ルカ12:15
それから人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。
「天の窓」2013年10月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会
ベドナー姉妹が若い女性の年代だったころ,彼女の母親は家計簿の情報に基づいて,賢明な生活と家庭管理に関する基本的な原則を強調しました。ある日のこと,様々な分野の支出について家族で検討していたとき,興味深いパターンに気づきました。医療費が予想していたよりもはるかに少なかったのです。彼女はこの発見をイエス・キリストの福音に関連づけ,娘に次のような力強い真理を話して聞かせました。すなわち,什分の一の律法に従った生活を送ると数多くの祝福を受けるが,その祝福は重要でありながらもとらえにくく,必ずしも自分たちの期待どおりのものではないので見逃しやすい,ということです。家族の収入が急に,あるいは目に見えて増えるということはありませんでした。その代わり,愛にあふれる天の御父は単純な祝福を,一見平凡に思える方法で授けてくださっていたのです。ベドナー姉妹は,母親から教わったこの大切な教訓,すなわち,旧約聖書のマラキ書で約束されている,天の窓を通してわたしたちに与えられる助けについての教訓をいつも覚えていました(マラキ3:10参照 )。
什分の一の律法について教え,証するとき,わたしたちは自分たちが受ける即座の,劇的な,またすぐにそれと分かる物質的な祝福を強調することがよくあります。確かに,そのような祝福を受けることもあります。しかし,この戒めに従うときに受ける様々な祝福の中には,重要でありながらもとらえにくい祝福もあるのです。霊的に注意深く観察力を働かせなければ,そのような祝福は識別できません(1コリント2:14参照 )。
マラキが用いている天の「窓」というイメージは,実に教訓的です。窓がなければ,自然の光が建物の中に差し込むことはできません。同様に,わたしたちが什分の一の律法を尊ぶときに,天の窓を通して,霊的な目覚めや永遠の見地がわたしたちの生活にあふれるほど与えられるのです。
例えば,わたしたちが受ける,とらえにくくても重要な祝福として,感謝という霊的な賜物があります。この賜物があれば自分が持っているものを正しく評価し,自分が欲しいものに対する欲求を抑えることができます。感謝しない人は,尽きることのない不満という貧困の中で苦しみます(ルカ12:15参照) 。
わたしたちは,適切な仕事に就くための助けを求めて祈ることがあります。しかし,ほかの多くの人たちが見逃すかもしれない就職の機会を見いだす力を与える,より優れた識別力という霊的な賜物,あるいはほかの人の能力や意欲を上回るほどに熱心かつ根気強く勤め口を探すための,より確固とした決断力という祝福に気づくためには,信仰の目や耳(エテル12:19参照)が必要です。皆さんは就職先を望んだり,期待したりすることがあるでしょう。しかし,天の窓を通してもたらされる祝福は,ほかのだれか,あるいは何かがきっかけとなって自分の置かれている環境が変わる可能性というよりはむしろ,自ら行動することによって自分の環境を変える能力が増大するという祝福なのかもしれません。
わたしたちは,給与を引き上げてもらい,生活必需品を十二分に供給できるようになるために,望みを抱き,適切な努力を払うかもしれません。しかし,自分の内面において,より少ないお金でより多くの必要を満たすための霊的,物質的な能力が高まったこと(ルカ2:52参照 ),優先順位を決め,簡素化する能力が研ぎ澄まされたこと,すでに獲得した物質的所有物を適切に管理する能力が増し加わったことに気づくためには,信仰の目や耳が求められます。皆さんはより多くの給与を望んだり,それを期待したりすることがあるでしょう。しかし,天の窓を通してもたらされる祝福は,ほかのだれか,あるいは何かがきっかけとなって自分の置かれている環境が変わる可能性というよりはむしろ,自分の環境を変える能力が増大するという祝福なのかもしれません。
