モロナイ7:2 求む―御業を速める手と心 | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

2024年大管長会クリスマス・ディボーショナル

 

週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モロナイ7:2

さて、わたしモルモンは、愛する同胞であるあなたがたに話したい。父なる神とわたしたちの主イエス・キリストの恵みにより、また主がわたしに召しの賜物をお与えくださったので、主の聖なる御心により、わたしは今あなたがたに語る機会を得ている。

 

「求む―御業を速める手と心」2014年4月、リンダ・K・バートン、中央扶助協会会長

イエスの時代の裕福な青年のように,わたしたちも時に,諦め,来た道を引き返したい誘惑に駆られることがあります。恐らく,独りではできないと思うからでしょう。そのとおりです。助けがなければ,行うように求められても,難しいことは行えません。その助けは,イエス・キリストの贖罪,聖霊の導き,また他の人々の支援によって与えられるのです。

 

ある忠実な独身の姉妹が最近証を述べていました。贖罪を通じて彼女は,助けの手と進んで行う心を使って,がんで亡くなった姉が残した4人の子供を育てる力を見いだしたのです。ニール・A・マックスウェル長老がこう言ったのを思い出します。「教会がなすべきことのうち,容易なことは全て成し遂げられました。これからはより壮大な冒険になります。従順さが,思いも寄らない方法で試されるのです。」(ニール・A・マックスウェル,“The Old Testament: Relevancy within Antiquity”(教会教育システム宗教教育者への話,1979年8月16日)4;si.lds.org皆さんがどのような人で,何を行う備えをしてきたかということが,この神権時代に地上に送られた理由です。自分を何者であると思うかについて,サタンがわたしたちをどのように説き伏せようとしても,わたしたちの真の姿はイエス・キリストの弟子なのです。

 

モルモンは真の弟子であって,「〔人々が〕一人残らず心をかたくなにし,……〔この〕ようなひどい悪事は,リーハイのすべての子孫の中に……これまで決してなかった」モルモン4:11-12と言われた時代に生きた人です。皆さんはその時代に生きていたかったでしょうか。にもかかわらず,モルモンは雄々しく,このように宣言しました。「見よ,わたしは神の御子イエス・キリストの弟子である。」3ニーファイ5:13

 

すばらしい人だと思いませんか。モルモンは自分が何者であり,どのような使命があるかを知っていて,周囲の悪にも気を取られませんでした。事実,彼は自分の召しを賜物と考えていたのです。モロナイ7:2 参照)

 

弟子として日々務めるという賜物を主にささげて,言葉と行いによって「見よ,わたしはイエス・キリストの弟子である」と宣言するように召されていることは,何とすばらしい祝福であるか,考えてみてください。