「ゴール手前でフィールドルージュが逃げるフリオーソを交わす」という仮説どおりになったのはいいんですが、\280って…配当低すぎorz

でも冷静に考えると、これだけつけば上々という気もします。

シャドウゲイトは頑張りましたが2着のフリオーソに4馬身差、アンパサンドはさらに5馬身差、5着に入った浦和のマルカカイゼルはさらに7馬身差、首差でつづいた高知のケイエスゴーウェイを挟んで7着は2.2秒差と、力量の差がはっきりと出てしまい、G1としてどうなのよ、と思わないこともないです。

フィールドルージュは1600mは短い…というタイプはないので、フェブラリーSにも出走してヴァーミリアンやサンライズバッカスと改めて白黒つけてほしいですね。

統一G1に敬意を表して予想。

とはいえ、ヴァーミリアンにサンライズバッカスと、2頭のG1ホースが直前で出走回避となり、予想しがいのないメンツになってしまいました。

一応10頭立てですが、実質は

1 フィールドルージュ

2 フリオーソ

4 アンパサンド

9 シャドウゲイト(ダートこなせれば…の条件付き)

の4頭立てです。

難しいのは9シャドウゲイトの取捨ですが、考えてもわからないものはわかりませんし、仮にダート適正があったとしてもフィールドルージュに勝つのは容易でないと思いますのでオミット。

もっとも、フリオーソやアンパサンドとは互角…というのはあり得なくもない気がします。

しかしフィールドルージュからあまり手を広げるとトリガミになってしまいますので、ここは先行有利な川崎競馬場2100mの特徴を加味し、

「ゴール手前でフィールドルージュが逃げるフリオーソを交わす」

という仮説の下、馬連1-2の一点勝負でいきたいと思います。


なお、私こと西沙里奥は川崎記念を生で観戦したことがありません。だって平日開催なんですもん。したがって川崎記念の馬券を買ったこともありません。というわけで、今回も買いに行けませんので、あくまでバーチャルです。

テラ・ブルディガラ(Terra Burdigala)は、醸造家ステファン・ドゥルノンクール氏と、シャトー・ルパンを始め、ヴィユー・シャトー・セルタン、シャトー・ピュイゲローといった、ボルドーのトップシャトーをこの世に紹介してきたフランソワ・ティエンポン氏の二人の情熱によって2001年に誕生したブランドで、「ボルドーの大地」をラテン語で標記したものです。
その目指すところは、その土地に根ざしたボルドー本来のテロワールを表現することにあり、スタッフがボルドー・スーペリュールAOCの「ポテンシャルを秘めたテロワール、やる気のある造り手、完璧に管理できる規模の畑」を探し歩いていたところ、ドゥルノンクール氏が1998年よりコンサルタントを行っている「シャトー・ル・パン・ボーソレイユ」のオーナーが「自分のお隣さんで、とても良いテロワールのシャトーがある。オーナーは若くてやる気のあるいい奴だけど、経験がないのでワインにキレがない。でもポテンシャルは凄い」と言って紹介されたのが、このアントル・ドゥ・メールに所在する優れたテロワールを持つ「シャトー・ロック・ド・ジャンリス」です。
なお、もともとは2003年ヴィンテージからリリースの予定だったようですが、エージェントとのトラブルによりリリースが遅れ、2004年が「テラ・ブルティガラ」として初のリリースとなったようです。
ワイン名に冠されている「ロック・ド・ジャンリス(ROC DE JEAN LYS)」はキュヴェ名です。このワインを生産しているシャトーの正式名称は「シャトー・ロック・ド・ジャンリス(Roques de Jeanlice)」ですが、シャトー本来の名前ではない為、シャトーの記述をつける事は禁じられており、その為、ラベルの記載は"ROC DE JEAN LYS Produced by Chateau Roques de Jeanlice"となっているとのことです。
「テラ・ブルティガラ」生産に向け、それまではすべての収穫から良いロットを選び出していたところ、シャトーの畑12haから樹齢の高い区画、日当たりの良い南向きの区画4haのみをセレクションする方法を採用し、さらに実際にその区画から収穫されたブドウの様子から、樽の使用を40%にまで調整し、内新樽を1/3とし、マロラクティック発酵にも樽を使用するなどの醸造技術が駆使されました。
このようにして、テロワールの素晴らしいポテンシャルが「テラ・ブルディガラ・ロック・ド・ジャンリス」 に結実されています。
テロワールの表現にこだわったワインは、ブドウ(平均樹齢25年)の特徴を自然に引き出したもので、色は深く濃いルビー色、フルーツのアロマにあふれ、濃縮感の中にエレガントなタンニンを持っています。熟成中、ミクロブラージュ(醗酵中に極微細な泡を発生させ、色素やエキスの抽出を促進する技術 )を行い、滑らかでふくらみを持った味わいを表現しています。全体として、癖のない上品なバランスを持っている一方、濃縮感に欠けるような印象を受けます。人によっては「薄い」と感じるかも知れません。まだ飲み頃を迎えていなかった、ということではないと思いますが。
ボルドーの当たり年となった2005年のヴィンテージだとまた違うんですかね。機会があれば試してみたいものです。


(余談)
このシャトーが所在するアントル・ドゥ・メールは、ドルドーニュ川とガロンヌ川に挟まれた3角州の部分にあります。小高い丘の続く地形となっており、近年になって辛口の白ワインの品質が高まり、注目を集めています。
赤ワインも白ワインと同程度産出されていますが、AOCが認められるのは辛口(残糖度4g/l以下)の白ワインだけということで、この赤ワインのAOCはボルドー・シュペリュール(収穫量4.0kl/ha以下、アルコール度10.5%以上)となっています。

2004/フランス/ボルドー AOC:Bordeaux Superieur
生産者:Chateau Roques de Jeanlice
輸入元:日本リカー
葡萄品種:メルロー70%、カベルネフラン30%
価格:\2,530(近所の酒屋で購入)

この記事は備忘録的に「なるほどなるほど」と感じたポイントを押さえただけなので、正確には書評ではありません。類書がないという一点をもって、☆4つです。

もちろん、ユダヤ・ロビーだけでアメリカを判断すべきではないのですが、その影響力の強さを改めて認識させられます。


○在米ユダヤ人は米国人口の2%弱だが、全米トップ100の大富豪(個人資産25億ドル以上)の中で32人を占めている。

○ユダヤ・ロビーは、メディアにも強い働きかけを続けており、米国メディアはその圧力をおそれ、イスラエルについて疑問を呈すことはほとんどない。

○イスラエルは、米国が諸外国に与える経済・軍事援助の2割強(約30億ドル)を受給している。また、他の国々は米国が支給した軍事援助金で米国の余剰農産物や工業製品を買うことが義務付けられているが、イスラエルにはその義務はないばかりか、軍事援助金の4分の1は自国の軍事開発に投資することが許されているなど、優遇されている。

○ユダヤ・ロビーが強い政治力を発揮できる背景には、1980年代半ばに成立した「キリスト教右派」(一説に約7,000万人)という強力な同盟者の存在があるが、長らく犬猿の間柄だった両者は、1967年の第3次中東戦争でイスラエル軍が聖地エルサレムを占領したことから接近したにすぎず、基本的価値観は異なるため、容易に崩れ去ってしまう可能性もある。

○ユダヤ人社会は民主党との結びつきが歴史的に強く(リベラル派が民族解放の立場からパレスチナ難民支持の立場を取るようになって亀裂が入ったものの)、同党の政治資金全体の約半分を提供している。


アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか―超大国に力を振るうユダヤ・ロビー/佐藤 唯行
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一応、年100冊を目標に本(漫画含む)を読むことにしてます。読んだ内容を忘れてしまっては勿体ない…というか、以前と比べ確実に頭に残らなくなっていることを嘆きつつ、感想などをブログに残しておきたいと思っています。 なお、評価の基準はこんな感じです。 ☆☆☆☆☆:よく頑張った!感動した!(新たな知識or視点+感動ゲット)
☆☆☆☆ :非常に勉強になりました。(新たな知識or視点ゲット)
☆☆☆  :楽しく読ませて頂きました。(一時の興ゲット)
☆☆   :まー、こんなもんですかね。(とくになし)
☆    :…ノーコメント。(waste of time?)

「エリートとは断ることのできる社会的責務を自らの責任として受け止めて実行する人間だ」 José Ortega y Gasset


学生時代にオルテガを読んだときは少なからず衝撃を受けた。今振り返ると、如何に我が国で「エリート」の存在意義が(教育現場で)タブーとされているかを象徴する体験ではある。最近の教育現場の雰囲気はまた違うのであろうか。

ある人は言うかも知れない-「みんなでやればいい。」と。「みんな」って、誰?

大衆の反逆 (中公クラシックス)/オルテガ
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アルザス・コキヤージュはシルヴァネールとピノ・ブランの2品種がブレンドされた白ワインで、とても飲みやすいワイン

に仕上がっています。シルヴァネールが力強さを、ピノ・ブランがまろやかさをそれぞれ分担しています。
色は緑が混じった薄い黄色、香りは爽やかな果実、味わいはフレッシュで辛口、酸味はほどほど。極めて飲みやすいワインです。エチケットに貝(フランス語でCOQUILLAGE)や魚が描かれているとおり、魚介類に合わせるとワインの酸味と魚介類の甘み・うまみとが素朴なマリアージュを示してくれそうです。

作り手のトリンバック社は17世紀以来の歴史を有しており、19世紀末にフレデリック・エミール・トリンバックの代に現在のリボヴィレ村に移りました。1898年にブリュッセルで行われた国際品評会で、出品したワインが最高位の賞を受けたことで、ワイン醸造業者としての名声を博すようになりました。現在もフレデリック・エミールのイニシャルが社名に冠されています。現在は約14ヘクタールの自社畑を所有し、年間8万ケースのワインを造っています。

ノン・ヴィンテージ  フランス/アルザス
生産者:F.E. トリンバック
輸入元:日本リカー
葡萄品種:シルヴァネール、ピノ・ブラン
価格:¥1,459(近所のスーパーで購入)

「小売業のプロによる消費低迷分析」 への鍋象さんのコメント より。


大手流通小売の経営者の行動心理についての半径50m的ネタ。
食品小売のような生活必需品産業は、不況期にもへこみが少ない事で、他の産業と比較して相対的地位が向上しています。逆に好景気になると、食品小売業界の地位が全体的に低下します。銀行の態度も、経団連の中での地位も、マスコミへの露出度も、世間の注目度も全て相対的に低下します。これは流通系の経営者なら100%思っていることです。

次に、ある程度大きなグループは、メーカーに対してシェアによる影響力を行使して競争他社より利益を得ています。つまり売上高の多寡よりシェアの多寡の方が彼らの競争優位の継続にとって大事です。100円ショップ、99円スーパーなど新興の業態は今後もいくらでも発生しますが、これらは低付加価値型の業態なので、自分たちの経営資源をシナジー的に活用できます。そのため、自らその市場に参入する事で競争に打ち勝つ事は割りと容易です。逆に好景気になって高付加価値型の産業が流行しはじめた時には、社員を半分入れ替えるくらいの改革が必要となります。それができなければ、メーカーに対して行使している影響力の低下=収益率の低下を甘んじて受け入れなければなりません。要するに、彼らが自分の頭に入っている事には対応できるし、既に勝ち組ですので同じ土俵なら負ける事は考えられません。そのため現状維持が望ましいと考えています。彼らが恐れるのは、自分たちが理解できない成長要因です。

そして、経営者は必要に応じて社員など周囲の人に対して嘘をつかなければなりません。これは確信的に思っている事です。ビール&発泡酒の売上高推移も良く知っているでしょうし、部下の報告を聞いてメーカーとともに取り組んでいるはずです。全てをわかった上で、確信犯的に自社の都合を前面に出した嘘をついているのだと思います。

「産業界の声を聞く」というともっともらしいのですが、それには相当の競争阻害や自社都合のバイアスがかかっていると考えるべきですね。


産業界の声って、冷静に考えれば(程度の差こそあれ)ポジショントークに決まってますわね。ただ、ポジショントークするならもっとうまくやれ、ということでしょうか。声を聞くことは必要でしょうが、聞く側にも相当の修練が求められそうです。

私はたまに学生にものを教えたりすることもあるのですが、ポジショントークを疑うことの重要性は意識的に強調しています。まあ、そうすると私の話の内容も疑って聞かなければならない、ってことになるんですが。いわゆる「クレタ人のパラドックス」みたいなもんでしょうか。

ちなみに「『クレタ人のパラドックス』はパラドックスに非ず」というネタもありますが、またの機会に。


すなふきんの雑感日記「客に説教するの?」 でのkechackさんのコメントより。
80年代に内需拡大が叫ばれ、一度は内需主導の経済構造に変質したかに見えたのですが。当時は日米貿易摩擦が問題化し、アメリカは日本国内消費の増大と日本企業の国際競争力低下を望んでいました。よって企業が労働分配率を下げるような労働政策は外圧でできませんでした。 ところが今アメリカは日本企業を競争相手というより投資先と見做すようになり、むしろ労働配分率を下げて株主配当を増大させる圧力の方が強くなっています。企業としては人件費下げ放題の環境が整っているのではないでしょうか。
付言すると、労働者=国内消費者が弱くても外需依存なら無問題でありますので、経済界は如何に現在の景気が外需依存かということをよく理解しているということでは。
耐冷 耐苦 耐煩 耐閑
不激 不躁 不競 不随 可以成大事矣

東京電力(株)代表取締役、経団連第7代会長を務めた平岩外四が、安岡正篤(まさひろ)から送られた直筆の書に記されていた言葉。
平岩は「不如会」という安岡の勉強会に参加しており、ここで東洋学を中心に安岡が講義を行っていた。平岩によると、安岡の講義の中心は東洋学の三原則ということで、その内容は以下のようなものだった。
・物事は長期的に見なければならない。(⇔短期的)
・物事は全面的に見なければならない。(⇔一面的)
・物事の本質を見なければならない  (⇔枝葉末節)
私のような小人には「耐閑」などは苦もないように思われるが、案外やってみると難しそうではある。
ちなみに出典は学士会発行の「先学訪問~21世紀のみなさんへ~」07。
表紙をめくると平岩の書で「恕」の一字が。この字好きな人多いなぁ。