この時期、黄昏時の「青い」時間帯がかなり、長時間続きます。
たそがれ時は、「誰(た)そ、彼(かれ)は」を語源とする説が有力ですが、「誰ですか、あの方は?」と問うことが必要になるような、人の姿が判別しづらい時間帯です。
初夏の頃は、特にこの、少し物悲しい闇の気配を秘めた青色に包まれる時間帯が、情緒深く、美しく感じられます。
以前、「重篤トビ」の方で『源氏物語』の「夕顔」の巻の和歌を引用して、この時間帯について触れたことがあります。夏の夕方、涼しい風がさっと吹き渡り、暑さにほっと一息を入れる時間帯でもありましょう。暮れなずむ青色の時間帯、源氏の君が目に留めた垣根に、この青を背景に笑顔を見せたかのようにぽうっと浮かび上がって咲く白い夕顔の花、この色の対比が印象的です。
私は自宅にも植えたことがありますが、かなり大輪の、青さの中で際立つ白花ですよ。
さて、ここまでは前置きです。
私は「青色」が好きなのです。暫く、「青」に絡めて、耳鳴りの話題に敷衍させていきたいと思います。
先ずは「青の洞門」・・言わずと知れた菊池寛の『恩讐の彼方に』の題材になった禅海和尚が、想像を絶する長い時間をかけて、こつこつと掘り続けた隧道です。
「諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇って「ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いた」といわれている。この逸話を元にして書かれたのが菊池寛の『恩讐の彼方に』である。」(wikiより)
大げさかもしれませんが、私と耳鳴りとの孤独な対峙の日々を彷彿とさせます。
そして、禅海和尚は掘り抜きました。明るい光が見えたのです。これも、今の私の心境に通じるものがあります。もっとも、こちらは隧道を掘る作業にやっと取り掛かれたと言った方が正鵠を射ているかもしれませんね。本当の眩しい明るさに目が眩むのはもう少し、先になるでしょうが、ノミと槌で、いや、最新鋭のハードソフトと最先鋭の頭脳で掘り抜いてみせます。 ソファ