ようこそのお運びで。いつの間にか春。こころが追いつきません。
 
「沈丁花」
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                   ・・・平安貴族とおねこ様 その4・・・
 
『更級日記』の「おねこ」様
 
◎憧れの姫君が生まれ変わった「おねこ」様
 
『更級日記』の作者・菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)と言えば『源氏物語』に憧れた文学少女だった人。「この源氏の物語、一の巻よりしてみなみせたまへ」と心のうちに祈り、「をばなる人」から源氏物語五十余巻を入手して耽読する喜びを「后の位も何にかはせむ」(源氏物語を読む幸せに比べれば、女性最高の幸福と言われる后の位も問題にならない)と言い切った人。
光源氏に愛された「夕顔」(物の怪に命を奪われる)、薫に愛された「浮舟」(入水自殺を企てる)のように、薄幸の美女に憧れていました。
 
「われはこのごろわろきぞかし、さかりにならば、かたちもかぎりなくよく、髪もいみじく長くなりなむ。
光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめと思ひける心、まづいとはかなくあさまし」
・・・私は今のところ、器量もあまり良くないわ。でも女盛りになったなら、容貌もこの上なく美しく、髪もとても長くなることでしょう。光源氏の寵愛を受けた夕顔や、薫の大将に思われた浮舟の女君のようになるでしょうと思っていた私の心は、何ともまずひどくたわいなく、あきれはてたものでありました。・・・
 
 
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                                                             「夕顔」
 
 
作者の父・菅原孝標は蔵人として蔵人頭・藤原行成のもとで活躍していた時期があります。
   
 
『権記』長保二年(1000年) 正月二十七日
二十七日、乙巳。宿曜に依り物忌。例なり。「蔵人を定めらる」と云々。 蔵人、朝経・済政・孝標・忠隆。還昇、道方・重家。
(『権記』とは藤原行成の日記)
その関係でしょうか、
孝標は行成の姫君の書いた書を入手し、作者に手本にせよと渡しています。
藤原行成は能書家として知られた人。その娘も達筆だったのでしょう。
 
 
しかし、藤原行成の姫君は薄幸の人でした。
寛仁元年(1017)年、12歳で、藤原道長の子・長家(13歳)と結婚しますが、
治安元年(1021)年三月十九日に僅か16歳で逝去します。
作者の乳母が亡くなって悲しんでいた頃のことでした。
 
『栄花物語』「もとのしずく」より
「侍従の大納言(=藤原行成)の姫君、ついたち頃よりいみじうわづらひ給て、限ゝと見え給ふ。・・・
中将の君(=藤原長家)泣くゝ近う寄り給て、御手をとらへて、『何事かおぼしめす、の給べき事やある』と、聞こへ給へど、物はいはまほしとおぼしながら、物はえの給はで、たゞ御涙のみこぼるめれば、男君御直衣(なほし)の袖を御顔に押し当てゝ、いみじう泣き給ふ。」
・・・侍従の大納言の姫君は、ついたち頃よりひどく病に悩みなさって、最期と見えなさる。・・・
中将の君は泣きながら近くに寄りなさって、御手をとらえて、「何をお思いでしょうか。おっしゃりたい事がありますか」と申しあげなさるけれど、姫君は何か言いたいとはお思いになりながらも、何もおっしゃることができなくて、
ただ御涙を流している様子なので、男君(長家)は上着の袖を御顔に押し当てて、ひどく泣きなさる。・・・
 
乳母を亡くしたばかりの作者には、身につまされる出来事でした。
 
 
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                         行成真跡:「白氏詩巻」(国宝)
 
 
 
お手本として頂戴した筆跡は、『拾遺集』の哀傷の歌を書いたものでした。
 
「鳥辺山 たにに煙(けぶり)の もえ立たば はかなく見えし われと知らなむ」
・・・(火葬場である)鳥辺山の谷に火葬の煙が燃え立ったなら、はかなく見えた私が亡くなったのだと知ってほしい。・・・
 
まるで自分の死を予感したかのような一首に、作者は涙をそそられるのでした。
(薄幸の美女に憧れる文学少女の作者は、この行成の姫君にも憧れ心を抱いていたのではないでしょうか。)
 
 
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さて作者には、姉がいました。
 
桜の花の散る頃、乳母が亡くなった季節ゆえ感傷的になっていた時、行成の姫君の筆跡を見て何とはなしに物悲しくなった作者は、・・それは五月頃のことでしたが・・夜が更けるまで物語を読んで起きていると、どこからやって来たものか、猫がのどやかな声で鳴いています。驚いて見ると、たいへん可愛らしい猫がいました。
 
どなたの所から来た猫かしらと思って見ていると、姉が「しいっ、静かに、人に聞かせてはなりません。とても可愛い猫です。飼いましょう」と言うので飼うことにします。
(猫は貴族に大切に飼われていたペットですから、この「おねこ」様もどこか貴族の邸宅から迷いこんできたものと思われます。)
 
飼ってみると、とても人慣れしていて、作者の傍らに寄り添って寝るのです。
捜している飼い主がいるのではないかと、隠して飼っていると、この猫は使用人など下賤な人のもとには全く寄りつかず、じっと作者たちのそばにばかりいて、食べ物も汚らしいものには顔をそむけて食べることがありません。
(高貴なお育ちの「おねこ」様の模様)
               
                   
作者たち姉妹の間にぴったりまとわりついているので、面白がり可愛がっていたのですが、姉が病気になってしまいます。看病のため、家の中がごたついて、この猫を「北面」の部屋(使用人の部屋)にばかり置いて、呼ばないでいると、やかましく鳴き騒ぎます。何か訳があって鳴くのだろうと思っていると、病気の姉が目をさまして、
「どこにいるの、猫は。こちらへ連れてきなさい」と言うので、「どうして」と聞くと、姉が見た夢のことを語ります。
 

「夢にこの猫がかたわらに来て、『私は侍従の大納言(=藤原行成)の姫君が、こうなったのです。こうなるはずの前世からの因縁があって、こちらの中の君(次女=作者)が私のことをしきりにかわいそうだと思い出して下さるので、ほんのしばらくここにいたのですが、このごろは使用人たちの中にいて、とてもつらいことです。』と言って、ひどく泣く様子は、高貴で美しい人と見えて、はっと目を覚ましたところ、この猫の声であったのが、とても
心打たれることでした」
 
 
この姉の話を聞いて作者も心動かされ、その後は、この猫を北面の部屋にも出さず、猫を大切に守り育てます。
作者がただ一人でいるところに、この猫が向かい合っていたので、猫を掻き撫でながら「侍従の大納言の姫君がいらっしゃるのですね。お父様の大納言殿にお知らせ申しあげたいわ」と話しかけると、作者の顔をじっと見ながら、のどやかに鳴くのも、気のせいか、ふと見たところ、普通の猫ではなく、作者の言葉を聞き分けているようで、
作者は、この猫をしみじみといとおしく思うのでした。
 
 
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                                  「寝覚物語絵巻:寝覚物語は菅原孝標女の作と言われる」
 
 
 
しかし、藤原行成の、16歳で他界した姫君が生まれ変わったという「おねこ」様、この姫君はどこまでも薄幸の人だったのでしょうか、その翌年の四月頃、夜中の火事で「大納言の姫君」と言って大切にされていた「おねこ」様は、焼け死んでしまいます。
 
「大納言の姫君」と呼ぶと、聞き知り顔に鳴いてすり寄ってきたりしたので、作者の父・孝標も「大納言殿に申しあげよう」などと言っていた時なので、ひどく悲しく残念に思ったのでした。
 
そして、大納言の姫君が「おねこ」様に転生したという夢を見た姉も、五月一日、子を生んで亡くなってしまいました。
 
 
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                                                      「浮舟」
 
 
 
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                                                  「鳥辺野」
鉛筆
 
おまけ。
和歌山県立医科大学の研究チームによる「耳鳴り」研究の新論文2報目。国際科学雑誌に掲載PLOS ONE
 
Views が3000を超えています。
 
 
なお、1報目の同科学雑誌に掲載された論文は、その論文発表に至るまでの経緯の記述とともに、私のプロフィールにURLを貼ってあります。念のため、以下が1報目です。viewsが14000を超えています。
0を超えています。
 
 
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