おお、彼らよりも義にかなっているために、命を助けられているすべての者よ。わたしがあなたがたを癒すことができるように、今あなたがたはわたしに立ち返り、自分の罪を悔い改め、心を改めようとしているか。
「わたしの愛のうちにいなさい」2016年10月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会
あの運命の夜,ゲツセマネに足を踏み入れた救い主に関するマタイの記録を思い出します。主は「悲しみを催しまた悩みはじめられた。……
そして少し進んで行き,うつぶしになり,祈って言われた,『わが父よ,もしできることでしたらどうか,この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし,わたしの思いのままにではなく,みこころのままになさって下さい』。」(マタイ26:37,39)
それから,その苦痛はさらに激しさを増したと思われ,主はもう一度苦痛からの解放を嘆願されます。最後に,恐らく苦しみの極みのときに,さらにもう一度嘆願されました。正義が最後の一滴まで満たされるように,主は,その激しい苦痛を堪え忍ばれたのです。(教義と聖約19:19参照)それは皆さんやわたしを贖うためでした。
神の愛は何と貴い賜物でしょう!その愛で満たされたイエスは,次のように問いかけておられます。「わたしがあなたがたを癒すことができるように,今あなたがたはわたしに立ち返り,自分の罪を悔い改め,心を改めようとしているか。」(3ニーファイ9:13)また,やさしく力づけておられます。「見よ,わたしの憐れみの腕はあなたがたに向けて伸べられている。わたしは来る者をだれでも受け入れよう。わたしのもとに来る者は幸いである。」(3ニーファイ9:14)
皆さんは,まず自分を愛してくださった御方を愛するのではないでしょうか。(1ヨハネ4:19参照)それなら,その御方の戒めを守ってください。(ヨハネ14:15参照)皆さんは,友のために御自分の命を捨てられた御方の友となるのではないでしょうか。(ヨハネ15:13参照)それなら,その御方の戒めを守ってください。(ヨハネ15:14参照)皆さんは,その御方の愛のうちにとどまり,思いやりをもって与えてくださるすべてを受け取るのではないでしょうか。それなら,その御方の戒めを守ってください。(ヨハネ15:10参照)わたしたちが主の愛を感じ,十分に主の愛のうちにいられますよう,イエス・キリストの御名によって祈ります,アーメン
Gethsemane by Jorge Cocco Santangelo
