これらの罪悪は、いずれも主から来るものではない。主は人の子らの中で、ためになることを行われるからである。また主は、人の子らにとって分かりやすいことでなければ、何事も行われない。そして主は、御自分のもとに来て主の慈しみにあずかるように、すべての人を招かれる。したがって主は、黒人も白人も、束縛された者も自由な者も、男も女も、主のもとに来る者を決して拒まれない。主は異教徒さえも心にかけられる。ユダヤ人も異邦人も、すべての人が神にとって等しい存在なのである。
「十字架につけられて」2022年10月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
わたしたちが自らの十字架を背負って主に従うとき,その試練の重荷によって他の人が抱える重荷にもっと共感し,もっと気配りできるようにならなかったとしたら,それは大きな悲劇です。救い主が両腕を大きく広げ,その状態で釘付けにされたことは,キリストのはりつけに関する最大の逆説の一つです。それは,全人類,すべての男女および子供が,贖いと昇栄をもたらす主の胸に抱かれてもよいだけでなく,そうするよう招かれていることを,偶然に,しかし正確に描写しているからです。(「主の腕が,悔い改めて主の名を信じるすべての人に伸べられていることが分かるのである。」(アルマ19:36。2ニーファイ26:33;アルマ5:33も参照))
