ようこそのお運びで。もう一回前回の続きです。
「和歌山城・紅葉渓庭園」

・・・お題「猫の恋閑院様の御簾の外」・・・
前回の続きで、新発見された蕪村の句について、田中道雄氏が考察された文章を引用致します。
天理図書館は、この蕪村発句集の春・夏の部を機関誌『ビブリア』一四四号に翻刻してくださった。その中に次を見出した。
猫の恋閑院様の御簾(みす)の外
閑院様は、平安時代の閑院左大将朝光のことである。この人には、色好みの逸話が多い、この句ひとまずは、恋多き閑院様のご寝所の外で猫もまた恋の季節、求愛の声がかまびすしい、と春景に解釈できる。
しかし、ここで「猫の恋」の語からすぐに連想できる越人の名句「うらやまし思ひ切る時猫の恋」を加えるなら、解釈はさらに面白くなる。『猿蓑』に出る句ゆえ、蕪村は勿論知っている。さらにもう一つ、詠み人知らずの和歌が伝える、閑院様のある行状を考え合わせてみる。
左大将朝光、女のもとにまかれりけるに、
「悩まし、帰りね」といひ侍りければ、
帰りての朝、女のもとよりつかはしける
雨雲のかへるばかりの村雨にところせきまでぬれし袖かな
上の句は、戻ってきた雨雲が降らせた村雨によって、の意で、男が帰って行った後に作者が泣いたことをいう。感情を高ぶらせた女は、朝光を閉め出して内に入れなかったのである。蕪村の句は、その朝光がすごすごと帰邸した後の情景を描いた。
とても思い切れずに悶々と一夜を過ごす朝光と、同様の猫と。越人の句は、猫の恋がある時期になるとぴたりと止むことを言うが、ここは人も猫もまだそこに至らないのである。
(中略)
蕪村は、八代集に通暁していた。蕪村の趣向のこしらえ方は、新古今時代の歌人たちが古歌を駆使した手法に似通うところがある。設定した二つの世界が奥行きを生むのである。
猫の恋閑院様の御簾(みす)の外
閑院様は、平安時代の閑院左大将朝光のことである。この人には、色好みの逸話が多い、この句ひとまずは、恋多き閑院様のご寝所の外で猫もまた恋の季節、求愛の声がかまびすしい、と春景に解釈できる。
しかし、ここで「猫の恋」の語からすぐに連想できる越人の名句「うらやまし思ひ切る時猫の恋」を加えるなら、解釈はさらに面白くなる。『猿蓑』に出る句ゆえ、蕪村は勿論知っている。さらにもう一つ、詠み人知らずの和歌が伝える、閑院様のある行状を考え合わせてみる。
左大将朝光、女のもとにまかれりけるに、
「悩まし、帰りね」といひ侍りければ、
帰りての朝、女のもとよりつかはしける
雨雲のかへるばかりの村雨にところせきまでぬれし袖かな
上の句は、戻ってきた雨雲が降らせた村雨によって、の意で、男が帰って行った後に作者が泣いたことをいう。感情を高ぶらせた女は、朝光を閉め出して内に入れなかったのである。蕪村の句は、その朝光がすごすごと帰邸した後の情景を描いた。
とても思い切れずに悶々と一夜を過ごす朝光と、同様の猫と。越人の句は、猫の恋がある時期になるとぴたりと止むことを言うが、ここは人も猫もまだそこに至らないのである。
(中略)
蕪村は、八代集に通暁していた。蕪村の趣向のこしらえ方は、新古今時代の歌人たちが古歌を駆使した手法に似通うところがある。設定した二つの世界が奥行きを生むのである。

この文章を拝読して面白いのは、蕪村の俳句が、新古今時代の「本歌取り」と同じ手法で作られていることです。
新しく詠まれた世界と、本歌となった古歌の世界を同時に味わうことになります。
これが「奥行き」即ち、余情となるのです。
引用された『後拾遺集』の歌を、解釈しますと・・・
・・・左大将朝光が女の元に行ったところ、「気分がすぐれないので、帰って下さい」と言いましたので、 (朝光が)帰っての後、女のもとから贈った歌
雨雲が戻る時の激しいにわか雨に濡れるように、あなたが帰る時の涙で所狭しとばかりに濡れた私の袖であることよ。・・・
・・・左大将朝光が女の元に行ったところ、「気分がすぐれないので、帰って下さい」と言いましたので、 (朝光が)帰っての後、女のもとから贈った歌
雨雲が戻る時の激しいにわか雨に濡れるように、あなたが帰る時の涙で所狭しとばかりに濡れた私の袖であることよ。・・・
女は朝光が言われるままに帰ったことを嘆いて歌を詠んでいますが、朝光にしては、「御簾」の内にに入れてもらえなかったことになります。まさに「閑院様の御簾の外」ですこの後拾遺の歌を本歌取りにすることによって、「御簾」の内に入れてもらえず、「帰りね」と言われて帰る朝光の姿が想像され、そこはかとなく滑稽味が加わります。
蕪村の句には、このように先行文学や歴史を踏まえた句があり、古典好きには面白いです。
有名な
「鳥羽殿へ 五六騎急ぐ 野分(のわき)かな」
も、保元平治の乱を背景にした句で、今にも戦が始まりそうなざわざわとした不穏で緊迫感のある気配が、野分(台風)の背景に感じ取れる秀句です。
「菜の花や 月は東に 日は西に」
は、『万葉集』柿本人麻呂の
「東(ひむがしの) 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」
を彷彿とさせます。

と言いつつ、私は蕪村の俳句に詳しいわけではないのです。
お好きな蕪村の句をお教え下さいませ。
春の海 ひねもすのたり のたりかな
牡丹散つて うちかさなりぬ ニ三片
五月雨や 大河を前に 家二軒
公達(きんだち)に 狐化けたり 宵の春
朝顔や 一輪深き 淵のいろ
・・・などなど。
有名な句は以下に紹介されています。
お読み頂き、有難うございました。 ぺこり。
「少し前まで咲いていた皇帝ダリア」

おまけ。
和歌山県立医科大学の研究チームによる「耳鳴り」研究の新論文2報目。国際科学雑誌に掲載。

Views が2000を超えています。
なお、1報目の同科学雑誌に掲載された論文は、その論文発表に至るまでの経緯の記述とともに、私のプロフィールにURLを貼ってあります。念のため、以下が1報目です。viewsが11000を超えています。
……………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑
もし記事のコメントを頂ける場合は、お手数ですがこのページに
お願い致します。
いつも、ご訪問・ナイス・コメントを頂き、感謝しております。
有り難うございます。
なお記事にコメント欄を設ける場合は、記事タイトルに「コメント付き」と最初に表示致します。
ソファ
