ようこそのお運びで。チケットが奇跡的に当選した羽生の君の出演するアイスショーを静岡まで見に行った。ご本人を拝見するのは亡き夫と行ったソチ五輪直後のショー以来。美の権化、かつ人間性と知性を尊敬している。私が羽生の君のことを語るのを夫は「へえ、君でも男子に夢中になることがあるんだね」などと面白がっていたことを思い出す。

◎6月24日、静岡で開催されたFaOI。開演前の様子。

 

 

※下は借り物。田口有史氏のお写真。「レゾン」

 

※以下は、5月初旬の拙写真

◎京都・上御霊神社のいちはつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

◎京都・北野天満宮御土居の新緑。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お題

「おなじ巣に かへりしかひの 見えぬかな いかなる人か 手ににぎるらん」

         (源氏物語・真木柱)玉蔓をめぐる歌㉛

 

◎玉蔓は、不本意にも夫になった髭黒右大将の邸に連れていかれ、そこで暮らすことになる。源氏とは会えなくなってしまった。

 

鴨(かり)の卵(こ)のいと多かるを御覧じて、柑子、橘などやうに紛らはして、わざとならず奉れたまふ。御文は、あまり人もぞ目立つるなど思して、すくよかに、
 「おぼつかなき月日も重なりぬるを、思はずなる御もてなしなりと恨みきこゆるも、御心ひとつにのみはあるまじう聞きはべれば、ことなるついでならでは、対面の難からむを、口惜しう思ひたまふる」など、親めき書きたまひて、
 「☆おなじ巣に かへりしかひの 見えぬかな いかなる人か 手ににぎるらん
 などかさしもなど、心やましうなん」
などあるを、大将も見たまひて、うち笑ひて、「女は、実の親の御あたりにも、たはやすくうち渡り見えたてまつりたまはむこと、ついでなくてあるべきことにあらず。まして、なぞ、この大臣の、をりをり思ひ放たず、恨み言はしたまふ」 と、つぶやくも、憎しと聞きたまふ。「御返り、ここにはえ聞こえじ」と、書きにくくおぼいたれば、「まろ聞こえむ」と代はるも、かたはらいたしや。
 「☆巣がくれて 数にもあらぬ かりのこを いづ方にかは とりかへすべき
 よろしからぬ御気色におどろきて。すきずきしや」
と聞こえたまへり。「この大将の、かかるはかなしごと言ひたるも、まだこそ聞かざりつれ。めづらしう」とて笑ひたまふ。心の中には、かく領じたるを、いとからしと思す。

・・・(源氏は)鴨の卵がたいへん多くあるのを御覧になって、柑子や、橘などのように取り繕って、不自然ではないようにして(玉蔓に)差し上げなさる。お手紙は、あまり人目に立ってはいけないなどとお思いになって、あっさりと「お目にかからない月日も重なりましたが、心外なお扱いだとお恨み申し上げても、あなたの御一存からではないと聞いておりますので、格別な機会がなくては、お目にかかることが難しいのを、残念に思っています」などと、親ぶって書きなさって、
 「☆おなじ巣に かへりしかひの 見えぬかな いかなる人か 手ににぎるらん

どうしてこうまで疎遠になどと、心穏やかではなく存じます。」
などとあるのを、大将(=髭黒の右大将)も御覧になって、苦笑して「女は、実の親の所にも、気軽に行ってお姿をお見せになることは、機会がなくてはするべきことではありません。まして、どうして、この大臣は、(実の親でもないのに)たびたび諦めずに、恨み言をおっしゃるのか」と、ぶつぶつ言うのも、(玉蔓は)憎らしいとお聞きになる。(玉蔓が)「お返事は、私は申し上げることができません」と書きにくくお思いになっていると、(大将が)「私が申し上げよう」と替わるのも、苦々しい気持ちである。
 「☆巣がくれて 数にもあらぬ かりのこを いづ方にかは とりかへすべき

ご機嫌がよろしくないご様子に驚きまして。物好きめいていましょうか」と申し上げなさった。「この大将が、このような風流めいた歌を詠んだことなど、いまだ聞いたことがない。めったにないことだ」と言って、(源氏は)苦笑なさる。心の内では、このように玉蔓を独占しているのを、とても気にそまないとお思いになっている。・・・

 

源氏は「鴨(かり)の卵(こ)」に装飾を施し、みかんや橘のような見せかけにし、「仮の子」の意を込め玉蔓に贈り、面会できないことを残遠がる手紙を添える。右大将はその手紙を見、「女は実の親にも用事の無い限り会えない」と戒め、源氏の未練に不満を漏らす。玉蔓はそれが気に入らない。玉蔓が返歌に躊躇していると、右大将がかわりに返歌をつけてしまう。それも玉蔓には苦々しい。返歌をもらった源氏は右大将の玉蔓独占宣言に苦笑いをし、不愉快に思う。

 

鴨の卵。大きさは鶏とほぼ同じ。「世界雑学ノート」より

 

◎歌を取り出し、検討する。

 

源氏の歌 

☆おなじ巣に かへりしかひの 見えぬかな いかなる人か 手ににぎるらん

・・・折角、同じ巣で孵った卵――同じ六条院で育った甲斐――が見えないことです。一体、どのような方が手に握っていらっしゃるのでしょう。・・・

 

①「おなじ巣」・・・六条院を指す。
②「かへりしかひ」・・・「かへり」は「孵り」、「かひ」は「甲斐」と「卵(かひ)」の掛詞。
☆『古今和歌六帖』
「4342 とりのこは かへりてのちぞ なかれける 身のかひなきを おもひしりつつ」
☆『宇津保物語』
「735 かへりてぞ ちよも見るべき かひのなかに こもれるたづは いくよふべきぞ」

③「いかなる人か」・・・右大将を暗示。

 

表面的には、同じ巣で孵った卵は、今、誰の手中にあるのかと詠んでいるが、実質的には、贈った「鴨(かり)の卵(こ)」に関連付けて、「卵」(かひ)・「甲斐」の掛詞を用い、六条院で育てた甲斐もなく、玉蔓と面会もできなくなったのは、玉蔓が誰の手中にあるからなのかと詠んでいる。つまり、玉蔓を独占している右大将への不満がこもった歌。

 

エッグアート・周南経済新聞

 

右大将の代作返歌

☆巣がくれて 数にもあらぬ かりのこを いづ方にかは とりかへすべき

・・・巣の端に隠れて、子の数にも入れてもらえない鴨(かり)の子――仮りの子――を、どのような方が取り返すことができましょうか。・・・

 

①「巣がくれて」・・・巣の端に隠れて。

②「数にもあらぬ」・・・数の内にも入らない。

③「かりのこ」・・・「鴨(かり)の子」と「仮りの子」との掛詞

☆『宇津保物語』

「25 かひのうちに 命こめたる かりのこは 君がやどにて かへさざるらん」要確認

☆『忠見集』

「      かりのこをたてまつるとて

156 をさなくて おやとなれたる かりのこを みやだてしても おもふべきかな」

 

源氏が「仮の子」の意味を込めて「鴨(かり)の卵(こ)」を贈ったことを見抜き、源氏にとって、玉蔓は「実の子」の内に入らぬ「仮の子」に過ぎない。その「仮の子」を実父でもない人物は取り返すことはできないと、玉蔓に未練を示す源氏の思いを一蹴する返歌となっている。

 

源氏物語六百仙

 

 

 

 

おまけ

 

医大プロジェクトチームの研究に参加して下さった被験者の皆様のご尽力と、

ネンタ医師の困っている患者様を何とかして救いたいという熱意と、

被験者様に集まっていただこうとして開設したこの拙ブログの存在も少しばかり貢献して実現した論文

 

国際科学雑誌 「PLOS ONE 」の論文

「Brain Regions Responsible for Tinnitus Distress and Loudness: A Resting-State fMRI Study」

https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0067778

 

二報目

https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0137291

 

 

  sofashiroihana