ようこそのお運びで。一人ぼっちで蟄居していると、空虚感と孤独感に押し潰されそうになり、呼吸困難になり、激痛が悪化する。感情は全部封殺するしかない。「私は何も感じません」と自己暗示をかける。その反動が全部悪夢として凝縮され、眠れたものではない。もともと感情が激しいのに封殺できる訳ないのだ。負の感情まみれだ。最近は、純粋な青年を絶望させたと思われる理不尽で不正にまみれたある組織への憤りまで。もっとも、その組織には衰退しか待ち受けていないだろうけど。

◎京都・祇園祭。その2

◇山鉾巡行の続き

「郭巨山」中国・後漢の郭巨が、家が貧しく老母が食を控えるのを見て、子を埋めて殺してでも母を飢えないように穴を掘ったら、天が賞賛して、黄金の釜を土中から得させたという「郭巨得釜」の故事に基づく。

 

「函谷鉾」中国の戦国時代の斉の宰相・孟嘗君が家来に鶏の鳴き真似をさせて函谷関の門を開かせ脱出したという「鶏鳴狗盗」の故事に基づく。

 

 

 

 

 

「白楽天山」中国・唐の詩人・白楽天が、老松の上に住んでいる道林禅師を訪ねて行き、仏法の大意を教授されるところ。


 

「四条傘鉾」傘鉾は、儀式用の矛に傘をつけたもの。神の仮のお姿として祀られる。「棒振り踊り」は、素戔嗚尊が大蛇を退治した際、鬼たちが尊に従って尊を見送ったさまという。

 

 

「油天神山」油小路に祀られる天神を勧請した山。松とともに道真ゆかりの紅梅が立てられる。

 

 

「月鉾」鉾頭に三日月。真木の中ほどに月読尊を祀る。

 

 

 

草花の絵は円山応挙、彫刻は左甚五郎

 


 

「蟷螂山」南北朝時代、足利義詮軍に立ち向かった公卿・四条隆資の戦いぶりを「蟷螂の斧」の故事に喩えた。

 

 

「山伏山」地震で倒壊しかかった八坂の塔を法力で直した浄蔵貴所の大峯入りの山伏姿がご神体。

 

 

「霰天神山」永正年間(1504~1520)、京都大火の際、霰が降り火が消え、その時、天神像が降ってきたのを祀ったのが由来。

 

「鶏鉾」中国古代、唐堯の時代は平和で、太鼓も不用になり、苔が生え、鶏が宿ったという故事による。

 

三角の中の円形は鶏卵が太鼓の中にある意味

 

 

 

 

お題

「竹河の はしうちいでし ひとふしに 深き心の そこは知りきや」

             (源氏物語・竹河)玉鬘をめぐる歌㉟

 

◎薫(源侍従・四位侍従)・籐侍従・蔵人の少将が玉鬘邸の酒宴で「竹河」を謡った翌朝のことである。

 

源氏物語絵巻・竹河一(復元模写)・いづつやの文化記号より

 

 

朝に、四位侍従のもとより、主人の侍従のもとに、「昨夜は、いと乱りがはしかりしを、人びといかに見たまひけん」と、見たまへと思しう仮名がちに書きて、端に
 「☆竹河の はしうちいでし ひとふしに 深き心の そこは知りきや」
と書きたり。寝殿に持て参りて、これかれ見たまふ。「手なども、いとをかしうもあるかな。いかなる人、今よりかくととのひたらむ。幼くて、院にも後れたてまつり、母宮のしどけなう生ほしたてたまへれど、なほ人にはまさるべきにこそはあめれ」とて、尚侍の君は、この君たちの手などあしきことを辱めたまふ。返り事、げに、いと若く、
 「昨夜は、水駅をなむ、咎めきこゆめりし。
  ☆竹河に 夜を更かさじと いそぎしも いかなるふしを 思ひおかまし」
げにこのふしをはじめにて、この君の御曹司におはして、けしきばみよる。少将の推しはかりしもしるく、皆人心寄せたり。侍従の君も、若き心地に、近きゆかりにて明け暮れ睦びまほしう思ひけり。

・・・翌朝に、四位侍従(源侍従・薫)のもとから、邸の侍従(籐侍従・玉蔓の息子)のもとに、「昨夜は、ひどく見苦しく酔ったようだが、皆様はどのように御覧になったでしょうか」と、(玉蔓や姫君たちにも)御覧下さいとのおつもりで、仮名がちに書いて、端に
 「☆竹河の はしうちいでし ひとふしに 深き心の そこは知りきや
と書いてある。(籐侍従が)寝殿に持って上がって、皆が御覧になる。
 「筆跡なども、とても美しくていらっしゃいますこと。どのような果報の方が、お若い今からこのように整っているのでしょう。幼くて、父院(源氏)に先立たれ申しあげ、母宮(女三宮)がしまりなくお育て申しあげなさったが、やはり人に優る運命でいらっしゃるのでしょう」と言って、尚侍の君(玉蔓)は、自分の子供たちの、筆跡などが拙劣であることをたしなめなさる。籐侍従の返事は、本当に、たいそう未熟な字で、
 「昨夜は、水駅(簡単なご接待なのに長居してしまって)とおっしゃって(お早く)お帰りになったことを、当方では不満に思い申し上げていたようです。
  ☆竹河に 夜を更かさじと いそぎしも いかなるふしを 思ひおかまし

なるほど、この「ふし」をきっかけとして、(薫は)この君(籐侍従)のお部屋にいらっしゃって、(姫君に)気のある態度で振る舞う。蔵人の少将が予想していた通り、お邸の誰もが(薫に)好意を寄せている。侍従の君(籐侍従)も、若いお心に、近い縁者として、明け暮れ(薫と)親しくしていたいと思ったのであった。・・・

 

翌朝、薫は姫君たちが読むことも視野に入れた手紙を贈る。父の源氏にも先立たれ、母の女三宮はしっかりした方ではなかったが、薫は何事も整い、筆跡も美しい。催馬楽「竹河」の「節」(一節)に絡めた歌を藤侍従と贈答する。この「節」(きっかけ)から薫は藤侍従の部屋に来訪して姫君に好意を抱いているように振る舞う。

 

 

中谷文魚氏「紅梅」

 

 

◎贈答歌を取り出す。

 

薫の歌

竹河の はしうちいでし ひとふしに 深き心の そこは知りきや

・・・「竹河のはし(橋)・・・」と謡い出しましたその一節に、私の姫君を思う深い心の底をお分かりいただけたでしょうか。・・・

①「竹河のはし」・・・「はし」は「橋」に、歌の直前にあった「端」を掛ける。

②「ひとふし」・・・「節(ふし)」は竹河の「竹」と縁語関係。

☆『古今集』

「958 世にふれば 事のはしげき くれの うきふしごとに 鶯ぞなく」

☆『後撰集』

「1185 ひとふしに 怨みなはてそ 笛の こゑの内にも 思ふ心あり」

 

源氏物語六百仙・薫

 

藤侍従の返歌

☆竹河に 夜を更かさじと いそぎしも いかなるふしを 思ひおかまし

・・・竹河を謡われたことで、夜を更かすまいと急いで帰宅なさったことにつけましても、一体「竹河」のどのような一節をお察ししておけばよかったのでしょうか、わかりかねます。・・・

①「夜」に「節」(よ・竹の節と節との間)を掛ける。

☆『宇津保物語』

「820 もろともに ふしのみあかし くれ竹の ごとにつゆの おきて行くらん」

「竹」・「節(よ)」・「節(ふし)」は縁語。

☆『竹取物語』

「5 呉の 世世たけとり 野山にも さやはわびしき ふしをのみ見し」

②「思ひおかまし」・・・「まし」は実現不可能なことへの希望(~たらよかったのに)

 

源氏物語六百仙・籐侍従

 

薫は「竹河」を謡ったことで、その一節に「花園に はれ 花園に 我をば放てや 少女(めざし)たぐへて」とあることから、姫君を思う深い心の内を悟ってくれたかと問うたが、藤侍従は、姫君への求婚の意志がおありなら夜更けまで邸にいたはずで、急いで帰られたのは竹河のどの一節を察したらよいのか分かりませんと、怪訝に思う気持ちを返歌に詠む。

 

 

 

おまけ

 

医大プロジェクトチームの研究に参加して下さった被験者の皆様のご尽力と、

ネンタ医師の困っている患者様を何とかして救いたいという熱意と、

被験者様に集まっていただこうとして開設したこの拙ブログの存在も少しばかり貢献して実現した論文

 

国際科学雑誌 「PLOS ONE 」の論文

「Brain Regions Responsible for Tinnitus Distress and Loudness: A Resting-State fMRI Study」

https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0067778

 

二報目

https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0137291

 

 

  sofashiroihana