ルカ9:10-17 聖なる不満足感 | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ルカ9:10-17
使徒たちは帰ってきて、自分たちのしたことをすべてイエスに話した。それからイエスは彼らを連れて、ベツサイダという町へひそかに退かれた。 ところが群衆がそれと知って、ついてきたので、これを迎えて神の国のことを語り聞かせ、また治療を要する人たちをいやされた。 それから日が傾きかけたので、十二弟子がイエスのもとにきて言った、「群衆を解散して、まわりの村々や部落へ行って宿を取り、食物を手にいれるようにさせてください。わたしたちはこんな寂しい所にきているのですから」。 しかしイエスは言われた、「あなたがたの手で食物をやりなさい」。彼らは言った、「わたしたちにはパン五つと魚二ひきしかありません、この大ぜいの人のために食物を買いに行くかしなければ」。 というのは、男が五千人ばかりもいたからである。しかしイエスは弟子たちに言われた、「人々をおおよそ五十人ずつの組にして、すわらせなさい」。 彼らはそのとおりにして、みんなをすわらせた。 イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福してさき、弟子たちにわたして群衆に配らせた。 みんなの者は食べて満腹した。そして、その余りくずを集めたら、十二かごあった。


「聖なる不満足感」2018年10月、ミッシェル・D・クレーグ、中央若い女性会長会
聖なる不満足感は,ありのままの自分と,「潜在的な力を持った自分」とを比較するときに生じます。(ニール・A・マックスウェル、「弟子となる」(英文)1996年6月) 正直であれば,わたしたちは現在の自分と,なりたい自分との,ずれを感じます。わたしたちは,もっとすばらしい個人の特質を身につけたいと切望しています。こういった感情を持つのは,わたしたちが堕落した世に住みながらも,生まれながらにキリストの光を持つ神の娘,息子だからです。このような感情は神から与えられたものであり,行動するようにという切迫感を抱かせます。

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事実,イエスの奇跡は,望みや必要,失敗,不足などを認識することでもたらされています。パンと魚の話を思い出してください。福音書の筆者たちはそれぞれ,イエスがどのように,従って来た多くの人々を奇跡的に食べさせたのかについて記しています。(マタイ14:13-21マルコ6:31-44ルカ9:10-17ヨハネ6:1-14参照) 物語は弟子たちが不足に気づいたところから始まっています。「パン五つと,さかな二ひき〔しかない。〕しかし,こんなに大ぜいの人では,それが何になりましょう。」(ヨハネ6:9) 弟子の言っていることはほんとうでした。十分な食べ物がなかったのですが,あるだけのものをイエスに差し出し,主は奇跡を起こされたのです。

皆さんは自分の才能や賜物が十分ではないと感じたことはありませんか。わたしはあります。しかし,皆さんもわたしもキリストに,自分にあるだけのものを差し出せば,主はわたしたちの努力を何倍にもしてくださるでしょう。人間のもろさや弱さがあるとしても,神の恵みに頼るなら,ささげられるものは,有り余るほどあります。