ようこそのお運びで。

◎大河・・出家させられる花山院の、猫を詠んだ歌

しきしまの 大和にはあらぬ 唐猫の 君がためにぞ もとめ出でたる

「しきしまの 大和にはあらぬ 唐猫の」の花山院の歌+平安貴族とおねこ様その1 | 耳鳴り・脳鳴り・頭鳴り治療の『夜明け前』 (ameblo.jp)

◎京都御苑②「冬木立」「蝋梅」「水仙」「十月桜」(2月上旬)

 

 

 

 

 

 

 

お題

年月を なかにへだてて 逢坂の さもせきがたく 落つる涙か」(源氏物語・若菜上)朧月夜を巡る歌⑪

 

◎朱雀院の出家・山籠もりに伴い、朧月夜は二条の宮に里下がりする。源氏は当時四十歳だが、長い年月を経て、朧月夜に再会する機を得た。

 

夜いたく更けゆく。

 ☆玉藻に遊ぶ鴛鴦の声々など、

あはれに聞こえて、しめじめと人目少なき宮の内のありさまも、さも移りゆく世かなと思しつづくるに、平中がまねならねど、まことに涙もろになむ。昔に変はりておとなおとなしくは聞こえたまふものから、これをかくてやと、引き動かしたまふ。
 ☆年月を なかにへだてて 逢坂の さもせきがたく 落つる涙か
女、
 ☆涙のみ せきとめがたき 清水にて 行き逢ふ道は はやく絶えにき
などかけ離れきこえたまへど、いにしへを思し出づるも、誰れにより、多うはさるいみじきこともありし世の騷ぎぞはと思ひ出でたまふに、げに今一たびの対面はありもすべかりけりと、思し弱るも、もとよりづしやかなるところはおはせざりし人の、年ごろは、さまざまに世の中を思ひ知り、来し方を悔しく、公私のことに触れつつ、数もなく思しあつめて、いといたく過ぐしたまひにたれど、昔おぼえたる御対面に、その世のことも遠からぬ心地して、え心強くももてなしたまはず。

・・・夜がたいそう更けてゆく。

 ☆玉藻に遊ぶ鴛鴦の声々など、

しみじみと聞こえて、しめやかで人目の少ない二条の宮の様子も、いかにも移り変わる世であるよと思い続けなさると、平中の泣き真似ではないが、本当に涙もろくなる。(源氏は)昔とは変わって、分別のある年輩者らしくお話し申し上げなさるけれども、この隔ての障子をこのままではと、引き動かしなさる。

 ☆年月を なかにへだてて 逢坂の さもせきがたく 落つる涙か
女(=朧月夜)は、

 ☆涙のみ せきとめがたき 清水にて 行き逢ふ道は はやく絶えにき

など隔て申し上げなさるけれど、昔のことを思い出しなさるにつけても、誰のせいで、あのような大変なこともあった世の騒ぎか、多くは私のせいではないか、と思い出しなさると、本当にもう一度対面もあってしかるべきなのだと、隔てようという決心が鈍るのも、もともと重々しいところのおありではなかった方が、あれ以来長年の間に様々に男女の仲のこともわかり、過去を悔やみ、公私のことにつけて、数限りもなく思いなさることが積もって、ひどく自重して過ごしなさっていたけれど、昔が思い出されるご対面に、若かった当時のことも遠い日の出来事ではない感じがして、気丈な態度を貫きなさることができない。・・・

 

夜が更けてゆく。朧月夜の二条の宮の住まいは、かつて二人が出会った藤花の宴が催された場。弘徽殿大后が在世中の賑やかさと比べると、打って変わった寂しさで、時の推移を実感させる。源氏は分別がある落ち着いた態度だが、朧月夜との間を隔てる障子は除こうとする。歌を贈答し、朧月夜は逢瀬を拒否するが、源氏の須磨流謫という大事件も発端は自分に原因があったのだと思うと、もう一度対面してもよいという気持ちが生じる。源氏との関係に後悔もあり、自重していたが、若かりし当時のことを思い出し、気丈に源氏を拒否し通すことができない。

 

吉田暁氏・花の宴の朧月夜

 

 

◎和歌と引き歌を抜き出す。

☆玉藻に遊ぶ鴛鴦の声々など・・・以下の歌の「にほどり」を夫婦仲の良い「鴛鴦」に替え、「あはれに」聞こえる素地とする。

『後撰集』

「72 春の池の 玉もに遊ぶ にほどりの あしのいとなき こひもするかな」

 

源氏の歌

年月を なかにへだてて 逢坂の さもせきがたく 落つる涙か

・・・長い年月を間に隔ててやっとお逢いできますのに、このような障子の隔てがあっては、本当にまあ悲しくて、堰きとめがたく涙が落ちることですよ。・・・
①「逢坂」・・・「逢」に「逢ふ」を掛ける。

『後撰集』

「1089 これやこの ゆくも帰るも 別れつつ しるもしらぬも あふさかの関」

②「せき」・・・「堰き」に「関」を掛ける。「関」は「逢坂」の縁語。

『能宣集』

「58 あふさかの せきもとどめず なりぬれば これよりこゆる ものおもひぞなき」

『増基集』

「29 雪とみる 身はうきからに あふ坂の もあへぬは 涙なりけり」

③「落つる涙か」

『古今集』

「809 つれなきを 今はこひぢと おもへども 心よわくも おつる涙か

『後撰集』

「847 君見ずて いく世へぬらん 年月の ふるとともにも おつるなみだか

 

朧月夜の返歌

☆涙のみ せきとめがたき 清水にて 行き逢ふ道は はやく絶えにき

・・・私も涙だけは、逢坂の関の清水のように堰き止めることができず、お逢いする道はもうとっくに水没して絶え果ててしまいました。・・・

①「せきとめがたき」・・・「せき(堰き)」に「関」を掛ける。上記参照。

②「清水」・・・逢坂の関にあった有名な清水。

『拾遺集』

「170 あふさかの 関のし水に 影見えて 今やひくらん もち月の こま」

『古今和歌六帖』

「2649

③「逢ふ道」・・・「近江路」を掛ける。

『源氏物語』

「272 わくらばに 行きあふみちを たのみしも なほかひなしや しほならぬ海」

④「関」「清水」「近江路」は縁語。

 

「逢坂の関」を核とした贈答歌で、源氏は、今、二人の間を隔てている障子を逢坂の関に見立て、これまで時も隔ててきたのに、この隔てがあっては、逢坂の「関」ではないが「堰き」止めがたく、悲しみの涙が流れると訴え、障子を動かし逢瀬を求めるが、朧月夜は、逢坂の関の名水の清水のように涙が溢れて、二人が逢う道はもう水没してなくなっていると、逢瀬を拒否する。

 

 

おまけ

 

医大プロジェクトチームの研究に参加して下さった被験者の皆様のご尽力と、

ネンタ医師の困っている患者様を何とかして救いたいという熱意と、

被験者様に集まっていただこうとして開設したこの拙ブログの存在も少しばかり貢献して実現した論文

 

国際科学雑誌 「PLOS ONE 」の論文

「Brain Regions Responsible for Tinnitus Distress and Loudness: A Resting-State fMRI Study」

https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0067778

 

二報目

https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0137291

  sofashiroihana