ようこそのお運びで。
「桜開花寸前」・・・紀三井寺の桜
は、開花したそうです。
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳り(かげり)なきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂(ひさし)々に
風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ
(三好達治「「甃(いし)のうへ」)

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「古典の部」

桜
の開花を待ちわびている皆様、満開の桜を早く堪能したいと思っていらっしゃると思います。
しかし、『徒然草
』の中に、次のような有名な文章があります。
「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨にむかひて月をこひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情けふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所おほけれ。」
「歌のことばがきにも、『花見にまかれりけるに、はやく散りすぎに蹴れば』とも、『さはる事ありてまからで』なども書けるは、『花を見て』と言へるに劣れることかは。」
・・・桜の花は、満開だけを、月は曇りがなく明るいのだけを見るものだろうか、いや、そうではない。雨に向かって、(見ることのできない)月を恋い慕い、部屋の中にとじこもって、春の過ぎ行くさまを知らないでいるのも、やはり、しみじみとして情趣が深いものである。(満開の頃より)今にも咲きそうな頃の(桜の花の)こずえや、(満開を過ぎて、桜の花びらが)散り敷いた庭などが、(かえって)見どころが多いものだ。・・・
・・・和歌の詞書にも、「花見にいきましたが、すでに散ってしまっていたので(詠んだ歌)」とか、「さしさわりがあって、(花見に)行くことがなくて(詠んだ歌)」などと書いてあるのは、「花を見て(詠んだ歌)」と言っているのに、{情趣が)劣っているだろうか、いや、劣ってなどいない。・・・
一般には、桜は、華やかな満開の時、月は、曇りなき明るい満月を観賞したいと思いますよね。
しかし、兼好さんは、「それは、違う」と主張するのです。


雨の日・・・月は見れません。
部屋に籠っている時・・・桜の様子がわかりません。
しかし、そういう時にこそ、月花を観賞する醍醐味がある
と言うのです。
一体、どうやって観賞するのでしょうか?
その答えは、後段の文章の方に出てきます。
これから咲きそうな桜・・・満開でなくて残念です。
もう桜の花びらが散って庭に散り敷いている・・・満開の桜はもう愛でられません。
しかし、そういう時にこそ、「満開」の桜を見るとり、見どころがある
と言うのです。
なぜなのでしょうか?
歌集を読んで行く時、「詞書」(ことばがき=和歌の詠まれた事情を説明した文)で、その歌の成立事情が分かります。その詞書を見ると、
花見に行ったのに、もう桜の花は散った後だった。・・・満開の桜が見れず、期待外れ、良い歌が詠めません。
用事があって、花見に行けなかった。・・・桜を観賞していないのだから、歌も詠めません。
しかし、実は、そういう時にこそ、良い歌が詠める
というのです。
「満開の桜」を実際に観賞して詠んだ歌には、劣らない。
それは、なぜでしょうか?
文章の後半の方を見ていきます。


「すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜はねやのうちながらも思へるこそ、いとたのもしう、をかしけれ。」
・・・すべて、月や花を、そう目だけで見るものだろうか、いや、そうではない。春は(わざわざ)家から出て行かなくても、月夜には寝室にいるままでも、(月や花の景を)想像しているのは、かえって、心豊かで興趣があるものだ。・・・
ここが大事な部分です。
「月花」は、一般にどう観賞するか?・・・「目
」で見て観賞しますよね。
しかし、兼好さんは、「それも違う」と言うのです。
春、桜が咲いているのに家にいる・・・桜は目に見えません。
満月が出ている夜に寝室から出ない・・・満月は目に見えません。
では、「目」に見えないものをどうやって、観賞するのでしょうか。
ここで「思へる」と表現しているのにご注目下さい。
「目」で「見ている」のではなく、「心」で「思っている」=「想像している」のです。
ですから、桜で言えば、「部屋にこもっている時」「花がまだ咲いていない時」「花が散ってしまった後」「用事があって桜見物に行っていない時」「家の中にいる時」の方が、「満開の桜」を心に想像して観賞する楽しみ
がある。
月で言えば、「雨の日」「寝室から出ない時」の方が、「満月」を心に想像して、観賞する楽しみ
がある。

画像はブロ友さんから
目で外形を見て観賞するのではなく、心で想像して、心で感じて情趣を味わう。
これは、見えない部分を想像力で補う方法=和歌で言う「余情美」を重んじる考え方に通じるものがありますね。
若干、兼好さんらしい「へそ曲がり」の部分もあるかもしれませんが、面白い考え方だと思います。
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「素人時事感想」
[コペンハーゲン 30日 ロイター] 「ユーロ加盟国は30日に開いた財務相会合で、ユーロ圏救済基金の合計融資能力を5000億ユーロから7000億ユーロに引き上げることを決定した。
会合後に発表された声明は「ESM/EFSFの融資能力は7000億ユーロに引き上げられる」としている。」
「ただ、今回の決定を20カ国・地域(G20)、および市場が十分と見なすかは不明だ。
7000億ユーロのうち、5000億ユーロは常設の安全網となる欧州安定メカニズム(ESM)の資金、2000億ユーロは、現在の一時的な救済基金である欧州金融安定ファシリティー(EFSF)の下でギリシャ、アイルランド、ポルトガルへの支援向けにコミットされている資金となる。」
「声明は、欧州金融安定化メカニズム(EFSM)が拠出した490億ユーロ、およびギリシャに対する530億ユーロの二国間融資を加えると、ユーロ圏は約8000億ユーロのファイアウォール(防火壁)を構築することになるとしている。」
「欧州委員会は当初、ESM/EFSFの融資能力を、7400億ユーロの新規資金を含む9400億ユーロに引き上げることを提案していたが、域内で最大の経済規模を持つドイツが反対した。」
「ING銀行のエコノミスト、カールステン・ブレゼスキ氏は『今回の決定は、典型的な欧州の譲歩の結果だった』と指摘。合意された融資規模は独政府とその他のユーロ加盟国の妥協の結果の着地点だったと述べた。
同氏は『今回の決定で、ユーロ圏の保護者としての欧州中央銀行(ECB)の役割は継続する』としている。」
ESM/EFSFが拠出する融資・・・合わせて、約8000億ユーロって、どんな規模?
マネーで作る「ファイアウォール」って、火の拡大を防ぐことが目的でしょうが、すさまじい表現。
ドイツは、1番負担を強いられるから、迷惑でしょうね~。
救済されるお国の方々、ドイツに足向けて寝られまへんで~。
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「耳鳴り」「脳鳴り」「頭鳴り」の方へご報告。
我々、医大チームは、耳鳴り・脳鳴り・頭鳴りの可視化に成功しました(世界初
)。つまり、これまで自分で訴える以外、誰にもわかってもらえなかった病が、「目に見える」ようになったのです。そして、異常部位の特定も目で見て、できるようになりました。画期的なこと
です。
被験者になって下さった方々は、驚き、かつ喜んでくださいました。
大学案内→組織紹介→倫理委員会→委員会の開催状況→第120回に公開されています。
お蔭さまで、多くの被験者の方にご協力いただきました。被験者の募集を一旦中断します。将来的に、再び募集することもあります。もしご希望がございましたら、ご連絡ください。
関心のある方は、気軽に「内緒コメ」くださいね。
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ソファ
