷を下ろす決心をしてください。誤りを正し,人生を立派に歩み続けるのです。