ようこそのお運びで。今回は、藤原定家の父・俊成の哀傷歌です。拙写真は、ご近所の紫陽花など①です。

 

「緑の風の中の紫陽花。緑は若楓」

 

 

 

「紫陽花いろいろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お題 

・・・『源氏物語』好きの妻に捧げた哀傷歌・藤原俊成・・・

 

藤原定家の母「美福門院加賀」は、建久四年(1193)年二月十三日に亡くなります。

人々を惑わす絵空事を書いた罪で地獄に落ちたとされる紫式部を救う為の「源氏供養」を行う位、『源氏物語』が好きな人でした。


その時、夫の俊成は八十歳。結婚したのが1147年頃でしたから、結婚生活は46年以上。二人の間には二男八女が生まれていました。

二人の恋歌については、https://ameblo.jp/cfaon000/entry-12474309617.html

老齢に至って長年連れ添った妻に先立たれ、俊成は悲嘆にくれます。

 

長秋草』より


「建久四年二月十三日、としごろのとも子共の母かくれてのち、月日はかなくすぎゆきて、六月つごもりかたにもなりにけりと、ゆふぐれのそらもことにむかしの事ひとりおもひつづけて、ものにかきつく」

・・・建久四年二月十三日、長年の友である子どもたちの母が亡くなって後、月日がはかなく過ぎて、六月月末にもなったのだなあと、夕暮の空を見ても殊更、昔のことを一人思い続けて、ものに書き付けた歌。・・・(六首一連)

(なお訳は、資料が無くて私が勝手に訳したものなので、誤りもあるかもしれません)

 


「くやしくぞ ひさしく人に なれにける わかれもふかく かなしかりけり」

・・・悔しいことに余りにも長く妻に慣れ親しみすぎた。そのため、死別の思いも深く、悲しくてならないことだ。・・・

死別の悲しみの深さを思うと、長年妻と妻と連れ添ったことが悔やまれるほどなのです。

 


「さきのよに いもにちぎりし ちぎりにて かくしもふかく かなしかるらん」

・・・前世で妻に約束した、その約束によって、このように深く悲しみに沈むのだろうか。・・・

前世で「来世も一緒に」という約束をしたから、前世・現世と長く連れ添い、深い悲しみに沈むことになったのかと、妻との長い因縁を思い哀感に浸っています。

 

 

「おのづから しばしわするる ゆめもあれば おどろかれてぞ さらにかなしき」

・・・まれに暫くの間、妻の死のことを忘れる夢もあるので、目覚めてさらに悲しい気持ちになる。・・・

夢の中では忘れていても目覚めると、妻の死は現実のことだったのだと改めて気付き、悲しくなるのです。

 


「やまのすゑ いかなるそらの はてぞとも かよひてつぐる まぼろしもがな」

・・・山の末、どのような空の果てまでも行き通って、(妻の魂ありかを教えてくれる)幻術士がいてほしい。・・・

 
イメージ 6
伊藤雅氏「桐壺更衣」
 

『源氏物語』「桐壺」の巻の歌、白居易の「長恨歌」に依拠。

 

「楊貴妃」


桐壺更衣亡き後、靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)が、更衣の母君の勅使として遣わされた際、更衣の母君は桐壺帝への贈り物を命婦に託しました。帝は、その贈り物を見て、

「亡き人の住み処(か)尋ね出でたりけんしるしの釵(かむざし)ならましかばと思ほすもいとかひなし」

・・・これが亡き人のすみかを捜し当ててきた証拠の釵であったのなら、どんなに良いだろうにとお思いになるにつけても、まったく甲斐のないことである。・・・

これは『長恨歌』の中で、楊貴妃亡き後の玄宗皇帝が、貴妃を思慕する余り、幻術士に命じてその魂のありかを捜し求させた部分に依っています。幻術士は大空を押し開き、大気に乗って、雷のように進み、天に昇り地に入って楊貴妃の魂をあまねく捜しまわり、ようやく海上の仙山で彼女の魂を見つけます。楊貴妃は、かつて玄宗皇帝から頂いた青貝を散りばめた香箱と黄金づくりのかんざしを割って、自分が楊貴妃であることの証として皇帝に渡すのです。

 

これが『源氏物語』本文中の「しるしの釵」です。桐壺帝は、更衣の母君の贈り物から「しるしの釵」を連想し、歌を詠みます。
「たづねゆく まぼろしもがな つてにても 魂(たま)のありかを そこと知るべく」

・・・亡き桐壺更衣の魂を捜し求めに行く幻術士がいてほしいものだ。そうすれば、人づてにでも、魂のありかをそこと知ることができようものを。・・・


つまり、俊成の「・・・かよひてつぐる まぼろしもがな」の歌は、『源氏物語』の世界と自分の経験を重ねて詠んでいることになります。桐壺更衣を亡くして、その魂を求めたいと願う桐壺帝の心情は、妻を失った俊成の気持ちと重なるのです。

 

 

「なげきつつ 春より夏も くれぬれど わかれはけふの ここちこそすれ」

・・・嘆きながら、春から夏まで暮れてしまったが、死別はまるで今日のような心地がすることだ。・・・

加賀が亡くなったのは春のこと、それから夏も終りを迎えたのに、死別したのは、まるで今日の出来事のように記憶が生々しく、悲しみは癒えないのでした。

 


 6「いつまでか このよのそらを ながめつつ ゆふべのくもを あはれともみん」
・・・いつまでこの世の空を眺めては、夕べの雲を(我が妻の火葬の煙と思って)あわれ深いとも見るのだろうか。・・・

 

◇『源氏物語』「夕顔」の巻の歌に依拠。

 

             「夕顔」


源氏の君は、素直で可愛らしい夕顔に魅かれ、人気(ひとけ)を避けて二人で過ごそうとして「某院(なにがしのいん)に誘います。しかし、その夜、物の怪によって夕顔の命は奪われてしまいます。夕顔の火葬は惟光(これみつ・源氏の乳母子。腹心の部下)が秘密裡に行いました。しばらく重い病にわずらっていた源氏の君は、ようやく癒えた秋の夕べ、夕顔の侍女・右近の口から夕顔の素性を聞きます。空が曇ってきて、風が冷ややかな折、しんみり物思いに沈んで源氏の君がひとりごちた歌。


「見し人の 煙を雲と ながむれば 夕(ゆふべ)の空も むつましきかな」

・・・契りを結んだあの人を火葬した煙を雲だと思って眺めていると、この夕べの空も慕わしいことだ。・・・


夕方に詠んだ歌、「空」「雲」「夕べの雲(空)に火葬の煙を連想し、親近感を抱いている」点が、俊成の歌と共通しています。

この歌では、俊成は、今度は、亡き夕顔を恋い慕う源氏の君の心情に、我が妻を追慕する心情を重ねているのです。

 

 

http://genjimonogatari.o.oo7.jp/04yugaoa.html

 

 

◇また、『源氏物語』「葵」の巻の歌にも依拠。

 

「『源氏物語 葵』六条御息所・吉田暁氏」

 

 

難産の末、男子を出産した葵の上(左大臣の娘・源氏の君の正妻)でしたが、人少なになった折、六条御息所の生き霊によって命を奪われてしまいます。源氏の君は愛情が濃いとは言いがたかった葵の上との結婚生活を悔やみ、左大臣邸で四十九日の喪に服します。

「時雨うちしてものあはれなる暮れつ方」、頭中将(葵の上の兄)が、葵の上を偲んで詠んだ歌、

 

「雨となり しぐるる空の 浮雲(うきぐも)を いづれの方と わきてながめむ」

・・・雨となってしぐれる空の浮き雲のうち、どれを亡き妹が煙となった雲と見分ければよいのか。・・・


夕暮に詠んだ歌、「空」「雲」「雲に火葬の煙を連想している」点が俊成詠と共通。

頭中将が、大事な妹の葵の上を亡くした時の心情も、俊成の歌に重なってきます。

 

 

このように、俊成は、夕暮の空を眺めつつ、亡き妻のことを思い続ける自分の心情を、『源氏物語』の登場人物の心情に重ねて詠みました。その時、亡き妻・加賀は、「桐壺更衣」や「夕顔」や「葵の上」となるのです。『源氏物語』が好きだった加賀の魂は慰められたことでしょう。

 

 

「藤原定家自筆本源氏物語」

 

 

なお、『源氏物語』「夕顔」の「見し人の 煙を雲と ながむれば 夕(ゆふべ)の空も むつましきかな」は、『紫式部集』に載る次の歌と酷似していることで有名です。紫式部の夫の藤原宣孝が亡くなった頃に、陸奥の歌枕を描いた絵を見て、式部が詠んだ歌です。

「見し人の 煙となりし 夕べより 名ぞむつまじき 塩釜の浦」。

塩釜の浦を「むつまじ」(=慕わしい)と言うのは、漁師が塩を焼く煙を立て、これが夫を火葬した煙と重なって見えるからです。

 

 

      

おまけ
 
医大プロジェクトチームの研究に参加して下さった被験者の皆様のご尽力と、
ネンタ医師の困っている患者様を何とかして救いたいという熱意と、
被験者様に集まっていただこうとして開設したこの拙ブログの存在も少しばかり貢献して実現した、

 

国際科学雑誌 「PLOS ONE 」の論文
「Brain Regions Responsible for Tinnitus Distress and Loudness: A Resting-State fMRI Study」
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  sofashiroihana