ようこそのお運びで。ご訪問、厚く御礼申し上げます。
相変わらずの不調
でございますが、気を紛らわす為アップすることに。今回は、『和泉式部日記』の一節と、「和歌山城の紅葉③」の拙写真を記事と致します。
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/331.gif)
1、「和歌山城・紅葉渓庭園の鳶魚閣(えんぎょかく)のアップ」
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190607/12/cfaon000/c6/1f/j/o1024076814446839238.jpg?caw=800)
・・・お題「『見ても嘆く』か、『塩焼き衣』か」(和泉式部日記)
+「和歌山城の紅葉③」・・・
2、「紅葉の間に見える鳶魚閣」
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190607/12/cfaon000/0f/22/j/o1024076814446839285.jpg?caw=800)
和泉式部が最初の夫・橘道貞と離別した頃、和泉式部に興味を持って近づいてきた高貴な男性がいます。
冷泉天皇の第四皇子である敦道(あつみち)親王(帥宮・そちのみや)です。
和泉式部は、越前守などの経歴のある大江雅致(おおえのまさむね)の娘ですから、受領階級(中流階級)に属します。ですから、この二人の恋愛は、「身分違いの恋」。
敦道(あつみち)親王が和泉式部を自分の邸に迎え入れたために、耐えかねた親王の正妻が邸から出て行った事件は世間で大騒ぎになりました。 『和泉式部日記』は、和泉式部が敦道親王の邸に引き取られるまでの、二人の愛情の進展の経過が、物語的に記された作品です。
なお、敦道親王は寛弘四年(1007年)十月に27歳で病没し、和泉式部は、その死を悼んで「帥宮挽歌」と呼ばれる秀歌を120首以上残しています。
3、「紅葉の葉の間に見える鳶魚閣」
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190607/12/cfaon000/24/c1/j/o2816211214446839328.jpg?caw=800)
「敦道親王(帥宮)」と「和泉式部」は、どのような会話を交わしていたのでしょうか?
二人には、どのような魅力があったのでしょうか?
なぜ魅かれあったのでしょうか?
『和泉式部日記』の、余り読まれない、ほんの日常の一コマを描いた一節から、ちょっとだけ探ってみます。
4、「鳶魚閣の屋根にかかる紅葉」
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190607/12/cfaon000/d9/89/j/o2816211214446839390.jpg?caw=800)
『和泉式部日記
』より
![本](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
![もみじ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/312.gif)
![もみじ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/312.gif)
「女車のさまにて、やをらおはしましぬ。
ひるなどはまだ御覧ぜねば、恥かしけれど、さまあしう恥ぢかくるべきにもあらず、
また、のたまふさまにもあらば、恥ぢきこえさせてはあらんずる、
とてゐざり出でぬ。」
・・・(帥宮は)女車の体裁にして、ひそかにおいでになった。
昼などには、まだ(帥宮が和泉式部の顔を)御覧になったことがないので、(和泉式部は)きまりが悪く思うけれど、みっともなく逃げ隠れするわけにもゆかず、
また、(帥宮様が)おっしゃるような事になるなら、恥ずかしがり申し上げてばかりいられようか
と思って、(和泉式部は)にじり出てお迎えした。・・・
帥宮が和泉式部の家に通うことは、身分の隔たりから、厳しい非難の対象となり、
帥宮は自邸に和泉式部を迎えようとし、決心するように促しています。
「女車」で来訪したのは、お忍びだから。
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/342.gif)
宮中の女房などが乗る牛車(ぎっしゃ)。
男性用より少し小さく、簾(すだれ)の下から下簾を出して垂らす。(コトバンク)。
「女車」
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190607/12/cfaon000/35/63/j/o0550033214446839414.jpg?caw=800)
夜ではなく「昼」に来訪したのは、自邸に引き取る前に和泉式部の容姿を見ておきたかったからでしょうか。
和泉式部としては、見られるのは恥ずかしく、隠れたいほどでしたが、
もし、帥宮の邸に住むことになったら、日夜、自分の容姿を晒すことになるのだと覚悟して、お迎えします。
5、「鳶魚閣の障子に光が揺らめく」
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190607/12/cfaon000/7c/20/j/o2816211214446839457.jpg?caw=800)
6、「障子の前の紅葉の枝」
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190607/12/cfaon000/b2/3b/j/o1024076814446839523.jpg?caw=800)
![もみじ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/312.gif)
![もみじ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/312.gif)
「ともかくも、のたまはせんままに、と思ひたまふるに、見ても嘆く、と言ふことにこそ、思ひたまへわづらひぬれ」
ときこゆれば、
「よし、見給へ。塩焼(しほや)き衣(ごろも)にてぞあらん」
とのたまはせて、出でさせ給ひぬ。」
・・・和泉式部が「どうであれ、宮様のおっしゃるとおりにしようと思っておりますが、『見ても嘆く』という歌もありますので、思って思い悩んでいるのです」
と申し上げると、
(帥宮は、)「よろしい、見ていて下さい。『塩焼き衣』となることでしょう」
とおっしゃって、(部屋から)出なさった。・・・
7、「鳶魚閣の頭頂部にかかる紅葉」
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190607/12/cfaon000/a7/2b/j/o1024076814446839551.jpg?caw=800)
和泉式部は、お邸に上がる件は、帥宮の意向に従うと言いつつ、
「見ても嘆く」とつぶやいています。
それに対し、帥宮は、「塩焼(しほや)き衣(ごろも)」と応じています。
この暗示のような会話は、「引き歌」による会話です。「引き歌」とは、和歌の一部を口ずさんだり、書いたりするだけで、その和歌全体が言おうとしていることを伝える技法のこと。
どの和歌の一部分を口ずさんだのか、瞬時に理解できないでいたら、相手に幻滅されますよ
~。
![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
お互いの教養レベルを計るテストを行っているようなものです。
8、「鳶魚閣の軒下」
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190607/12/cfaon000/da/7b/j/o1024076814446839587.jpg?caw=800)
和泉式部が「引き歌」にしたのは、『古今集』の恋歌。
「見てもまた またも見まくの ほしければ 馴るるを人は いとふべらなり」
帥宮が「引き歌」にしたのは、『古今和歌六帖』の恋歌。
「伊勢のあまの 塩焼き衣 馴れてこそ 人の恋しき ことも知らるれ」
問題です。
それぞれ、この引き歌で、どのようなことを伝えようとしたのでしょうか?
・・・thinking time 3 seconds
・・・
![砂時計](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/293.gif)
9、「山茶花」
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190607/12/cfaon000/90/99/j/o2816211214446839634.jpg?caw=800)
和泉式部の「引き歌」
「見てもまた またも見まくの ほしければ 馴るるを人は いとふべらなり」
・・・(馴れ親しんでいない段階では)逢ってもやはり、また逢いたくなるものですから、馴れ親しむことを、人はいやがるものであるようです。・・・
まだ知り合ったばかりの頃なら、好感を持った相手に、また逢いたいと思うもの。
しかし、互いに馴れ親しんだらどうなるか・・・
また逢いたいという気持ちが消え、愛情が薄れてしまうのではないか。
宮様が私のことを恋しく思う気持ちが消えてしまうかもしれませんから、宮様のお邸に上がって「馴れ親しむ」ことになるのに抵抗があるのです。
10、
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190607/12/cfaon000/53/d7/j/o2816211214446839686.jpg?caw=800)
帥宮の「引き歌」
「伊勢のあまの 塩焼き衣 馴れてこそ 人の恋しき ことも知らるれ」
・・・伊勢の海人が塩を焼く時に着る衣が「褻(な)れ」るように、「馴れ」(なれ)親しんでこそ、人を恋しく思う気持ちが自然と分かるようになるのです。・・・・
「伊勢のあまの 塩焼き衣」は、「馴れ」を導き出すための序詞。
「塩焼き衣」とは、海水を煮て塩を作る人が着る粗末な作業着です。
長い間着ているので、よれよれに古びてきます。その状態を「褻る」(なる)と表現します。
この「なる」という発音が共通することから、「馴る」という語を導き出す働きをしています。
いや、貴女が心配なさるようなことには決してなりません。「馴れ親しむ」ことによって、人は相手を恋しく思う気持ちを知ることになるのですよ。ですから、私の邸においでなさい。
11、「鳶魚閣」
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190607/12/cfaon000/94/00/j/o0768102414446839723.jpg?caw=800)
「馴れ親しむ」という事態に於いて人が抱く、相反する二つの感情を詠んだ古歌が、それぞれ存在しました。
和泉式部は、その内の「馴れ親しむことにより、恋しさが薄れる」というマイナス面を詠んだ古歌の一部を「引き歌」にしたわけですが、帥宮は、和泉式部の「引き歌」を即座に理解し、「馴れ親しむことにより、真実の恋しさを知ることになる」というプラス面を詠んだ古歌を「引き歌」にして、切り返したのです。
二人は、同じように高い教養を持っていたのであり、瞬時に、その場に合った和歌を口ずさめる機智的な能力も高い者同士だと分かります。 (続く)
ところで、「馴れ親しむ」ことについて、和泉式部の引き歌と、帥宮の引き歌の、どちらの方が、より真実をついていると思われますか?
12、「御橋廊下の水鏡」
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190607/12/cfaon000/2f/c3/j/o1024076814446839744.jpg?caw=800)
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/342.gif)
「御橋廊下(おはしろうか)」とは・・・
御橋廊下は、江戸時代に藩主とお付の者だけが藩の政庁や藩主の生活の場である二の丸と紅葉渓庭園のある西の丸を行き来するために架けられた橋であり、そのため外から見えないように壁と屋根を設け、部屋の廊下のような造りになっています。斜めにかかる廊下橋としては全国的にも珍しく、江戸時代の図面を基に平成18年3月に復元されました。 (和歌山市のHPより)
![鉛筆](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/519.png)
おまけ。
和歌山県立医科大学の研究チームによる「耳鳴り」研究の新論文2報目。国際科学雑誌に掲載。http://www.plosone.org/images/logo.png
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/332.gif)
Views が飛躍的に増えています。(1400突破)
なお、1報目の同科学雑誌に掲載された論文は、その論文発表に至るまでの経緯の記述とともに、私のプロフィールにURLを貼ってあります。念のため、以下が1報目です。viewsが10000を超えています。
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![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/332.gif)
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