ヘブル9:27 主は生けりと知る | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヘブル9:27
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、


「主は生けりと知る」2007年4月、トーマス・S・モンソン、大管長会
兄弟姉妹の皆さん,わたしたちは笑い,泣き,働き,遊び,愛し,生きます。そして,死にます。死はすべての人に訪れます。だれもがその門をくぐらなければなりません。死は年老いた者や疲れ果てた者を訪れるだけでなく,希望と期待に満ちあふれた若者をも訪れます。幼おさな子ごも死の手から逃れることはできません。使徒パウロの言葉どおり,「一度だけ死ぬこと……が人間に定まっている」ヘブル9:27

ナザレのイエスという御方とその使命なしには,人は死に定まったままでいたでしょう。馬小屋に生まれ,かいばおけに寝かされたその御方の誕生は,多くの預言者の霊感あふれる預言を成就しました。主は高い所から教えを受け,人に命と光と道をお与えになりました。群衆が従い,子供たちは主をあがめ,高ぶる者は拒絶しました。主はたとえで語り,模範によって教え,完全な生涯を送られました。

王の王,主の主が来られたにもかかわらず,主は敵や反逆者として扱われ,あざけられ,訴えられました。「十字架につけよ,十字架につけよ」ルカ23:21という声が響き渡り,主はやがてカルバリの丘へと歩み始められました。

主はあざけられ,ののしられ,嘲ちょう笑しょうされ「イスラエルの王キリスト,いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」マルコ15:32という叫び声の中,釘くぎで十字架に打ち付けられました。「他人を救ったが,自分自身を救うことができない」マルコ15:31と言う者に主はこう答えられました。「父よ,彼らをおゆるしください。彼らは何をしているか,わからずにいるのです。」ルカ23:34「『父よ,わたしの霊をみ手にゆだねます。』こう言ってついに息を引きとられ」ました。ルカ23:46 主の亡骸は主を愛してやまない者たちの手により,石を掘って造った墓に納められました。

週の初めの日の明け方に,マグダラのマリヤとヤコブの母マリアがその他の人々とともに墓を訪れました。驚いたことに,主の体はそこにありませんでした。ルカは,輝く衣を着た二人の人が女たちのそばに立ち,こう語ったと記しています。「あなたがたは,なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは,ここにはおられない。よみがえられたのだ。」ルカ24:5-6