ようこそのお運びで。「孤悲に憑かれた」(孤独の悲しみに取り憑かれた)女ひとり。行き交う楽しげな家族・恋人たちを見るたび、なぜ私は一人なのか、理不尽でやりきれない。「世の中をなに嘆かまし 山桜花見るほどの心なりせば」(紫式部)。一瞬でもこの「心」を得たいと思う。拙写真は四月上旬のもの。

 

◎京都・祇園白川の艶なる桜たち。

 

 

 

 

 

 

見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける

 

 

 

 

 

 

◎京都・哲学の道。花筏を形成する桜たち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お題

「妹背山 深き道をば たづねずて をだえの橋に ふみまどひける」

       (源氏物語・藤袴)玉鬘めぐる歌⑳

 

◎玉鬘は実は源氏の娘ではなく、内大臣(かつての頭中将)の娘だった。これにより最も困惑したのは、玉鬘に熱心に恋文を送っていた柏木であろう。柏木は内大臣の長男。玉鬘は実の姉だったのである。事実が判明するや、柏木の玉蔓への音信はぷっつりと途絶えていたが、内大臣の使者として訪れることになった。姉弟とのことは、世間には大々的に公表しているわけではないから、柏木は相も変わらず、忍ぶ恋人のように現れる。月の明るい夜、柏木は桂の木の陰に隠れるようにして訪れる。

 

桂(庭木図鑑)

 

柏木の言葉は、宰相の君という女房が取り次ぎをして玉鬘に伝える。よそよそしい応対に、柏木の不満は募り、玉鬘に恨み言を述べる。それに対し、玉鬘は生真面目に返答する。

 

 「いでや、をこがましきことも、えぞ聞こえさせぬや。いづ方につけても、あはれをば御覧じ過ぐすべくやはありけると、いよいよ恨めしさも添ひはべるかな。まづは今宵などの御もてなしよ。北面だつ方に召し入れて、君達こそめざましくも思し召さめ、下仕へなどやうの人びととだにうち語らはばや。またかかるやうはあらじかし。さまざまにめづらしき世なりかし」 とうち傾きつつ、恨み続けたるもをかしければ、かくなむと聞こゆ。 「げに、人聞きを、うちつけなるやうにやと憚りはべるほどに、年ごろの埋れいたさをも、あきらめはべらぬは、いとなかなかなること多くなむ」 とただすくよかに聞こえなしたまふに、まばゆくて、よろづ押しこめたり。
 「☆妹背山 深き道をば たづねずて をだえ(緒絶)の橋に ふみまどひける

よ」
 と恨むるも人やりならず。
 「☆まどひける 道をば知らで 妹背山 たどたどしくぞ たれもふみみし」
 

・・・「いやもう、、馬鹿げた手紙も、差し上げられないことです。姉弟であるにしろ、他人であるにしろ、わたし真心のこもった言葉を知らないふりをなさってよいものかと、ますます恨めしい気持ちが増してくることです。第一に、今夜などの、このお扱いぶりですよ。奥向きといったようなお部屋に招き入れては、あなたたち(玉鬘や宰相の君)は心外だと思われるでしょうが、せめて下女のような人たちとだけでも、親しく話をしてみたいものです。他ではこのようなよそよそしい扱いは受けまい。いろいろと珍しい間柄ですね」 と、首を傾けながら、恨みごとを言い続けているのも(宰相の君には)おもしろいので、これこれと(玉鬘に)申し上げる。 「本当に、他人の手前、(姉弟とわかった途端、親しくして)急な態度の変わりようだと言われはしまいかと遠慮していますので、長年、(肉親なのに没交渉で)こころに押し込めていた苦しさを、打ち明けることができませんのは、かえってとてもつらいことが多うございます」 と、ただ生真面目にお答え申しあげなさるので、(柏木は)きまり悪くて、それ以上は言葉をのむのだった。
「☆妹背山 深き道をば たづねずて をだえ(緒絶)の橋に ふみまどひける

よ」
と恨むのも、自分から招いた結果である。
「☆まどひける 道をば知らで 妹背山 たどたどしくぞ たれもふみみし」・・・

 


源氏物語六百仙 姉と弟 

 

 

◎和歌を取り出し、検討する。

柏木の歌

☆妹背山 深き道をば たづねずて をだえ(緒絶)の橋に ふみまどひけるよ

・・・本当は実の姉弟だという深い事情を調べることなく、絶えがちな緒絶の橋に踏み迷ったように、恋文を送って、いつ絶えるかわからない恋の道に踏み迷ってしまいましたよ。・・・

 

①妹背山・・・紀伊国にある歌枕。船岡山を間に挟み、紀の川の両岸に妹山と背山が相対している。

「妹背」は、ここでは夫婦ではなく、「姉・弟」を指す。

 

       「国土交通省」のページから。真中が船岡山。
                           

②深き道をばたづねずて・・・本当は、姉弟だという深い事情を探ることなく。

③をだえ(緒絶)の橋にふみ迷ひけるよ・・・「緒絶の橋」は陸奥の歌枕。本来は、『万葉集』の「白玉之緒絶者信(しらたまのをだえはまこと)・・・」の「者信」を平安期に「はし」と誤読したことから生まれた歌枕だという説もある。「緒絶」の名から絶えがちな恋を象徴する歌語となる「ふみ」は「踏み」と「文」との掛詞。例を挙げる。

☆『後拾遺集』より  左京大夫未道雅

751「みちのくの をだえのはしや これならん ふみみふまずみ 心まどわす」

・・・みちのくにある緒絶えの橋とはこのようなものであろうか。絶えがちな橋なので、踏んだり踏まなかったりするが、それと同じように、文を見たり見なかったりして、こころを惑わせることだ。・・・

 

姉弟とは知らず、恋の道に踏み迷ったことを自嘲的に詠む。歌中に紀伊国の「妹背山」と陸奥国の「緒絶えの橋」という、遙か遠くに隔たった歌枕を詠みこんでいるが、まるで、姉弟という事実と恋の道に踏み込む行為の大きな隔たりを象徴しているかのようである。

 

玉鬘の返歌

☆まどひける 道をば知らで 妹背山 たどたどしくぞ たれもふみみし」 

・・・あなたが恋の道に踏み迷っているとも存じ上げずに、実の姉弟なのにどういうことなのかはっきりわからずにお便りを拝見していました。・・・

 

①まどひける道・・・柏木の踏み迷っている恋の道。

②妹背山・・・柏木の歌と同じく、「姉・弟」を指す。

③たどたどしくも・・・はっきりしないながらも。

④「ふみ」・・・柏木の歌と同じく、「踏み」「文」の掛詞。

 

柏木が恋の道に踏み惑っていたと気づかず、姉弟なのに不可解な文を送ってくると拝見していたと返す。返歌の中に柏木を咎める言葉はない。また、「われもふみ見し」と表現するべきところを、「誰もふみ見し」と表現することで、よく分からないままに迷い道を「ふみ見る」のは誰も同じですよとも読め、柏木を慰めているような優しさを感じさせる。

                                                                                      続く

 

 

おまけ

 

医大プロジェクトチームの研究に参加して下さった被験者の皆様のご尽力と、

ネンタ医師の困っている患者様を何とかして救いたいという熱意と、

被験者様に集まっていただこうとして開設したこの拙ブログの存在も少しばかり貢献して実現した論文

 

国際科学雑誌 「PLOS ONE 」の論文

「Brain Regions Responsible for Tinnitus Distress and Loudness: A Resting-State fMRI Study」

https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0067778

 

二報目

https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0137291

 

 

  sofashiroihana