使徒行伝17:21
いったい、アテネ人もそこに滞在している外国人もみな、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしていたのである。
「賢明に選ぶ」2014年10月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会
ときどき,わたしたちは軽薄な愚行と,意味のない騒音と,終わりのない論争の海に溺れていると感じることがあります。音量を落とし,実態を調べたら,義にかなった目標に向かう永遠の進歩のためになるものはほとんどないのです。ある父親は,こうした気をそらすものに触れたがる子供の度重なる要求に,賢明に応えています。ただこう問うのです。「それをやったらもっと立派な人間になれるのかい?」
大小にかかわらず,回復された福音の精神と相いれない間違った選択を正当化し始めると,必要な祝福や守りを失い,しばしば罪のわなに陥り,あっさりと道を見失ったりします。
特に心配しているのは,愚かな行い(マルコ7:22参照)と「何でも新しい流行に」引かれることです。教会では,あらゆる種類の真理や知識の獲得を奨励し,称賛しています。しかし,神の幸福の計画とイエス・キリストの不可欠な役割から,文化や知識や社会習慣が離れると,社会の崩壊は避けられなくなってきます。現在,多くの分野,特に科学と通信の分野で空前絶後の進歩が見られる反面で,肝心な基本的な価値観が脅かされ,総体的な幸福福利が衰えています。
アテネのアレオパゴス評議所で話すよう招かれた使徒パウロは,知性を誇りながらも真の知恵に欠ける点で現代人と同じ人々がいることに気づきました。(クエンティン・L・クック「的のかなたに目を向ける」『リアホナ』2003年3月号)使徒行伝にはこう記録されています。「いったい,アテネ人もそこに滞在している外国人もみな,何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに,時を過ごしていたのである。」(使徒17:21)パウロが強調したのは,イエス・キリストの復活でした。パウロの話が宗教的なものだと分かると,ある人は彼をあざけり,ある人は彼を無視して「この事については,いずれまた聞くことにする」と言いました。(使徒17:32)パウロは何ら成功を収めることなく,アテネを去りました。このアテネ訪問についてフレデリック・ファーラー司教はこう書いています。「パウロはアテネには教会を設立せず,アテネ人に向けた書簡も残しませんでした。度々アテネの近くを通過しましたが,再び足を踏み入れることはありませんでした。」(ファーラー,The Life and Work of St. Paul,312)
