その聖見者の名はわたしにちなんで付けられ、またその名は彼の父の名を取って付けられる。そして、彼はわたしのようである。主が彼の手により、主の力によってもたらされるものが、わたしの民を救いに至らせるからである。
「ジョセフ・スミスの家族」(英文)1991年10月、M・ラッセル・バラード
主は彼の信仰深い父,ジョセフ・スミス・シニアを予任されました。ジョセフ・スミス・シニアは聖典の中で,この世において予言者の父親になると書かれています。エジプトのヨセフは,神がみ業のために立てられる末日の聖見者はヨセフと呼ばれると予言しました。(ジョセフ・スミス訳創世50:33参照)また,「その名は彼の父の名をとってつけられる」とも予言しました。(2ニーファイ3: 15) 天使モロナイはあの輝かしい夜に神のご指示を伝えた後で,父親のところへ行くようにと年若いジョセフ・スミスに勧告しました。ジョセフ自身の言葉によると,この天使は,「父のところへ行って私の受けた示現と私の受けた誡命のことを語れと命じたもうた。私はこれに従った。私は畑に居た父のところへ帰って行って事情をすっかりくわしく物語った。すると父は私に,これはまさしく神のつかいであると言い,その使者の言いつけ通りに行ってせよ,と答えた。」(ジョセフ・スミスの歴史 2:49-50)
ジョセフ・スミス・シニアは主のみたまのささやきに敏感な人でした。彼はまだ若い自分の息子の言葉が真実であることを知ったのです。彼は息子の言葉を信じただけでなく,命じられたことを行なうようにと励ましを与えました。
ジョセフ・スミス・シニアは,予言者となった息子の体験とその主張のゆえに起きた迫害と嘲笑に耐えました。彼は決して揺らぐことなく,やさしく息子を支え,擁護したのです。
彼はモルモン書翻訳の元となった金版を見,その手で触れました。そして生涯,その神聖な書物の真実性を証しました。彼の名前はモルモン経のほかの証人の名前と共に,キリストの第二の証の書の初めにしっかりと記録されています。あるとき,彼は投獄されましたが,モルモン書を否定するなら解放すると言われました。しかし彼は否定しないだけでなく,30日の入獄生活の間に,ふたりの人物を改宗させてしまったのです。ロレンゾ・スノー大管長は彼について次のように言いました。「聖徒の中でも,彼ほど人々に愛された人を私は知りません。だれか重い病気の人が出ると,昼夜を問わず,よく彼が呼びにやられたものでした。彼は私が知っている中でもとても気高く,寛大な人でした。」(ルロイ・C・スノー『ロレンゾ・スノーの神との出会い』「インプルーブメント・エラ」1937年2月号,p.84)
ジョセフ・スミス・シニアの葬儀の弔辞の中で次のような言葉が述べられました。「自分に課せられたいかなる境遇にあっても,神と教会に忠実な人。」(「教会歴史」4:192)
