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9月20日

落ち込んでいるつれに髪を切らないかと提案。
副作用で髪の毛が抜けるなら前もって短く切らないかと聞いてみる。
丁度髪も洗いたくなったようだったのでチャンス!

病院内の美容室に連れていてシャンプとスポッツ刈りを頼んで仕事へ急ぐ。
明日会うのを楽しみにしようと。

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9月18日

つれはすっかり退院モードに入っていて、朝早くメールが。
「ママ、明日退院出来そうだから迎えに来て!」

そんな早く退院出来るはずがないのに、何を根拠に言っているのか分からず早速病院へ。

つれは私の顔を見るなり、「先生が調子が良ければ明日退院しても良いと言ってたよ。」
半信半疑の気持ちでそんな訳ないでしょう?とも言えず、「じゃ、明日退院が決まったら朝早くメール下さいね。」

しかし私の気持ちは複雑だ。
だって、インシュリンを打っている状態だし、家に帰って何かあったらどうするんだろう。

タイミングよくナースステーションでインターンの伊東先生を見つけて声をかける。

「先生、主人が明日退院になるかもと言っていますが、家族の私には何も説明がありませんが。」
「退院はもちろんの事、病気に関する全ての事は患者さんに伝える事にしています。
特別に家族の方にそのような説明は行っていません。」
だって。
でも、帰されたら面倒を見るのは家族なんだから、何も情報が無いのはおかしくないか??

退院は嬉しい事だろうが、不安で複雑な気持ちを抱えたまま帰宅。





9月19日

朝早くメールが来た。
「白血球の数値が低いので退院は見送りになったよ、残念だよ。」

ほっとしたのは何だろう。


病院へ行くと、つれはがっかりした顔で何やら数字がいっぱい書かれている紙をみせる。
「抗がん剤を入れると、副作用の一つで白血球が一時的に減るらしいんだ。
だから白血球を増やす注射を腰にされたんだけど、これがめちゃくちゃ痛いんだよ。」

待ち焦がれた退院が出来なくなった上に痛い想いをして機嫌が悪い。
今日はそっとしておこう。



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9月18日

三日間の抗がん剤と2日間のお水の点滴が終わった頃、心配していた副作用も大してなく、食欲も旺盛で病院食に文句を言っては食べたいものを要求する。
しゃっくりもゲップも治まり、良い状況を迎えた。

抗がん剤はつれのガンには適していたと見られて、腫瘍で入り口を塞がれて縮こまっていた左の肺に、腫瘍が小さくなって隙間を作ってくれたらしく、空気が入ってくれた。
まるで魔法のように、真っ白で何も写っていなかった肺がどんどん再生されていく。

半分程肺の形を作り上げてくれた。
結果、つれの鼻から管が取れて、病室に入った私を見てつれがニコニコしてる。
何か気づかないの??とでも言いたげだ。
「あら、管が取れたんだね、すっきりして良かったね。」
「何よりも自由に歩けるようになって良かったよ。
これからは地下にあるコンビニまで買い物に行けるよ。」


何だかこの時のつれと私は、病気が治った様な錯覚までしてしまったのだ。
つれも歩き回れる事が嬉しかったのか、病院内の書店に本を買いにいったりと気分も上々のようだ。

気の早いつれは、退院はいつになるかな?
早く帰りたいな。などと言う。

そんな訳ないでしょう。

IMG_07219月13日

いよいよ抗がん剤の点滴が始まった。
つれを見ると、鼻から酸素の管に繋がれて点滴の管に繋がれて、目は不安でいっぱいで可哀そう。


最近はつれと良く話をする。
大体お墓の話や葬儀の話、もしもの場合誰に連絡をして欲しいか等の話題を二人で淡々としていく。
あ、私太ってから喪服を買っていないから用意しておかねばなどと、なぜか喪服の心配ばかりしていたな。
きっと私もパニック状態で頭の思考が正常じゃなかったように思える。

その夜まで大した副作用の心配もなさそうなので帰宅。


9月14日

夜は殆ど眠れず、心配で早めに病院へ。
つれの副作用の影響が出た。

病院の説明にあったような嘔吐や下痢、食欲不振ではなく、なんと!一日中しゃっくりが止まらない。

喋ろうとするとしゃっくりをしながらの会話なので可笑しくてしかたがない。
「ママ・・ひく!・・水を・・ひく!・・のみた・・ひく!・・い・・ひく!」
この様な状態が一日中続くものだから本人はたまらないだろう。
笑ってる私をあきれた目でみる。

先生に頼んでしゃっくり止めの薬を出してもらったが、3時間おきに飲んでも全く聞かないらしい。
次の日に病院へ行ったら、今度はしゃっくりに加えてゲップが出た。
まあ、忙しいこと。

三日間の抗がん剤の点滴が終わり、水の点滴を2日間投与。
抗がん剤が腎臓に影響するので、水で薬を流すようだ。

一日何回もトイレに出入りするつれは、鼻からの管と点滴の支えを引きながら大変そうだ。
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9月11日

仕事を早めに切り上げて病院へ直行。
すでにPET CTの撮影会が終わったらしく、つれは冗談を言う。
「あのな、ペットCTっていうからな、おれは犬が良いか猫が良いか決められないと言ったよ。」
くだらない冗談を言っているからまだ大丈夫だな。

「ママ、知ってる?撮影中歌が流れてるんだよ。」
?患者の気持ちを落ち着かせるための配慮なのかな?
でもBGMじゃなくて歌とは??
「何の歌が流れたの?」
「狙い撃ち!」
ハイハイ。


9月12日

先生から検査結果の説明と今後の治療方法の説明が有ると言う事で、二人揃って面談室へ。
前の病院のように、パソコン画面とホワイトボード、主治医のイケメン先生の他にインターンのこれまた若い20代の女性の先生がパソコンに何やら記録を打ち込みながら同席。

「ご主人のガンは小細胞がんの限局型(LD)です。
ステージⅢaです。
今の状況はあまり宜しく有りません。
縮んだ左肺に空洞が出来ていて、そこに心臓が寄ってしまいました。
右の肺にも肺炎がみられます。
幸い脳や他の部位の転移は有りませんので、これから抗がん剤を使います。
放射線の治療は、現在身体の状態が良くないので見送ります。
三日間の抗がん剤の点滴を13日から始めますが、それに伴う副作用がありますので、その説明をします。」
などと丁寧な説明をしてくれる。

しかし、説明後の二人の感想は、なんだかとても暗い気持ちになり、つれは珍しく肩を落としていたな。
帰り際に「おれ、三日後には死んでるかもしれないな。」

帰りにつれの一人娘と姉にメールで報告。
先生の説明をそのまま伝えたつもりなのに、娘からの返信には「お父さん、もう死んじゃうんですか?」だって。
そんな脅かすつもりはなかったのだが、やはり先生の説明をばかりの私達の心境と同じだった。

明日からつれはどのような副作用が出るか分からない抗がん剤を身体に入れるんだと思うと、心身ともに構えてしまう。
あ~、この先どうなるんだろう。

CIMG08969月9日

いよいよ大学病院へ移る手続きが始まった。
2週間お世話になった病室は4人部屋だったので、お支払いの際に請求額を見てビックリ!!
移った大学病院でも4人部屋しか空いていないと言う。
これからどのくらい入院生活生活が続くか分からないので不安が募る。

つれと私は中高年の再婚同士。
お互いに結婚生活の時期も同じで、離婚後私は小学生の息子を二人引き取って育って来た母子家庭、つれは娘を一人で育て上げた父子家庭。
同じ時期に子供達も成人になり家を離れているので、互いに将来の不安と寂しさで2011年に再婚したばかりだったのだ。

なので正直つれのそれまでの歴史を知らない。
初めて向き合って色々話をしてみると、男の人の金銭感覚の鈍さなのか、お金に対して無頓着なのか、医療保険や生命保険など何一つ掛けていないと言う。
あ~~、どうするんだよ!!

当たり前のようにお金の心配で頭がいっぱいになる。
今更つれを攻めた所で空からお金が降ってくる訳じゃないので、生活費や入院治療費など漠然とした不安で夜も眠れず。

とりあえず様々な検査の日程が組まれ、本格的な?闘病生活の幕開けとなったのだが、4人部屋に入る時に、すでに入院中のみなさんにご挨拶。

この病院、ワンフロアー全体が肺病の患者ばかりで、ガン患者が多いのかスキンヘッドの方が多い。
なるべく外が眺める窓際が良いと言うつれの希望で、良いポジションがゲット出来た。
窓の外は新しい病棟の建築中で工事の様子が眺められる。

これにはつれも大喜びで、仕事柄興味のあるものが見られるのが嬉しいようだ。
これで少し気が紛れるといいな。

向かいのベッドにはスキンヘッドの山田さん。
おしゃべりで人なつこいおじさん。
話を聞くと、肺ガンの治療をもう2年半もやっていると言う。
気が遠くなりそうだ。
入退院を繰り返しながら抗がん剤と放射線治療を続けているので、髪はもちろんの事、眉も無かったな。

うちのつれは人見知りが激しく、強面なのに気が小さく社交性に乏しい。
結局一人の時はカーテンを引いて誰とも話さないので、毎日私が病院へ行くと、せきを切ったように皆の悪口や告げ口をしてくる。
ハイハイ。

次の日からPET CT(これは、薬品を点滴で身体に流すとがん細胞に反応して光るそうだ)やレントゲンなど、次々と撮影会が始まる。
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9月8日

某大学病院に移る事になった私達は、紹介された受け入れ先の担当医に面接をしなければならず、外出許可を得て、簡易用の酸素ボンベイのキャリバッグを引きながら久々のデート??

そう言えばたまに街で見かける酸素を吸いながら歩くお爺さんやお婆さんだ。
つれが酸素ボンベイを引きながら歩く姿が可笑しい。

せっかく病院を抜け出したんだから何か美味しいものでも食べようと、和食のファミリーレストランへ。

いつも油濃くて味が濃いギトギトの食べ物が好物だったつれは、入院してから糖尿病がおもてに出て来たらしい。
点滴の成分の影響で糖の数値がめちゃくちゃ上がってしまったらしく、インシュリンを打っている。
この人どうなるの??


段々食も細くなったのか、食べる量が減った。
う~~ん。
でも我慢をしない人なので(だから病気になったのか)、天ぷらとそばの定食に唐揚げ少し、デザートにソフトクリームパフェにあんみつ、ネギトロ丼を頼んで二人で食べたのだが・・・。
こう書いてみるとやっぱり食べ過ぎだね、インシュリン打っても仕方ないか。


腹こしらえも済んで、いざ面接へ!
大学病院らしく散々待たされてやっと通された部屋には、なんと!!若いイケメンの先生がいるではないか。
やったね!!
しかし若い・・・。

持っていた資料を見て「◎◎先生がこちらに行けと言ったんですか~~。」
え?迷惑なの??
病室が空いていれば入りたいですが、よろしくお願いします。と頭を下げて、次の日に引越しが決まった。



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つれが人生初の入院となったのが8月の24日。
同じ日に二軒目の病院に回されて、即酸素の管に繋がれて寝たきりになるなんて、この笑顔からは想像も出来なかった。
検査のために下の階に移動するだけなのに車イスにのせられた事がおかしかったのかこの笑顔。


全てが初体験となったわけだが、つれはまだその深刻さに気が付いていない。
一級建築士のつれは大手会社に勤めるサラリーマン。
もちろん会社にも報告をせねばならず、どのように今の状況を伝えれば良いかつれに聞いた所、「ママがやってよ。」と。

それまで会社に電話を入れる等一度もした事がないので、まずは先生の見解を聞いてからにしようと思って、看護師さんを通じて電話で話を聞く事になった。

検査の結果が出る前だったのだが、本人を前にして言えない事も有ろうと思った。

「申し訳有りませんが、先生の率直な意見を聞かせて欲しいです。
主人は会社員で明日会社に今の状況説明をしなければなりませんが、先生の考えでは主人の会社復帰は可能だと思いますか?」
「無理だと思います。
腫瘍はおそらく癌だと思われます。
データーが揃ってからもっと詳しい説明になると思いますが、社会復帰は無理だと思います。」

どうしよう。
頭の中が真っ白になり、だって昨日まで会社に行って来るよと・・・。
まだ状況の変化が早すぎて頭が付いていくのが・・・・。


2週間ほど様々な検査が行われて、家族も交えて説明をしますと連絡があった。

若い女医の先生はまたもやホワイトボードに丁寧に書いて説明をしてくれる。
進行性肺ガン
大変進行が早いらしい。

今後、抗がん剤と放射線治療をしていかねばならず、おまけに肝臓にも陰が見えると言う話だ。
おいおい。

この病院には放射線治療が出来ないし、肝臓専門医もいないので、また別の病院に移って下さいと言われる。

3週間のうち3回の引越し。
あ~~~、なんだか始めから全力疾走させられる想い。



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私自身、あまりブログやら日記を書く事が好きではない。
しかも、誰かに読まれる事を前提に書くなど、小説家やエッセイストならともかく、朝は何を食べたとかどこのレストランに居ますなど、知りたくもない
し日常をさらけ出す事にも抵抗があった。

なのに、こうしてブログを書こうと思ったのはなぜか?

つれが軽い肺炎と診断されてから、なかなか咳が止まらず、休みに同伴した近所の病院では「成人ぜんそく」と言われて人生初の吸引機を使用する事になったのだ。

ひゅーひゅーと息が漏れる音が激しくなるのと同時に、息が吸えなくなったと言うつれに、会社の有給を利用して一週間色々検査をしてみようと言う事になったのだが、次の朝早々、吐き出したタンに血が混ざっていたのが初まりだった。

つれは日頃人間ドックに毎年検診に行く以外、病院通いをした事がなく、病院嫌い、注射が怖い、血を見る事に耐えられないと、味噌顔で土木の棟梁のようなゴツい顔のつれが言う。

そのつれがタンに混ざった血を見てびっくり仰天!!
寝ている私を置いて病院へ直行!!

2時間後に電話が掛かって来た。
「ママ、おれ、入院になったよ。
車はおれが乗って来たから、タクシーで来てくれるかな。」

瞬間頭の中では不吉な予感がしたのだ。
これはもしや大変な事になりそうだと感じて、いそいそと入院生活に必要な物を用意してタクシーで毎年人間ドックでお世話になっている病院へ駆けつけると、きょとんとしたつれが病院の借り物のパジャマをきてベッドに横になっている。

「どうしたの?病院ではなんて??」
「おれ分からないけど、レントゲンを撮ったら、左の肺が真っ白で無くなってるんだよ。びっくりした。」


しかしその病院では肺専門医がいないと言う事で、入院1時間後には別の病院に移るはめに。
ビックリしたのは、一時間も病室にいなかったのに、入院手続きと退院手続きをされた事だった。

次に移った病院は社会保険◎◎病院と少し大きめの病院で、築1年と新しい病院だった。
しかも先生も看護師さんもみんな若い!
この病院には20代と30代しかいないのか!!
患者はみんな老人か中高年でスタッフ一同若々しい。
このアンバランスに妙に違和感を感じたのだが、担当の主治医の女医も30前後と見え、少し不安感を抱きながら説明を聞く。


つれと一緒に部屋に通されて、パソコン画面のCTやレントゲン画面を見ながらの、今ときのハイテクに触れた感じだ。

「無気肺・肺気腫」もう一つは思い出せないが、何だか恐ろしい肺の病気になった事は分かった。
無気肺と言われた左の肺は空気が入る入り口に腫瘍らしきデカい出来物が塞いでいるので潰れてしまったそうだ。

なので息が吸えなくなった訳だ。
フムフム・・・、淡々と説明をする先生、ホワイトボードに丁寧に書きながら説明。
腫瘍の検査をしたいのと息がしやすいように酸素を入れると言われ、つれはその瞬間からベッドの頭上部分にある酸素の管に繋がれて寝たきりの生活が始まったのだった。


家族は急に言われたりホワイトボードに書かれても飲み込むのに時間がかかるもので、すぐに「あ、そうですか。」とは行かないのだ。

頭はパニック!
勿論当事者のつれもショックだと思うが、先までぴんぴん会社に通っていた大黒柱が酸素の管を鼻に突っ込んでベッドに寝込んでいる事を理解したり自体を飲み事など・・・・。

取りあえず帰りに本屋に立ち寄って肺の病気に関する本を買い込んだり、自宅に戻ってネットから情報収集に徹夜をしたりと、まあ~大変!!

私がなぜブログを書こうと思ったかの説明がこんなに長くなってしまったけど、同じ経験をした人がいれば参考になるだろうと色々探してみたけど、望むものが見つからなかった。

そこで、病人はもちろんの事、看病する側の人間として、日々感じたり分かった事などをリアルタイムで飾りっけ無しのありのままの事実を綴ってみようと思ったからだ。

きっと綺麗事ばかりじゃないと思う闘病生活を傍で関わりながら伝えられればと思う。

明日は、その続きを・・・。