マタイ6:9
だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
「わたしの心に書き記す」2000年10月、ヘンリー・B・アイリング、十二使徒定員会
両親は子どもたちに祈ることを教えるべきです。子どもは、両親の行いと言葉の両方から学ぶものです。母親あるいは父親が人生の試練を経験するときに神に熱烈に祈るのを目まの当たりにし、そしてその後、神が優しく祈りにこたえてくださったという心からの証を聞くことのできる子どもは、自分が見たり聞いたりしたことを忘れないでしょう。そのような子どもたちは、試練がやって来るときにも、備えられていることでしょう。
いつの日か、子どもが家を出て、家族を離れるとき、祈りは両親が子どもに何より持たせてあげたい守りの盾となります。
……
祈りで大切なのは心です。わたしは、祈りに関して、形式よりもはるかに多くのことを教えられました。両親や救い主の教えから、敬虔な祈りの言葉で天父に話しかけることを学びました。「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。」(マタイ6:9) 神の神聖な御名を決して決して汚してはならないということを知っていました。父親あるいは母親から神の御名を汚す言葉を聞くと、その子の祈りがどんなに害を受けるか想像できるでしょうか。小さい者に対するそのような罪は、恐ろしい結果を招きます。
わたしは、祝福に感謝することと、赦しを求めることの大切さを学びました。「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。」(マタイ6:12) また、必要なものを願い求め、人々が祝福されるように祈ることも教えられました。「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。」(マタイ6:11) わたしたちの意志を主に従わせなければならないことを理解しました。「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」(マタイ6:10) 危険に対して警告があること、また、神を怒らせてしまうようなことをした場合、早い段階でそれを示していただけるということを教えられ、またそれが真実であることも確認しました。「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」(マタイ6:13)
……
子どもたちに祈りを教えるときのわたしたちの目標は彼らが自分たちの心に神の御心が書き記されることを願い、神から求められたことを進んで行うようなることです。子どもたちが両親の行いや教えを通して十分な信仰を持つようになり、救い主がわたしたちのために無限の犠牲になろうとして力を求めて祈ったときにお感じになった気持ちを子どもたちがわずかなりとも感じられるようになるのは可能なことです。「そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、『わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯さかずきをわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい。』」(マタイ26:39)
……
わたしの母が亡くなった日の午後、わたしたちは病院から家に帰りました。暗くなった居間でしばらく静かに座っていましたが、父は一人にさせてほしいと言って寝室に行きました。数分して、再び居間に戻って来たとき、父の顔にはほほえみが浮かんでいました。父は、母のことを心配していたのだと言いました。父は、病院の母の部屋から母のものを集め、母に親切にしてくださった病院の関係者の方々に感謝を述べている間、母が死後ほんの数分で霊界に行ってしまうことを考えていました。迎えに来てくれる人がだれもいなかったらきっと母は寂しいだろうと、父は心配していたのです。
父は寝室に行き、天父にお願いして、父の妻でありわたしの母であるミルドレッドをだれかに歓迎してもらうようにしたのです。父は、祈りの答えとして、父の母親が父の愛する妻に会ったことを知らされたと話してくれました。それを聞いてわたしもほほえみました。父方の祖母はあまり背が高い方ではありませんでした。わたしは、大勢の人をかき分けて急ぐ祖母の姿をはっきりと思い浮かべました。母を出迎えるという務めを果たすために、祖母が短かい足で小走りをして急いでいる姿です。
もちろんそのとき、父はわたしに祈りについて教えようとしていたわけではありません。しかし、父は教えてくれていたのです。わたしは、父や母から祈りについて訓戒の言葉を受けた覚えはありません。しかし、彼らは良いときにも悪いときにも祈っていました。そして、神がどれほど優しく、どれほど力強く、どれぼど近くにいてくださったかを当然のことのように話してくれました。わたしが最も多く聞いた祈りは、わたしたちが永遠に一緒にいられますように、というものでした。そして恐らく最も頻繁にわたしの心に刻まれて消すことのできない祈りの答えは、わたしたちはそこに通じる道を歩んでいるという確信です。
わたしは、祖母が急いで母を迎えに行っているところを思い描いたときに、彼女たちのことを思って喜びに満たされました。そして、愛する妻と子どもたちをもそのような再会に導きたいという切なる願いが心を満たしました。
忠実な両親が、子どもに祈りを教える方法について尋ね求めるとき、天父はその祈りにこたえられることを証します。イエス・キリストの贖いにより、もしもわたしたちがこの、主のまことの教会で主と交わす聖約を尊ぶならば、家族として永遠の命を得られることを証します、以上のことを主の僕としてイエス・キリストの御名により証します。アーメン
