モーサヤ12:25-27 群衆の中の一人 | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ12:25-27

そこでアビナダイは彼らに答えた。「あなたがたは祭司であり、また自分たちはこの民を教えており、預言の霊に通じていると主張していながら、これらのことが何を意味するかをわたしから聞いて知りたいと言うのか。

わたしはあなたがたに言う。主の道を曲げているあなたがたは災いである。あなたがたはこれらのことを理解しているかもしれないが、それを民に教えてこなかったので、主の道を曲げてきたことになる。

あなたがたは心を注いで理解しようとしてこなかった。したがって、あなたがたは賢明ではなかった。あなたがたはこの民に何を教えているのか。」

 

「群衆の中の一人」2008年4月、デニス・B・ノイエンシュワンダー、七十人

聖文の中には,このほかにも,群衆の中にいた一人の信仰篤あつい人物について興味深い話が記されています。アルマはノア王に仕える邪悪な祭司たちの中にいました。ノア王の祭司は,高慢で,心が高ぶっており,怠惰で,偶像を礼拝し,むなしい偽りの言葉を民に述べる人たちだったと記されています。モーサヤ11:5-11参照)彼らは主の道を曲げてしまっていました。心を注いで主の道を理解しようとしなかったのです。モーサヤ12:25-27参照)アビナダイが悔い改めのメッセージを宣べ伝えたとき,ノア王の祭司たちはアビナダイをあざけり,最終的には,処刑してしまいました。彼らはまさに邪悪な群衆でした。しかし,聖文に記されているように,アビナダイの言葉を信じた者が「祭司たちの中に」モーサヤ17:2一人いたのです。それがアルマでした。彼だけがアビナダイの教えたことを受け入れ,信じました。勇気を奮って群衆を離れ,主に従ったのです。群衆の中にいたこの一人の男性がニーファイ人の歴史に及ぼした影響は計り知れません。

 

……

 

実は,これらの話は群衆についての話ではなく,群衆の中の個人についての話なのです。さらに言えば,皆さんやわたしについての話なのです。わたしたちは皆,この世の群衆の中にいます。わたしたちのほとんどはあの女性にたとえられます。群衆の中にあっても,救い主のみもとにやって来た女性とよく似ているのです。わたしたちは皆,救い主に触りさえすれば,苦痛にあえぐ魂に癒しがもたらされ,心の奥底からの要求が満たされるという信仰を持っています。ルカ4:18参照)多くの国々で教会に集う新会員のほとんどは,アルマのような人たちです。彼らは命の言葉に耳を傾けます。家族の中で,あるいは友人の中で,自分以外に命の言葉を聞く人はいません。しかし,それでも彼らは勇気を奮い,福音を受け入れ,自らの選んだ道に従って群衆の中を進んで行きます。あざけり笑う人々の姿が見え,その声が聞こえる中で,命の木の実を十分に味わうことが何を意味するのか,勇気の限りを尽くしてそのような人々を気に留めないことが何を意味するのか,皆さんも分かると思います。

 

この世の群衆の中をかき分けながら進んで行くのが,孤独でつらいこともあるでしょう。より良いものに向かって進みたいと願っている個人に対する群衆の影響力がとても強く,抗し難いこともあるでしょう。

 

救い主ほど効果的に,群衆の中の一人に手を差し伸べ,その人を支え,最終的には救い出せる人がいるでしょうか。救い主は,不遜な群衆の中にあって屈せずに,なお忠実であり続けることがどういうことなのかを理解しておられます。

 

……

 

愛する兄弟姉妹,わたしたち一人一人が,この世の群衆の中を進んで行けますように。人生でどのような状況に置かれても,救い主がわたしたちを心にかけておられ,わたしたちを癒し,救うことがおできになるという信仰を持ちながら,静かに,また確固として,主の方へ進んで行こうではありませんか。人生について語られた救い主の言葉に耳を傾け,それらの言葉からもたらされる実を絶えず,十分に,また勇気をもって味わいましょう。イエス・キリストの御み名なによって,アーメン

 

 

 

The hem of his garment by Jorge Cocco Santangelo

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)