さて、第九十二年の初めには、見よ、預言者たちの預言がさらに完全に成就し始めた。民の中にさらに大きなしるしと、さらに大きな奇跡が行われ始めたからである。
しかし、レーマン人サムエルによって述べられた言葉の成就する時は過ぎ去ったと言い出す者たちが何人かいた。
彼らは同胞のことを喜び始めて、「見よ、時は過ぎ去り、サムエルの言葉は成就していない。だから、あなたがたがこのことを喜び、信じたのは、むなしいことだった」と言った。
そして彼らは、国中にひどい騒動を起こした。そこで、信じていた人々は、述べられていることが何らかの理由で起こらないようなことがありはしないかと、非常に悩み始めた。
「自分の十字架を負う」2019年10月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
愛する友人の皆さん,自分の十字架を負うことには,へりくだり,神とその限りない知恵を信頼することも含まれます。わたしたちは,主がわたしたち一人ひとりとその必要を御存じであることを認めなければなりません。また,主とわたしたちのタイミングは異なるという事実も受け入れる必要があります。祝福を求めるとき,主にそれを成就していただくうえで時間制限を定めてしまうことがあります。自分の望みに対して主からの答えをいただくための期限を設けて,自らの忠実さに条件をつけることはできません。そのようなことをすれば,疑い深い古代のニーファイ人のようになってしまいます。彼らはレーマン人サムエルの語った言葉が成就するはずの時はすでに去ったと言って,信じていた兄弟姉妹たちをあざけり,混乱を引き起こしました。(3ニーファイ1:4-7参照)わたしたちは十分に主を信頼し,静まって主が神であること,主がすべてのことを御存じであられ,一人ひとりを把握しておられることを知る必要があります。(教義と聖約101:16参照)
