そこで、日を定めて、大ぜいの人が、パウロの宿につめかけてきたので、朝から晩まで、パウロは語り続け、神の国のことをあかしし、またモーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて彼らの説得につとめた。
「主の厚い恵みを受ける」2020年10月、ゲーリー・E・スティーブンソン、十二使徒定員会
パウロとシラスは,かせをはめられて投獄されている間に祈り,歌い,教え,証しました。看守にバプテスマを施したとまで書かれています。(使徒16:24-33参照)
パウロはまた,ローマで2年間家に軟禁されていたときにも,「語り続け,神の国のことをあかしし」,(使徒28:23)「主イエス・キリストのことを教え」続けました。(使徒28:31)
ヒラマンの息子ニーファイとリーハイは,虐待され,投獄された後,主の「まったく優しい静かな声〔が〕……〔捕らえた者たちの〕心の底までも貫」く間,火に囲まれて守られたと書かれています。(ヒラマン5:30)
アモナイハでのアルマとアミュレクは,後にあざけられ,食べ物も着る物も与えられず,縛られ,投獄されたものの,(アルマ14:22参照)多くの人が「信じ,悔い改めて聖文を調べ始めた」ことを知りました。(アルマ14:1)
最後にジョセフ・スミスの場合ですが,リバティーの監獄で苦悩したジョセフは,見捨てられ,見放されたと感じました。しかしその後,「これらのことはすべて,……あなたの益とな」り,(教義と聖約122:7)「とこしえにいつまでも,神はあなたとともにいる」(教義と聖約122:9)という主の言葉を聞いたのです。
これらの人々は,各人ニーファイが知っていたことを理解していました。これまでの人生で多くの苦難に遭ったが,主の厚い恵みを受けているということです。