ようこそのお運びで。お久しぶりでございます。実は、まだ体調絶不調。5つの診療科に通院中で、激痛も相変わらず。今週末のMRIを終えないと、痛みの治療も進められません。激痛を抱えてまで生きる意味があるのかと、気力が無くなります。一人ぼっちなので具合が悪くても誰にも気づいてもらえず、極端に言うと、本当に明日は来るのかという怯えもあり、今書きたいことは今書かねばと追い詰められた気持ちまで生じます。そこで痛みを我慢しながら、記事を一つ作りました。拙写真はふらふら歩いて撮ったご近所早春の景です。

 

 

 

 

 

 

 

                         ↓左に羽ばたくメジロが幻のように写っている。

 

 

 

 

 

 

                        

◎「見しをりの つゆわすられぬ 朝顔の 花のさかりは 過ぎやしぬらん」の謎と田渕句美子氏の明快な御論文

 


◇『源氏物語』「朝顔」の巻より

心やましくて立ち出でたまひぬるは、まして、寝ざめがちに思しつづけらる。とく御格子まゐらせたまひて、 朝霧をながめたまふ。枯れたる花どもの中に、朝顔のこれかれに這ひまつはれて、あるかなきかに咲きて、にほひもことに変れるを、折らせたまひて 奉れたまふ。
  「けざやかなりし御もてなしに、人わろき心地しはべりて、後手(うしろで)もいとどいかが御覧じけむ            
   と、ねたく。されど、 
      ☆見しをりの つゆわすられぬ 朝顔の 花のさかりは 過ぎやしぬらん
   年ごろの積もりも、あはれとばかりは、さりとも思し知るらむやとなむ、かつは」
など聞こえたまへり。おとなびたる御文の心ばへに、「おぼつかなからむも見知らぬやうにや」と思し、人々も御硯とりまかなひて聞こゆれば、
  「   ☆秋はてて 霧のまがきに むすぼほれ   あるかなきかに うつる朝顔  
   似つかはしき御よそへにつけても、露けく」

とのみあるは、 何のをかしきふしもなきを、いかなるにか、置きがたく御覧ずめり。


・・・心満たされずにお帰りになった(源氏の君は)、以前にもまして、夜も目覚めがちに思い続けなさる。朝早く格子を上げさせなさって、朝霧を物思いに沈みながら御覧になる。枯れた花々の中に、朝顔があれこれ這いまつわって、あるかなきかの様子で咲いて美しさも格別に色褪せているのを、折らせなさって(姫君に)さしあげなさる。  「きっぱりと撥ねのけなさったお扱いに、体裁の悪い感じがしまして、みじめな私の後姿をどのように御覧になっただろうかと思うと、いまいましくて。そうではあるが、
    ☆見しをりの つゆわすられぬ 朝顔の 花のさかりは 過ぎやしぬらん

長年お慕い続けてきたことも、かわいそうにとぐらいは、いくらなんでもご承知くださっているだろうかと、一方では期待されて」などと申しあげなさった。[おとなびたる]お手紙の風情に、「お返事をせずにお気を揉ませなさることになっては、情愛を知らないようであろうか」と(姫君は)お思いになり、人々も御硯を準備しておすすめ申しあげるので、

    ☆「秋はてて 霧のまがきに むすぼほれ   あるかなきかに うつる朝顔

この私に似つかわしい御たとえにつけても、露の涙がこぼれて」

とだけ書いてあるのは、何の面白い趣向もないのに、どういうわけであろうか、下にも置きがたく御覧になるようだ。・・・

 


朝顔の姫君(斎院)は、父の桃園式部卿宮の薨去により、斎院を退下し、故父宮の邸で暮らす。源氏はこの邸に住む姫君の叔母の見舞いにかこつけて姫君のもとに訪れる。『帚木』の巻には、源氏17歳の頃、朝顔の姫君に贈った歌が空蝉の女房たちの話題になっていたことが語られていた。今、源氏は32歳。この間、朝顔の姫君は、源氏と手紙のやり取りはするが、求愛に応じようとはしなかった。今回も直接応対してくれさえしない。悩ましい気持ちのまま退出した源氏は、翌朝、朝霧を眺め、庭のあるかなきかに咲く朝顔の中から、とりわけ色が褪せたものを選んで姫君に贈る。その時の歌が、

    ☆見しをりの つゆわすられぬ 朝顔の 花のさかりは 過ぎやしぬらん
この歌を姫君は「おとなびたる御文心ばへ」と評価し、

    ☆秋はてて 霧のまがきに むすぼほれ   あるかなきかに うつる朝顔  

の歌を返し、源氏が自分を朝顔に例えたことを「似つかわしき御よそへにつけても、露けく」と答えるのである。

 

 

◇従来、大きな疑問が提示されてきた箇所だ。


①姫君に色褪せた朝顔の花を贈り、その容貌を「朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらん」と歌に詠むのは無礼ではないか。

②それなのに、姫君は気分を害することなく、源氏の歌を「おとなびたる御文心ばへ」と高く評価し、返歌では、自分を盛りの過ぎた朝顔に例えたことを「似つかわしき御よそへ」と言う。


『源氏物語と和歌を学ぶ人のために』(加藤睦 小嶋菜温子 2007 世界思想社)を参考にすると、

①については、古注では「朝顔の姫君に枯れた花を見せることで世のはかなさを悟らせ、容色が衰える前に、源氏との逢瀬を急がせる意を含む歌」とするのが主流であったが、『玉の小櫛』によって否定される。『玉上評釈』は下の句を反語ととり、『全集』(小学館)でも「あなたが私をばかにするのは勝手だが、ご自身だって盛りを過ぎているではないか、という戯れの切り返しを、反語にも解せるように形をあいまいにしたか」とし、反語を仄めかす。 
②については、「源氏からの贈歌が表面上、恋の歌ではなかったので、朝顔の姫君から返事が得られた」(古注以来、現代に至る解釈)、歌の前後の文章も含めると「うらみ事一本ではな」い(玉上評釈)、「長年の付合いであることに感慨を催させるような、しみじみした文面なので」(集成)、源氏の贈歌は「長年にわたる交情を背景とする一種の信頼感」から発せられたものであるため(蛯澤隆司)などがある。

 

しかし、①では、色褪せた朝顔の花を贈っている以上、下の句の「や」を反語に取るのは無理だろう。また②は、全て、源氏の贈歌が姫君の容貌を盛りの過ぎた朝顔に重ねて詠んでいるという前提に立ったものだ。この前提が正しいと言えるか。

 

                         源氏物語六百仙より

 

◇この古来から今に至るまでの大きな疑問を一気に氷解に至らしめる画期的な論文が、最近発表された。
「早稲田大学大学院教育学研究科紀要第二十九号」(2019年3月)掲載の田渕句美子氏の「源氏物語の贈答歌試論―六条御息所・朝顔斎院・玉鬘など―」である。目から鱗であった。詳細は、以下で御覧いただきたい。

『源氏物語』の贈答歌試論 - Core

https://core.ac.uk › download › pdf

 

田渕氏は、

○源氏の歌の「朝顔」は「かつて逢瀬があったことを暗示するものではなく、ましてその時に見た姫君の朝の顔でもなく 、情交があったかのような戯れた詠みぶりをしているのでもない」、「見し折」は「逢瀬に限る言葉ではなく、懐旧の念が強く漂う表現である」と例を挙げて詳細に証明されている。

そして、「見し折のつゆ忘られぬ朝顔」は、「逢瀬をもったことを言うのではなく、姫君の朝の顔でもなく、景の朝顔の花であり 」、帚木の巻で暗示された「かつて姫君に歌とともに奉った朝顔か」と想像される。

 

田渕氏の源氏の贈歌の解釈

「かつて(あなたの邸にうかがった折にご一緒に)見た朝顔の花の美しさは、今も忘れられません。あなたの邸の朝顔はもうその盛りが過ぎてしまったでしょうか 。(ご覧のように私の邸の朝顔はこのように色あせて咲いているだけですが 。)」


○源氏の歌の下の句の「花の盛りは過ぎやしぬらむ」については、和歌の表現史から、「基本的に哀惜・懐旧の表現であり、女の容貌の衰えを重ねて言う例はわずかであり、それも独詠歌である。そして女の容貌の衰えを目の前にいる女、手紙を送る女に向かって詠みかけることは全くない。 『源氏物語』の場合、女は高貴な前斎院であり、いかに光源氏であっても、 朝顔姫君に対して彼女の容貌の衰えを言うことは、まずあり得ないのである」とされ、「自然の景」に「二人の間に過ぎ去った時間の長さ、遠く過ぎ去った青春の時間」を重ねていると推測されている。

 

○若き日に、姫君に朝顔を贈ってから15年、その間に「二人の日々は過ぎ去り」、「多くのできごとがあった」、「しかし、その間も源氏はかつての朝顔の花の美しい景を忘れず、二人の間に流れた時間の長さと自分の愛の永続性を、今なおあざやかに残る朝顔の記憶に重ねて訴えた」。その「穏やかで円熟した表現」が「おとなびたる御文の心ばへ」であり、「いつもは冷淡な姫君の心を動か」すのであるとされる。

 

○姫君自身が、返しの消息の歌と文で、初めて「色あせた朝顔を自分になぞらえた」のであり、「おそらくこれは贈答歌の方法である転換による切り返しであり 姫君はここで初めて、相手の言葉を利用して『朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらむ』が自分への言葉であると故意に曲解してみせ 、返しで『あるかなきかにうつる朝顔』、色あせてわずかに咲く朝顔は、まさに自分のことであると言って、切り返した」のだと言われる。

 

田渕氏の姫君の返歌の解釈

「(おっしゃる通り、花の盛りは過ぎ)秋も終わって、私の邸の霧のたちこめる垣根にからみついている朝顔は、もうあるかなきかに色あせて咲いています。」

そして、「似つかわしき御よそへにつけても、露けく」という言葉を添えて歌意を説明し、ここで初めて、色あせた朝顔はまさしく自分であるとととりなした。

 

                                同上

 

◇これまでの研究では、姫君の返事の中に、源氏が姫君を盛りを過ぎた朝顔に例えたことを、「似つかはしき御よそへ」(似つかわしい例え)と評している部分があるので、それをそのまま鵜呑みにして、源氏の歌の「朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらむ」は姫君の容貌の衰えを詠んだものだと思い込み、決めつけてきていたのだのだと思う。だから、なぜ源氏が姫君に対し無礼な表現をしたのか、その理由を見つけようと苦心してきた。しかし、盛りの過ぎた朝顔を姫君の容貌の例えだとしたのは姫君自身であって、姫君が源氏の歌を故意に曲解して切り返したのだというご指摘には、思わず膝を打って、感動してしまった。

 

 

ところで、この故意に故意に曲解して切り返すというのは、どのような和歌技法なのか。今、仮にこれを「すり替えの技法」と呼ぶが、その技法が使用されていると思われる例を捜してみたい。

 

 

 

 

◎和歌における「すり替えの技法」の、いくつかの例

 

◇「もる」の意味のすり替え


『後撰集』より

「       男のもとに、雨降る夜、傘をやりて呼びけれど、来ざりければ    よみ人しらず

☆1029 さして来(こ)と 思ひしものを 三笠山 かひなく雨の もりにけるかな

        返し

☆1030 もる目のみ あまた見ゆれば 三笠山 知る知るいかが さしてゆくべき」

       

         男のもとに、雨の降る夜、傘を送って呼んだけれど、来なかったので よみ人しらず

☆1029  送った傘をさして、私のところを目ざして来てほしいと思っていましたのに、三笠山ならぬ御傘(みかさ)のかいもなく、雨が漏れて来れなくなってしまったことですね。・・・

         返歌

☆1030  私のことを監視する目ばかりが多く見えるので、御傘をお送りいただいたことは十分に承知していますが、どうしてその傘をさして貴女のところに行けましょうか。・・・

 


   源氏物語絵巻 蓬生:傘をさす源氏      


(注)

女は「もる」を「漏る」の意で用い、男に自分のところへ来て欲しいと傘を送ったのに、来てくれなかったことを、傘のかいもなく雨が「漏れ」てきたので外出できなかったのかしら、そんなことあるかしらね?と責める。それに対し、男は「もる」を敢えて「守る」(監視する)の意にすり替えて、私の行動を監視する人が多くいるから、貴女のところに行きたいのに行けないのですよと、監視者のせいにして言い逃れるのである。

 


  中島来章 三笠山図

 

 

◇「見る」の意味のすり替え


『敦忠集』より

「     一条の君のつとめて上より下るるにさし向かひたまへれば

☆21 白露の 急ぎおきつる 朝顔を 見つともゆめよ 人に語るな

      返し

☆22 朝顔を 朝ごとに見る ものならば 君よりほかに 誰にかは言はむ」


     ・・・ 一条の君が早朝、帝の御寝所から下りてきたのに出くわしなさったので詠んだ歌

☆21 白露が急いで「置い」たように、急いで「起き」た私の朝の寝起き顔を、「見た」などと決して人に言わないでくださいね。

☆22 あなたの朝の寝起き顔を、毎朝見るような関係になったなら、「見た(契った)」などということを、あなた以外の誰に言いましょうか。・・・

 

(注)

一条の君は醍醐天皇に仕える女蔵人であったが、ご寵愛も受けていたようである。早朝、御寝所から自分の局に下がる時、藤原敦忠(藤原時平の息子。三十六歌仙の一人)と遭遇してしまった。一条の君は「朝顔」(寝起きの素顔)を敦忠に見られてしまい、自分の朝顔を「見つ(見た)」ということを口外しないように口止めする。敦忠は、「あなたの朝顔を毎朝見る関係になったなら」つまり二人が恋人の関係になったら、あなた以外に「見つ」経験をしたことは話さず、二人の秘密にしますと戯れる。この「見つ」は恋人同士が秘密にする内容で、「契りを持った」という意味。つまり、一条の君は単に視覚的な意味で「見つ」と言ったのに対し、敦忠は、その「見つ」を「契った」という、抜き差しならない状況に追い詰めるような重い意味にすり替え、この秘密は恋人同士になったら、二人の関係を人に知られたくないから、口外しませんよと言っている。

 


 藤原敦忠「あひみてののちのこころにくらぶれば 昔はものを思はざりけり」

 

実際には契っていないのに契ったと言ってしまうのは強引だが、男性が女性との関係を実態以上に深い仲だったように歌に詠むという例は散見する。例えば、『源氏物語』「賢木」では、源氏は朝顔の斎院に「かけまくは かしこけれども そのかみの 秋思ほゆる 木綿襷(ゆふだすき)かな」(言葉に出して申しあげるのも畏れ多いけれど、あの昔の秋のことが思い出される木綿襷であるよ)と、昔、秋に二人の間に何かあったかのように詠み掛け、「昔を今に」「とり返されむもののやうに」と昔、恋人だった女性とよりを戻す歌から引用した言葉を続け、「馴れ馴れしげに」深い仲であったように語りかけている。実際には源氏と朝顔の斎院は深い仲になったことはないので、朝顔の斎院は「そのかみや いかがはありし 木綿襷 心にかけて しのぶらんゆゑ」(その昔に私とあなたとの間にどんなことがあったとおっしゃるのですか。お心にかけて昔をお偲びですが)と抗議し、昔は勿論、「近き世」にはなおさら心当たりがないと源氏の言葉を退けている。

 

                             「木綿襷」

 

 

◇「ぬる」の意味のすり替え


『後撰集』より

「      大輔が後涼殿に侍りけるに、藤壺より女郎花を折りてつかはしける   右大臣

☆281 折りて見る 袖さへ濡るる 女郎花 露けきものと 今や知るらん

       返し                                          大輔

☆282 よろづよに かからむ露を 女郎花 なに思ふとか まだき濡るらん

       又                                           右大臣

☆283 おき明かす 露の夜な夜な 経にければ まだきぬるとも 思はざりけり

              返し                                           大輔

☆284 今ははや うちとけぬべき 白露の 心おくまで 夜をやへにける       


・・・    大輔が後涼殿(女御・更衣などの住む別殿)におりましたので、藤壺(右大臣の娘の中宮安子       

      の住んでいた殿舎)から女郎花を折って送った時の歌            右大臣(藤原師輔)

☆281 折って見た私の袖までも濡れた女郎花、この花が多くの露に濡れているものだと、 あなたは今、

気づいたことでしょうか。―あなたとお逢いしてから、私は、あなたへの恋心のため、涙で袖まで濡らしています。私が涙がちだということに、私の送った濡れた女郎花を手にして、あなたは今、気づいたことでしょうか。

      返歌                                           大輔

☆282 これから先ずっとこのように露に濡れることなるでしょうに、女郎花はどう思ってか、早々と濡れているのでしょう。―この女郎花は、これから先ずっと私の涙に濡れることになるでしょうに、何を思って、早々とあなたの涙に濡れたりしているのでしょう。

       又                                             右大臣

☆283  私はあなたへの恋心に苦しんで、露が「置き」ますように毎晩、朝まで「起き」明かしていましたので、早々と寝ることなど思いもしませんでした。

       返歌

☆284  あなたは、逢瀬を果たした今となってはもう私への興味も失い、私のことなど考えることもせず、ぐっすりと寝ているに違いないのに、白露が置くような早朝まで私に執心なさって夜を過ごしていると言うのですか。・・・


 https://blog.goo.ne.jp/air_cool2510/e/17623bd2b0d910db1caf06d252ecd2d5   

 

(注)

281 「折りて見る」は、大輔を我が物としたことを示す。露に濡れた女郎花は、右大臣が、大輔との逢瀬以来、大輔への恋心で涙がちな自分を例えたもの。


282 「かからむ」の「かから」は露が女郎花に「掛かる」と「かくあり」の「かかり」との掛詞。上の句では、送られた女郎花には今後ずっと露がかかり続ける、即ち、右大臣と恋仲になってしまった自分の涙がかかり続けることを暗示し、下の句では、その送られた女郎花がすでに濡れていること、即ち、送り手の右大臣の涙で早くも濡れていることを示す。


283 「おき」は「置き」と「起き」との掛詞。大輔に「まだき濡る」の意で「まだきぬる」と軽く揶揄されたことに対し、「まだきぬる」など私の思いも寄らないことですよと、「ぬる」を「濡る」から「寝(ぬ)る」の意にすり替えて反論し、同時に、大輔への恋心に苦悩するゆえに寝ることができないと訴えた。


284 この歌は、岩波新体系『後撰和歌集』では「溶けてしまう白露がそんなに早く置くほどに、もはや今は夜を重ねたのでしょうか、もはやうちとけているようにおっしゃるあなたが、私に御執心なさるほどに夜を重ねたのでしょうか。」と解釈し、『小野宮殿実頼集・九条殿師輔集全釈』(片桐洋一・関西私家集研究会 2002 風間書房)でも「溶けて消えてしまう白露が置くようになるくらい、今ははや夜を過ごしてしまったのでしょうか―すぐに消えてなくなるようなお気持ちのあなたは、はやくも打ち解けているようですが、私に心を置いた、執心なさっていると言えるほどに、今、あなたは私を思う夜を重ねたでしょうか」と同様の解釈がされている。

当該歌は係助詞「や」が使用され疑問文なのだが、上記した従来の解釈では、 「早くも私に打ちとけているあなた」が「私に執心して夜を重ねた」のか疑問であるという分脈と受け取れるが、私見では、「うちとけてぐっくり寝ているに違いないあなた」が「白露が置く早朝まで寝ないで夜を過ごしている」ことが疑問だと言っているというふうに取りたい。そうしないと贈歌の眼目となっていた意味の切り替えの部分「まだきぬるとも 思はざりけり」に照応しないのではないか。

 『大和物語』48段に次のような歌がある。

「うちとけて 君は寝つらむ われはしも 露のおきゐて 恋にあかしつ」

・・・あなたはくつろいで寝たのでしょう。それに対し、私は「露」が「置く」ように一晩中「起き」ていて、あなたへの恋心で、朝まで泣き明かしたのですよ。・・

「うちとけて寝る君」と「朝まで寝ないで夜を過ごしている私」が反対のものとして対比されている。当該歌では、この反対の行為を同時にすることの矛盾を疑問の「や」で指摘しているのではないだろうか。

 

                          花卉花鳥図;女郎花

 

 

 

おまけ
 
医大プロジェクトチームの研究に参加して下さった被験者の皆様のご尽力と、
ネンタ医師の困っている患者様を何とかして救いたいという熱意と、
被験者様に集まっていただこうとして開設したこの拙ブログの存在も少しばかり貢献して実現した、

 

国際科学雑誌 「PLOS ONE 」の論文
「Brain Regions Responsible for Tinnitus Distress and Loudness: A Resting-State fMRI Study」
viewsが21100を超えました。パンチ!
 
viewsが6750を超えていました。パンチ!

 

  sofashiroihana