さて、わが子よ、あなたが召された務めは、この民にこの喜びのおとずれを告げ知らせて、彼らの心を備えること、いや、救いがこの民に与えられるようにすること、この民がその子孫の心を備えて、キリストの来臨の時に御言葉を聞けるようにすることであった。
「不可欠な会話」2021年4月、ジョイ・D・ジョーンズ、中央初等協会会長
振り返ってみると,夫とわたしは子供たちにイエス・キリストの福音に従ってもらいたいと願うあまり,訓練教官のようになったこともありました。預言者ヤコブは,これと同じ気持ちを言葉にしているようです。「わたしはあなたがたの幸いを願っている。まことに,わたしはあなたがたのことを非常に心配している。また,あなたがたも知っているように,わたしはこれまでも心配してきた。」(2ニーファイ6:3)
子供たちは学び,成長する過程で,信仰の試しに遭います。しかし,適切な備えがあれば,ひどい逆境の中でも信仰と勇気と自信を育むことができるのです。
「子孫の心を備え」るようにと,アルマは教えています。(アルマ39:16)わたしたちは次世代を担う若者たちを,信仰の擁護者となり,「自分の思うとおりに行動すること,すなわち永遠の死の道を選ぶことも,永遠の命の道を選ぶことも自由である」ことを理解できるよう備えているのです。(2ニーファイ10:23)子供たちには,「永遠とは決して誤解してはならないものである」という偉大な真理を理解する権利があります。
子供たちと簡単ながら不可欠な会話をすることによって,現世で「永遠の命の言葉を享受し,来るべき世において永遠の命,すなわち不死不滅の栄光を享受〔できる〕」よう助けることができますように。(モーセ6:59)
子供たちを養い育て,備えるとき,わたしたちは子供たちに選択の自由を行使させ,子供たちを心から愛し,子供たちに神の戒めと悔い改めの賜物を教えます。そして,何があろうと決して,諦めません。結局のところ,これこそがわたしたち一人一人にとっての主の方法なのではないでしょうか。
キリストを確固として信じ,愛の深い救い主を通して「完全な希望の輝きを」(2ニーファイ31:20)持てることを理解して,力強く進もうではありませんか。
主御自身が常に答えであられることを証します。イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン
