マタイ5:6
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
「霊の命…を心にかけなさい」2003年4月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
人はだれも,混乱し変転極まりない世界情勢にまったく無関係ではいられません。そのような状況にあって直面するのは,現実的でやむことのない苦悩です。すなわち,この世の苦労を体験する中で,主の言われる「霊の命……を心にかけ〔る〕」ことを実際に選ぶかどうかという苦悩です(教義と聖約101:37)。外部の出来事とのかかわりがどれほどのものにせよ,この内なる苦悩は平穏な時代にも動乱の時代にも存在します。
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ですから,この騒乱の時代にあっても,ひそやかに「霊の命」を心にかけることがやはり最も重要なのです。将来を左右する決定的瞬間になり,時に義にかなった行いを際立たせることがありますが,いかなる外的混乱も,内的決心を揺るがす言い訳にはなりません。
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「霊の命」について深く考えるとき,自分自身の完全な改心を目指して努力することが助けになりますが,その訳は福音の種はまず「良い地」,すなわちイエスの定義された「正しい良い心」を持った人々に落ちるからです(ルカ8:15)。その結果,そのような人は「喜んで」「御言を聞いて悟〔り〕」,「実を結び」,「堪え忍び」ます。そして最後には,「義のために飢え乾く」とはどのようなことかを学ぶのです(マタイ13:20,23;ジョセフ・スミス訳マタイ13:21〔英文〕;マタイ5:6)。これが「大きな変化」なのです(モーサヤ5:2)。改心とは基本的に「生まれながらの人」から「キリストの人」になる変化を指すものです(モーサヤ3:19;ヒラマン3:29。2コリント5:17も参照)。この変化は一朝一夕に起こるものではありません。
改心という継続的な過程によって生まれる結果の一つは,「悪を行う性癖をもう二度と持つことなく,絶えず善を行う望みを持つ」ようになることです(モーサヤ5:2)。ですから当然なことに,この過程を経てこのように改心した人たちは「兄弟たちを力づけて」あげられるようになり(ルカ22:32),「あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には,いつでも弁明のできる用意をして」いることによって人を引き上げることができるようになります(1ペテロ3:15)。
