ようこそのお運びで。風雅な花を見ても、なぜ一人で・・という不条理をいつも抱えている。
「影をのみ みたらし川の つれなきに 身のうきほどぞ いとど知らるる」(源氏物語・葵)六条御息所をめぐる歌①
◎以前より源氏の冷淡な態度に悩んでいた六条御息所は、娘が斎宮に卜定されたのを機に、共に伊勢へ下向すべきか迷っている。思い乱れる心を慰めようと、賀茂祭の御禊の日、行列に供奉する源氏を見ようとし、お忍びで出かけた。しかし、遅く出発した葵の上の車一行が、強引に見物車を押しのけている中、動こうとしない六条御息所の供人と、葵の上の供人との間で、場所取りの車争いが起きる。
◎つひに、御車ども立て続けつれば、ひとだまひの奥におしやられて物も見えず。心やましきをばさるものにて、かかるやつれをそれと知られぬるが、いみじうねたきこと限りなし。榻などもみな押し折られて、すずろなる車の筒にうちかけたれば、またなう人わろく、悔しう何に来つらむと思ふにかひなし。ものも見で帰らんとしたまへど、通り出でん隙もなきに、「事なりぬ」と言へば、さすがにつらき人の御前渡りの待たるるも心弱しや、
☆笹の隈にだにあらねばにや、
つれなく過ぎたまふにつけても、なかなか御心づくしなり。げに、常よりも好みととのへたる車どもの、我も我もと乗りこぼれたる下簾の隙間どもも、さらぬ顔なれど、ほほ笑みつつ後目にとどめたまふもあり。大殿のはしるければ、まめだちて渡りたまふ。御供の人々うちかしこまり心ばへありつつ渡るを、おし消たれたるありさまこよなう思さる。
☆影をのみ みたらし川の つれなきに 身のうきほどぞ いとど知らるる
と、涙のこぼるるを人の見るもはしたなけれど、目もあやなる御さま容貌のいとどしう出でばえを見ざらましかばと思さる。
・・・とうとう(葵の上側は)御車の列を乗りいれてしまったので、(六条御息所の御車は)お供の車の奥に押しやられて何も見えない。不快なのは勿論のこと、このようなお忍び姿を自分と知られたことが、ひどく悔しいこと、この上ない。榻などもみな押し折られて、思いがけない車の筒に轅を掛けてあるので、またとなく体裁が悪く、悔しいことにどうして来たのだろうと思っても甲斐がない。行列も見ないで帰ろうとなさったけれど、通り出る隙間もない上、「行列がやってきた」と言うので、そうはいってもやはり冷淡なあの方のご通過が心待ちされるのも、心の弱いことよ。
☆「笹の隈」でさえないからであろうか、
素知らぬ様子で通過なさるのにつけても、かえって物思いを尽くさせることである。いかにも、普段よりも趣向を凝らした多くの車の、我も我もと乗り込んで、袖口がこぼれ出ている下簾の隅間に対しても、さりげない顔ではあるが、微笑みながら流し目を送っているのもある。左大臣家の車はすぐにそれと分かるので、真面目な顔で通過なさる。お供の人々もかしこまって敬意を示しながら通過するので、(六条御息所は)圧倒されたみじめなありさまをこの上なく思い知らされずにはいられない。
☆影をのみ みたらし川の つれなきに 身のうきほどぞ いとど知らるる
と、涙がこぼれるのを人が見るのも体裁が悪いけれど、目にも眩しいご様子ご容貌が晴れの場でますます映えるのをもし見なかったなら残念だっただろうにと思いなさる。・・・
葵の上一行の車に押しやられて六条御息所の車は女房車の奥になり、不快な上に、微行の姿を自分と知られたのが屈辱的である。車も壊された。それでも源氏の姿を一目見たくて、行列を心待ちにしてしまう。源氏は葵の上の車の前では敬意を表した。源氏に素通りされた六条御息所は、敗北感に惨めな気持ちになる。それでも晴れの場で一層映える源氏の美しい姿を見なかったなら残念であったろうと思わずにいられない。
車争い (作者不明)
◎和歌と引き歌を抜き出し、検討する。
☆笹の隈にだにあらねばにや、・・・「笹の隈」は以下の歌の引き歌
『古今集』
「1080 ささのくま ひのくま河に こまとめて しばし水かへ かげをだに見む」
・・・檜の隈皮のほとりに馬を止めて、しばらくの間、水を飲ませてあげて下さい。その間、あなたのお姿だけでも見たいのです。・・・
六条御息所は今、女房の車の奥、即ち「隈」に押しやられている。同じ「隈」でも「笹の隈」なら、あの方が馬を止めてくれるだろうが、私は「笹の隈」でさえないからであろうか、と源氏が素通りする訳を自虐的に推量している。
☆影をのみ みたらし川の つれなきに 身のうきほどぞ いとど知らるる
・・・お姿を拝見しただけのあの方の冷たいお仕打ちに、我が身のつらさがますます思い知らされること。・・・
①「影」は「姿」と「水に映る影」の掛詞。
『後撰集』
「520 世とともに あぶくま河の とほければ そこなる影を みぬぞわびしき」
『後撰集』
「801 関こえて あはづのもりの あはずとも し水にみえし かげをわするな」
②「みたらし川」・・・神社の近くを流れている川。参拝者が手を洗い、口を漱ぎ、身を清める。
・「み」に「見」を掛ける。
『新古今集』
「1888 年をへて うきかげをのみ みたらしの かはるよもなき 身をいかにせん」
・ここでは「みたらし川」は、源氏の喩え。
③「つれなきに」・・・「つれなし」は「冷淡だ」。
④「うき」は「憂き」と「浮き」との掛詞。
『古今集』
「792 水のあわの きえてうき身と いひながら 流れて猶も たのまるるかな」
『後撰集』
「490 冬の池の 水にながるる あしがもの うきねながらに いくよへぬらん」
⑤「影」「浮き」は「川」の縁語。
『古今和歌六帖』
「1536 今さらに さらしな川の ながれても うきかげ見せん 物ならなくに」
引き歌にした「笹の隈」の元歌に「せめてあの方の姿だけでも見ていたい」とあったが、その歌のように六条御息所は源氏の姿をよそながら見ただけだった。葵の上には礼を尽くす源氏は、六条御息所に対しては、素通りして目もくれなかった。この冷淡な仕打ちに惨めさ・屈辱感がいよいよ募る六条御息所だった。
おまけ
医大プロジェクトチームの研究に参加して下さった被験者の皆様のご尽力と、
ネンタ医師の困っている患者様を何とかして救いたいという熱意と、
被験者様に集まっていただこうとして開設したこの拙ブログの存在も少しばかり貢献して実現した論文
国際科学雑誌 「PLOS ONE 」の論文
「Brain Regions Responsible for Tinnitus Distress and Loudness: A Resting-State fMRI Study」
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0067778
二報目
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0137291
sofashiroihana