マタイ21:12-13
それから、イエスは宮にはいられた。そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。 そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。
「聖なる場所に堅く立ちなさい」2013年4月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会
安心してください。わたしたちより前の預言者も皆,それぞれの時代で堅く立ったのです。
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これらの神の僕と聖徒が堅く立つことができたのは,救い主とともに立っていたからです。救い主がいかに堅く立っておられたかを考えてください。
イエスは若いころ,父親の仕事を忠実に行い,神殿で博学な人々に福音を説かれました。(ルカ2:46-49参照) その務めを通して救い主は神権の業を果たされました。人を教え,癒し,仕え,祝福し,高められたのです。時に応じて大胆に悪に向かって立ち,神殿をも清められました。(マタイ21:12-13参照) また,言葉や威厳ある沈黙によって,真実を擁護して立つこともなさいました。祭司長たちがカヤパの前で主を告発したときには,賢明かつ勇敢に,偽りの証言に答えることを拒み,黙っておられたのです。(マタイ26:57,59-63参照)
ゲツセマネの園で,わたしたちの救い主であり贖い主であられる御方は,贖いの苦い杯を飲まずに身を引くことはなさいませんでした。(教義と聖約19:16-19参照) 最後まで堪え忍ばれたのです。そして遂に,「すべてが終った」(ヨハネ19:30) と言えるようになるまで,御父の御心を行うために十字架上で再度苦しまれました。堅く立ち,完全な従順を示された救い主に対して,御父はこう言われました。「わたしの愛する子を見なさい。わたしの心にかなう者である。わたしは彼によって,わたしの名に栄光を加えた。」(3ニーファイ11:7)
様々な年代にある,愛する神権者である兄弟の皆さん,わたしたちの救い主イエス・キリストとともに堅く立って神の御名をあがめましょう。救い主が生きておられ,その御業に携わるために,わたしたちは「聖なる召しを受けている」(アルマ13:3。2テモテ1:9も参照 ) ことを,特別に証します。「それゆえ,……あなたがたは聖なる場所に立ち,動かされないようにしなさい。」(教義と聖約87:8) わたしたちは神の教義の上に従順に堅く立ち,聖なる場所に立っています。なぜなら,社会的,政治的な信条は移り変わろうとも,神の教義は神聖で,変わることがないからです。わたしは使徒パウロのように宣言します。「目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく,強くあってほしい。」(1コリント16:13) これが,皆さんに対するわたしの心からの祈りです。イエス・キリストの聖なる御名によって,アーメン
