娘が不登校になって小学校との対応で疲れてしまったこと4 リーダーシップ | 「育児書にない!」~ASD母子の育児&お勉強&歴史の授業~

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ASD(自閉症スペクトラム)当事者で、娘もASDである、元社会科塾講師のセザール=れくす、が描く、「ASDのお子さん向けの受験勉強についてのブログです。
育児についての話や不登校の娘への対応の話、自分自身の生き方についても語ります。

みなさま、本日もありがとうございました。



娘が不登校になったあとに

学校と話したことで疲れてしまったことを

備忘録で定期的に書いてます。


今回は、娘の不登校とは直接関係ないのですが

娘が不登校になった原因は

担任の先生の高圧的な処刑スタイルに

「学校で勉強する意義がわからなくなった」

ことですが、

「周りの同級生と仲良くできているし

好きな友達もいるけど、

どうしても違和感があり、

それが苦しい」というのもありました。








違和感


私のように、娘は

いじめられたわけでもなく

ただの違和感。


でも「違和感」が、娘の中で

かなりキツイのは、私も同じ状態で

あったので、他の人にはたいしたことないと

感じるかもしれないけど確かにキツイよね?

…と。


もちろん、私の感じる違和感と

娘の感じる違和感は具体的には違います


ただ、他人に話しても

勘違いされる返答をされるのが

わかっているので

黙っているしかない、

我慢するしかない、あの違和感


我慢できるレベルではある違和感


だけれど、毎回、

違和感感じるのわかってて

がんばってそこに行くけど


いや行くけども…




疲れるんですよね…ガーンの正直な話を

今回書きたいと思います。



今回は娘でなくのお話です。



今回はそれについて書きたいです。



私の違和感の話


何かについて

明らかに他の人より

がんばっているとき、


なぜ、その人は、不満な顔もせず、

ときには楽しそうに

がんばっているのか?


という理由他人はどう考えるか


について、の話です。



例えば、


「それが好きだから」

「それができるようになると

メリットがあるから」



…と考える人が多いのではないかな?


…というのが40年間、生きた結果

私が出した結論です。



確かに、上記の理由で私も動くことは

あります。


「絵を描くのが好きだから」

「絵で少しでもお金を稼ぎたいから」

という理由で

クリエイター活動はしてますし



「この学校に受かりたいから」

という理由で受験勉強はしました。


勉強だって、

最初は

「将来の職業選択の幅を広げるために」

のためにしてました。



そのうち、勉強そのものが楽しくなって

勉強するのは将来のためにでなく

毎日のストレス解消の日課(趣味)に

なりましたが。




しかし、

「何かしらの長になりたいから」

「長をやるのが好きだから」

という理由で「長をしたこと」は

私は一切ありません。



毎回、くじ引きとか、

副長になろうとして失敗して

長になってしまった、

とかそういう形です。



ただし、仕事では

責任者としてやりたいときは

立候補してやることは

ありました。

でも、それは、

「長になりたいから」と

いう理由でなく

「その業務は、長でしか

成し遂げられないから」

という理由です。





私にとってのリーダーシップとは?


ただ、某団体などで

くじ引きなどで長になったとき、


やりたくなかったけれど

その役職になったからには


不満な顔をせず

楽しそうに、

笑顔で

必死にやりとげる


というのを私はします。



理由は、

長が不満そうな顔をしたり

辛そうな顔をしたら

周りのメンバーは

「この業務は、良くないものなんだ」

とか悪いイメージを持つことを

少しも防ぎたいからです。



長(リーダー)の役割の人

一番すべきことは

雰囲気づくり」だと

私は思ってます。


さらに

「なんかわからんが、

この業務を長が

楽しそうにしていると

自分もその業務をしたくなる」

と思ってもらい、

自主的に動く人が多くなり

グループとしても

ストレスが少なくなるかな?と。




これについては

フランスの、ある小説家が

「ナポレオン・ボナパルトは

単なる成り上がりではなく


自分もナポレオン・ボナパルトのように

生まれとか関係なく

己のちからだけで出世できる

という夢を与えてくれる存在であるからこそ、


彼は英雄なのである。」


みたいなことを言っていたのを知ってから



長というのは、

他の人に

夢を見させるもの!


と思いました。


だからこそ、塾講師を職業で選んだわけで

今は漫画家を目指してがんばっている

わけです。


自分がリーダーシップをとったとこで

生徒さんや読者さんが

」を抱いてくれたら

うれしいから。ニコニコ


夢と言っても、

将来の職業とか、そういうものだけでなく、


今日より明日、

明日より明後日の自分が

もっとなりたい自分に

なっている気がするラブラブ


とか



なんだか明るい未来が

待っている気がする!グリーンハーツ


とか、そういう夢も含めたハートピンクハートグリーンハート



話を元に戻します。




嫌だったこと


「何かについて笑顔でがんばるニコニコ

というとき


私は「長としての業務」

をがんばっているのは

長をやりたくて

やっているわけではない

のです。



しかし、私は

「長は、メンバーに夢を見させる役割」

としてだけがんばっているのに



「目立ちたいからニヤリ

「マウントとりたいからえー

「お偉いさんの方と交流をとりたいからムキー

「男性と話せる機会が増えるからキョロキョロ

と思われることが

とんでもなく屈辱なんです。魂魂魂魂



こちらは忍者並みに気配を消したいのに

それが発達障害ゆえんなのかは

わかりませんが、

気配消しがとても苦手なだけ。

ステルス化パワーとか欲しい。



マウントとか、他人が存在する世界で

生きたいと思わないと存在しない概念で


こちらは自閉的な世界で生きたいから

他人との差で幸福感は得られません。



「お偉いさんや男性と話したいから」

についても


他人と話すのはできるけど


お偉いさんだろうが男性だろうが

女性同様、他人にすぎないので、

そうなると、

ストレスの方が大きいから

なんでわざわざそれをして楽しいと

思うんだ?と。


もちろん、自分から「好き!話したい!」と

思える相手と話せるのはうれしいけど、


その人の持っている性別や身分や役職で

話したいわけではないです。




ただ、例えば、

その人しか知らない情報や知識を

教えてもらえるなら交流も楽しいけど


役職や性別だけで

話す内容が自分と合わないなら

別に、楽しいわけではないよね?と。



それなのに


私が長をがんばるのは

長の役割を考えて

長をがんばりたいから

がんばるわけで


その長が手に入れる栄光とかは

正直、どうでもいいんです。



権力は欲しいです。

それは、権力がないと

成し遂げられないことがあるから。



でも、何の実権もない、

学校や男の傀儡でしかない長を

がんばるのは


長にくじびきでなったから

がんばっただけで


身のない栄光なんていらない。


そんな栄光を欲しいと思われたのが

すごく屈辱だったのです。


でも、そういう風に言うと

「自分が心が綺麗だと思ってんの!?」

と怒り心頭な方がいるかもしれません。



そうではなく


私の好きな歴史人物たちは

「長」としてがんばっていたのに


私に「身のない目立ちたい栄光のために

長をやっていた」という思われると


私が尊敬する歴史人物の人々や

私がその歴史人物を理解するために

一生懸命がんばって勉強したときに

お世話になった本と

その著作者の方々、が

侮辱されたような気になって


私が歴史が苦手なのに

すごく頑張った毎日を

否定された気分になってしまう。



でも、相手がそんなつもりはないのに

私が勝手に怒るのは理不尽だな

と思うから、


相手が私の考えと違うのは

お互い様、と考え、我慢する…


我慢するのですが…



まあ疲れてしまう。



疲れてしまうと思考がまわらなくて

理解力や集中力が

著しく低下してしまいます。


しかも回復に短くて一週間、

長いと数年かかります。




娘の不登校を受け入れたわけ



娘が学校に行けない理由は理由でしかなく

それでじゃあ不登校OKというわけには

いかない。


なぜなら、理由は「過去」のことだから。


だから、その「過去」の対策で「現在」を

つくることは可能。



要は、その理由を踏まえて

学校に行ける対策をする、

というのがスタンダードなやり方だと

思います。


学校側もそういうスタンスでした。


「2度とその先生は娘の担任にしない。」

「娘が辛くなったら保健室登校を」

「スクールカウンセラーに相談を」

などなど。




でも、私は、「現在」の行動によって

未来」がどうなるか?

の…予測を何パターンもします。


それって、リーダーをするのに

必要なことかな?と。


親は子供のリーダーだから。



自分がどう動くか?で

相手がどう動くか?、

とか、

自分がどうがんばれば

何を手にいれれるか?

などの未来シュミレーションを

何パターンもして、



娘の今までの

過去の経験データ(幼稚園の先生の完食強要と人格否定から拒食症と父親拒否症になったり、勉強も自分が納得しないと勉強内容が頭に入らないが、納得できるまで辞典なりなんなりで調べると一気にできるようになるなど。)を加味して

その未来シュミレーションをした結果



どうやっても


過剰適応しすぎて、疲れる。

他人の顔色を伺い、

他人の意見で動かないと

不幸なことがおこると思って、

嫌なのに他人に自分の人生を預ける

人生しかないと諦める。


そして

神経すり減らして、せっかく伸ばせる

画力や学力が伸ばせないまま大人に

なって、荒れまくる」という娘の未来しか

毎回結論が出て、詰んでしまいました。



でも、不登校を選ぶと

「小学校行かないよりは、大人になったとき

自立できる可能性が見える」

となったので



一か八か、不登校になって

自宅学習に切り替えたわけで…。



その私の予測があっているか?は

わからないですが、

まあ、いつ隕石流れ星がおちて、

人間も恐竜のように絶滅するかも

しれないので

まあ、今は自分が正しいと思う

勉強を娘にさせていきたいなぁ、と

思います。