ようこそのお運びで。ただでさえ生きる気力が消え空しくなるのに、加えてコロナ鬱です。旅行に全く行けず、外出は散策くらい。今回は、ご近所で見かけた春の花の拙写真と、一般的解釈に納得がいかない『枕草子』224段を取り上げます。コロ助、はよ退散せよ。

お題その1

・・・散策中に出会った春花・・・

「多分、早咲きの桜:光に透ける」

 

 

「木瓜」

 

「梅:多分、思いのまま」

 

「紅梅:重なる花びらが濃き薄き紅で可愛い」

「白梅」

 

「黄梅:かんざしのように咲く」

 

「檉柳梅」

 

「公園の片隅の椿:桃太郎」

 

「空き地の片隅のヒメリュウキンカ:春一番に咲く花」

 

「ジャノメエリカ」

 

「木蓮」

 

「沈丁花」

 

「水仙」

 

「菜の花」

 

 

お題その2

・・・『枕草子』「御乳母の大輔の命婦」の段(224段)の私的解釈・・・

 

『枕草子』224段


◎年時は確定できませんが、前段に続き、「三条の宮におはします頃」の出来事とすれば、中宮定子の歌に吐露された寂しい思いや、清少納言が抱いた「あはれなり」という感懐に納得が行きます。また、前段は五月五日の薬玉の行事を描いていますが、224段は、定子の歌に詠まれた「長雨」の時期、つまり「五月雨」の時期の出来事と思われ、前段との連続性も伺われます。「三条の宮におはします頃」とは、長保二年(1000)、定子が平生昌邸で過ごしていた時期を指し、指摘したように、224段は、そのおそらくは五月の出来事なのではないでしょうか。前年の十一月七日には、道長の娘・彰子が入内、同日、定子は第一皇子敦康親王を生むものの、焦りを覚えた道長は、彰子も一条天皇の正妻にしようとし、この年の二月十五日には彰子を「中宮」、定子を「皇后」と号して「一帝二后」を成立させる。この強引なやり方が通るほど、道長の権勢は絶大なものとなり、定子を追い詰めていた頃。

 

「日向の国」

 

◎そんな苦境の中、乳母として定子の傍らに長年寄り添ってきた「大輔(たいふ)の命婦(みやうぶ)」が、日向の国(今の宮崎県)に下ることになります。地方官となった夫に伴っての下向なのでしょう。定子は、別れに際し、乳母にを贈っています。この当時、餞別の品として扇が用いられることが多くありました。その理由には、「あふぎ」という名に再び「あふ」ことを期待するからという説や、中国の詩文の世界の習俗によるという説などがあります。定子が贈った扇には、両面に絵が描かれていました。片面は「日いとうららかにさしたる、田舎の館(たち)などおほくして」(日の光がたいへんうららかにさしていて、田舎の官舎などが多く描かれている)という絵、もう片面には「京のさるべき所にて雨いみじう降りたる」(京のしかるべき所で雨がひどく降っている)という絵です。そして定子自筆の、次のような和歌も記されていました。

 

☆「あかねさす 日に向かひても 思ひ出でよ  都は晴れぬ ながめすらむと」

・・・日向の国に行き、輝く日に向かって暮らしていても思い出しておくれよ。都では晴れることのない長雨の中、物思いに沈んでいるだろうと。・・・

 

・「あかねさす」は「日」にかかる枕詞。赤い色がさして、美しく照り輝くイメージを喚起している。

・「日に向かひ」に 下向先の「日向」を詠み込む。

・「ながめ」は「長雨」と「眺め(=もの思いにふけること)」との掛詞。

・「らむ」は、今、目に見えていない現在の景を想像する「現在推量」の助動詞。

 

扇の絵の内、晴れやかな田舎の絵は、乳母の下る日向の国の景、雨降る都の絵は、定子の留まる都の景を描いたものだったのです。この絵の情報で和歌を補って、定子の伝えたいことを書くと、、

・・・そなたは、日向の国に下って官舎に住まい、国の名の通りに、輝く日に向い晴れやかな気持ちで日々を過ごすことになろう。でも、そんな幸せな暮らしの中でも、そなたがいなくなり、宮中に残された私のことを思い出してほしい。「都では、晴れることなどなく、日々、激しい長雨が降り続き、その陰鬱な雨を眺めてぼんやり物思いに沈んでいるだろう」と。・・・

 

定子がいかに乳母を大切に思っていたか、その情の深さ、優しさが心を打ちます。苦境にあったからこそ、親代わりでもあった乳母への思いも一入なのでしょう。

この思いの深さに感動した清少納言は、こう書き記しています。

「御手にて書かせたまへる、いみじうあはれなり。さる君を見おきたてまつりてこそ、え行くまじけれ。」

・・・御自筆でお書きになっているのが、とてもしみじみと心を打つことであった。このようなご主君をお残し申し上げては、とても行くことはできそうもないことだ。・・・

「このような情愛の深い主君を持ったなら、お仕えする者は皆、離れることなどできないと思うことだろう。私は勿論、この乳母もいかに離れがたい気持ちであったか。」という感慨を抱いたのでした。

 

 

 

◎以上は、私の私的解釈です。この部分は一般にこう読まれています。

①乳母が定子の元を離れたのは・・・将来性のない定子に見切りをつけたから。

②清少納言が「あはれなり」と書いたのは・・・定子を気の毒に思う気持ちから。

③「さる君を見おきたてまつりてこそ、え行くまじけれ。」は・・・定子を見捨てた乳母を批判し、清少納言自身は「私は決して定子様を見捨てない」という決意表明である。

 

代表的な御解釈例

「『枕草子』の中で、清少納言が定子に対して「あはれ」という語を使った唯一の例です。先行き不安定な主人にこのまま仕えているより、地方官の役職が決まった夫と堅実な生活を送る方を選択するのは、当時の中下流階級の女性が生きていくために当然の判断だと思います。時勢の流れとはいえ、最も親しい乳母からも見捨てられた定子の悲しみを傍で感じ、清少納言は思わずこれまで抑えてきた思いを吐き出してしまったのでしょう。自分だけは最後まで定子の傍にいる、決して離れはしないという決意表明とも見られるところです。」

https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/makura47

 

小学館・古典文学全集での「さる君を見おきたてまつりてこそ、え行くまじけれ」の注

「軽く非難する気持があろう」「作者自身は、定子のもとを去ることなど全く考えられぬ、という気概を含み持つ」

 

 

◎私的解釈について

①「乳母が定子の元を離れたのは・・・将来性のない定子に見切りをつけたから」についての疑問

乳母は積極的に定子から離れようとしたのでしょうか。止むに止まれぬ事情があったので、断腸の思いで定子のもとから離れることにしたとは考えられないでしょうか。

 ◇乳母が地方に下った一例

『拾遺集』より

「天暦御時、御乳母肥後が出羽の国に下り侍りけるに、餞賜ひけるに、藤壺より装束賜ひけるに添へられたりける                                                  

321 行く人を とどめがたみの 唐衣 たつより袖の 露けかるらん(よみ人知らず)

同じ御乳母の餞に、殿上の男ども女房など別れ惜しみ侍りけるに                    

322 惜しむとも かたしや 別れ心なる 涙をだにも えやは留むる(御乳母少納言)
323 あづま地の 草葉を分けん 人よりも 遅るる袖ぞ まづは露けき(女藏人参河)」

『続古今集』より

「御乳母のとほき所にまかりけるに、装束たまはすとて 

821 たびごろも いかでたつらんと おもふより とまるそでこそ つゆけかりけれ(天暦御歌)」

 

上の例では、村上天皇の乳母が出羽の国に下ることになって、中宮安子から餞別の装束を賜り、殿上人や女房たちが別れを惜しみ、同僚の女房や天皇自身から「旅立つ人を留めることができないで、別れを悲しむ涙で袖が濡れる」という趣旨の歌を贈られたということが語られています。第一の人である天皇や今をときめく中宮安子に厚遇され、多くの殿上人や女房たちが別れを惜しんでくれるというこの乳母の場合、職場に見切りをつけたとは考えがたいです。夫の赴任先が「出羽の国」(今の山形県・秋田県)という遠隔地であったため、夫だけ単身赴任させることはできなかったなどというやむを得ぬ事情があったのではないでしょうか。

定子に仕えた「大輔の命婦」も下向先が「日向の国」です。定子を見限ったのではなく、やはり、遠隔地ゆえ妻もともに下向すべきだという判断があったのではないでしょうか。

 

「扇:檜扇(ひおうぎ)ヒノキの板の扇」

 

 ◇敦康親王の存在

224段が長保二年の記事であることが前提となりますが、この前年に敦康親王が誕生しています。寛弘五年(1008)年九月に彰子が第二皇子を儲けますが、この時まで、つまり定子が世を去って八年経過するまで、一条天皇の皇子は定子所生の敦康親王だけだったのです。敦康親王が立太子し、やがて即位することがあれば、形勢は変わるわけですから、中関白家に全く希望がなかったわけではありません。敦康親王にとどめを刺したのは、清少納言と「仲良し」だったあの藤原行成でした。行成は、敦康親王家の別当職を務めていましたが、政治家としては常に冷静で、情に流されず、合理的な判断をし、時に冷徹でさえあります。一条天皇から敦康親王立太子の可否を相談された行成は、否であるとします。

『権記』(行成の日記)寛弘八年(1011)五月二十七日条

・・・御読経、未だ始まらざる前、召し有り。御前に候ず。仰せて云はく、「譲位すべき由、一定、已に成る。一親王の事、如何すべきや」と。即ち奏して云はく、「此の皇子の事、思食し嘆く所、尤も然るべし。抑も忠仁公、寛大の長者なり。昔、水尾天皇、文徳天皇の第四子なり。天皇、愛姫紀氏の産む所の第一皇子を、其の母の愛に依り、亦、優寵せらる。帝、正嫡を以て皇統を嗣がしむる志有り。然れども第四皇子、外祖父忠仁公、朝家の重臣たる故を以て、遂に儲弐たるを得。今、左大臣は亦、当今の重臣外戚、其の人なり。外孫の第二皇子を以て、定めて応に儲宮と為さんと欲すべきは、尤も然るべきなり。(以下略)・・・

この進言の通りに、六月十三日に、彰子の子、一条天皇の第二皇子「敦成親王」が立太子するのですが、逆に言えば、行成の意見を求めるほど、一条天皇は敦康親王立太子のことを諦められずにいたということです。ましてや、長保二年当時には、敦成親王は誕生しておらず、、敦康親王立太子の可能性は大きかったものと思われます。長年、定子の乳母を務めた人物が、敦康親王の誕生を見た後、定子を見限るか疑問に思うのです。

 

 

 ◇「大輔の命婦」が高階光子であったならば・・・

この乳母は誰なのか、「高階光子」「祐子女王」などの候補者がいるものの、確定的根拠は無いままです。

「高階光子」とは・・・

生年:生没年不詳 平安中期の女官。敦成親王呪詛事件の首謀者。一条天皇の皇后・中宮藤原定子の宣旨,従五位下。定子の子敦康親王の乳母とも。高二位成忠の娘。姉は藤原道隆の妻で定子の母高内侍,夫は富裕な信濃守佐伯公行。寛弘6(1009)年2月,定子のライバルであった藤原道長と一条天皇中宮彰子,その息子敦成親王を呪詛するために,源方理やその妻たちと厭符の製作を僧円能らに依頼したことが発覚。2月20日に官位剥奪のうえ逮捕され,定子の兄伊周は朝参を停止された。高階家の学才と信仰と呪術を受け継いだ彼女の行為が,一家や主人家の凋落を招く結果となった。<参考文献>藤本一恵「高階成忠女考」(『女子大国文』1963年10月号),「高階光子の悲劇」(『角田文衛著作集』6巻)(服藤早苗)   『朝日日本歴史人物事典』より

もし、この高階光子であるなら、政敵を呪詛するほど中関白家への思いが篤い人。定子を見限るとは思えません。

 

「扇:蝙蝠(かわほり)紙製の扇」

 

②「清少納言が「あはれなり」と書いたのは・・・定子を気の毒に思う気持ちから」への疑問

乳母が定子を見限ったという見解に立つと、「あはれなり」は「かわいそうだ」「気の毒だ」の意にとれるのでしょうが、私はその立場を取りません。遠くに行ってしまう者に対し、「別れた後、私は長雨の中、物思いに沈むことになる」と悲しみ、その心象風景を絵に描き、和歌に詠み、しかも普段は女房が代筆するのが常識であった和歌を定子が自分の手で書く、この定子の行為は、定子の「情の深さ」「優しさ」からなされたもの、だから「中宮様のお優しさに心打たれた」という意味で「あはれなり」を用いていると考えました。

 

③「「さる君を見おきたてまつりてこそ、え行くまじけれ。」は・・・定子を見捨てた乳母を批判し、清少納言自身は「私は決して定子様を見捨てない」という決意表明である。」への疑問

「え行くまじけれ」の主語が明示されていません。一人称主語であると解釈すれば、「まじ」は打消意志で、自分の決意表明であるということになりますが、主語を「人は」と補えば、三人称主語で、「まじ」は打消推量になります。「人」には作者も乳母も含まれます。

 

 

 

つらつら書いてきましたが、要するに私は、224段を「中宮様はかわいそうだ」という話ではなく、「中宮様は情が深くて、とても素敵」という話として理解したいと思ったのでした。皆様はどう解釈されますか?

 

224段全文

「御乳母(めのと)の大輔(たいふ)の命婦(みやうぶ)、日向(ひうが)へ下るに、給はする扇どもの中に、片つ方は、日いとうららかにさしたる、田舎の館(たち)などおほくして、いま片つ方は、京のさるべき所にて、雨いみじう降りたるに、

  あかねさす 日に向かひても 思ひ出でよ 都は晴れぬ ながめすらむと

御手にて書かせたまへる、いみじうあはれなり。さる君を見おきたてまつりてこそ、え行くまじけれ。」

 

              

おまけ
 
医大プロジェクトチームの研究に参加して下さった被験者の皆様のご尽力と、
ネンタ医師の困っている患者様を何とかして救いたいという熱意と、
被験者様に集まっていただこうとして開設したこの拙ブログの存在も少しばかり貢献して実現した、

 

国際科学雑誌 「PLOS ONE 」の論文
「Brain Regions Responsible for Tinnitus Distress and Loudness: A Resting-State fMRI Study」
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       sofashiroihana