2コリント1:3-4
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。
「憤りを感じるほどの不公平」2021年4月、デール・G・レンランド、十二使徒定員会
様々な不公平が相まって,押しつぶされそうな不公平の津波が生み出されることがあります。例えば,新型コロナウイルス感染症のパンデミックは,それでなくとも様々な理由で不利な状況にある人たちに追い打ちをかけています。そんな不公平な状況にある人のことを思うと心が痛みます。それでも,イエス・キリストは不公平を理解され,また治療薬を与える力をお持ちであることを,心から宣言します。主が堪え忍ばれた不公平に勝る不公平はありません。主が全人類の痛みと苦しみを味わわれたのは,不公平なことでした。主がわたしや皆さんの罪と過ちのために苦しまれたのは,不公平なことでした。しかし,主はわたしたちと天の御父を愛しておられたので,あえてその道を選ばれたのです。主はわたしたちが経験していることを完全に理解しておられます。(ヘブル4:15参照)
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不公平な状況でわたしたちがするべきことの一つは,「人生の中で経験するすべての不公平なことは,イエス・キリストの贖いによって正される」と信じることです。(イザヤ61:2-3;黙示21:4;ジョセフ・B・ワースリン「どんな出来事も愛しなさい」2008年10月) イエス・キリストは世に打ち勝ち,あらゆる不公平を「取り去ら」れました。主がおられるので,わたしたちはこの世で平安を得て元気を出すことができます。(ヨハネ16:33参照) 主に委ねるならば,主はこの不公平を聖別してわたしたちの益にしてくださいます。(2ニーファイ2:2参照) 慰めるだけでなく,失われたものを元に戻してくださいます。(ヨブ42:10,12-13;モルモン書ヤコブ3:1参照) 不公平をわたしたちの益にしてくださるのです。方法と時期については,アルマのように認め,受け入れる必要があります。「それは重要ではない。神はこれらのことをすべて御存じだからである。これが事実であるということ……が分かれば,わたしにはそれで十分である。」(アルマ40:5)
方法と時期に関する疑問は後回しにして,イエス・キリストを信じ,イエスがすべてを正す力を持ち,そうしたいと切望されていることを信じる信仰を育むことに焦点を当てるようにするとよいでしょう。(モーサヤ4:9参照)方法と時期を知ることに固執するのは,非生産的で,やはり近視眼的なのです。(ラッセル・M・ネルソン「神に勝利を」2020年10月)
イエス・キリストを信じる信仰が育まれると,イエスのようになろうと努めるはずです。そうすると思いやりをもって人に接し,不公平な部分を正すよう努めるようになります。(アルマ60:9-11。2コリント1:3-4も参照)わたしたちは影響の及ぶ範囲で物事を正そうと努めることができるのです。実際救い主は,「熱心に善いことに携わり,多くのことをその自由意志によって行い,義にかなう多くのことを成し遂げなければならない」(教義と聖約58:27。26,28-29節も参照)と教えておられます。