そして、イエスは彼らに言われた。「このパンを食べる者は、自分のためにわたしの体を食べるのであり、このぶどう酒を飲む者は、自分のためにわたしの血を飲むのである。その者は決して飢えることも渇くこともなく、満たされるであろう。
「アロン神権と聖餐」(英文)、1998年10月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会
救い主は聖餐を定めたときに、聖霊に関する教えと約束をお授けになりました。最後の晩餐として知られるその厳かなときに、イエスは慰め主すなわち聖霊の使命についてお説きになりました。慰め主は、主を証し、そのほかの真理を啓示してくださいます。イエスはまた、聖霊が弟子たちのもとにおいでになるためには、御自分が去って行かなければならないということを説明なさいました。こう言われました。「わたしが…もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。」(ヨハネ16:7)主はよみがえった後に、「上から力を授けられるまでは」エルサレムにとどまっていなさいと弟子たちに言われました(ルカ24:49)。五旬節の日に「約束の聖霊」が弟子たちに「注がれた」とき、その力が授けられました(使徒2:33参照)。
同様に、救い主は新世界で聖餐を定めたときにも、約束をなさいました。「このパンを食べる者は、自分のためにわたしの体を食べるのであり、このぶどう酒を飲む者は、自分のためにわたしの血を飲むのである。その者は決して飢えることも渇くこともなく、満たされるであろう。」(3ニーファイ20:8)この約束の意味は明らかです。「さて、群衆は皆食べ終え、飲み終えると、見よ、彼らは御霊に満たされた。」(3ニーファイ20:9)
聖餐を受けることと、聖霊の導きの密接な関係については、啓示を通して与えられた祈りの中に説明されています。わたしたちはパンを頂くときに、進んでイエス・キリストの御名を受け、いつも御子を覚え、御子が与えてくださった戒めを守ることを証します。それをするときに、わたしたちはいつも御子の御霊を受けられるという約束を受けることができます(教義と聖約20:77参照)。
常に聖霊の導きを受けるということは、わたしたちが現世で持てる財産の中で、最も貴いものです。聖霊の賜物は、バプテスマの後にメルキゼデク神権の権能を持つ人によって授けられます。その賜物の祝福をほんとうに受けるためには、罪のない生活をしなければなりません。罪を犯すと、人は汚れた状態になり、主の御霊が遠ざかって行きます。主の御霊は「清くない宮」には住まわれないのです(モーサヤ2:36-37; アルマ34:35-36; ヒラマン4:24参照)。そして、いかなる汚れたものも主のみもとで住むことができません(エペソ5:5; 1ニーファイ10:21; アルマ7:21; モーセ6:57参照)。
