流産や強迫性障害、子供の不登校のとき心の支えになったアメリカドラマのこと | 「育児書にない!」~ASD母子の育児&お勉強&歴史の授業~

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ASD(自閉症スペクトラム)当事者で、娘もASDである、元社会科塾講師のセザール=れくす、が描く、「ASDのお子さん向けの受験勉強についてのブログです。
育児についての話や不登校の娘への対応の話、自分自身の生き方についても語ります。

みなさま、本日もありがとうございました。


最近、また

アメリカドラマ熱が再燃してます♪

もう5回目くらいの再燃かな?


今回の再燃のきっかけは

「LAW&ORDER」シリーズ♪

やはり楽しくてしょうがないです。口笛ラブ





(イラストはとくに関係はないイラストです。)



1 : アメリカドラマと…


私は

アメリカドラマのおかげで



小5のいじめのあとの辛さのあとに

前に進めたし


高校で世界史選択したのも

アメリカドラマのおかげだし


そのおかげで大学で

西洋美術史にハマり

塾講師になれたし

世界史は一生ものの心の支えになったし、



2度の流産のあとに

ストレスで生理が止まり

3度目の妊娠努力をしようと

決心したのもアメリカドラマのおかげ。




娘の育児のノイローゼから

強迫性障害になり

そこから脱却しようと決心できたのも

アメリカドラマのおかげ。


娘がどうも他の同級生とは違う(発達障害)

と気がつき、その対処をがんばることが

できたのも

アメリカドラマのおかげ。



…と、何かに迷いがあるとき、

いつも、私に自分が進むべき道を教えて

くれたのはアメリカドラマでした。ニコニコ



たぶん、これからもアメリカドラマから

自分なりの答えを探すことになると

思います。


アメリカドラマの良さ

アメリカドラマの何が好きか

というと…



まずは受け入れることから

すべては始まる


ことと


法治国家の誇り


を感じることです。



法(ルール)というのが

アメリカの正義であり、

誇りでもあります。



それと同時に

そのルールに縛られすぎたデメリットも

あります。


そのデメリットまで

きちんと受け入れたうえで

どうしていくか?

を考えている。


それがアメリカドラマ。


3 : アメリカドラマに救われたこと



昔、二回流産をしてしまったあと、


善意で様々な励ましの声を

周りの人々にかけていただきました。


例えば

「まずは身体を癒して…」とか

「子育てだけが人生じゃないよ」とか。



ただ、そのとき、私は

どうしても違和感を感じてしまい、


でもその違和感の正体がわからなくて

次第に自分がどうしたいか?が

わからなくなりました。ガーン



どういうことか?というと


「結局、

私は3度目の妊娠をがんばるべき

なのか?諦めるべきなのか?」ショボーン



それが自分の中でわからなくなったんです。



それで生理がとまり…。



そんなある日、

アメリカドラマがテレビで

放映されているのをたまたま観て、

そして、

楽しくてドラマを見続けたら


私の違和感の正体がわかったんです。びっくり



それは私自身が

「2回流産をした」

という事実を


ただ事実を事実として

受け入れることを

してなかったこと


それが

私にとって違和感だったのだと。



身体を癒すとか

子供がいない人生も考えることは


流産をしたあとの話であり

流産したこと、そのものズバリを

誰も話してないんですよ。


でも、それは

流産したこと、そのものより

そこに付随する

価値観というか感情

について目をそらしたいから、

であって、

当事者でない人からしたら


さすがに、その付随する価値観が

つきまとうので

言葉を濁すしかないんですよね。



私だって、流産した直後の人に

声かけするときは

同じようなことを言います。



だけれど、それじゃあ、次に進めないん

ですよね。



流産したからって

それで人間の価値が下がったりしないし

妊娠→出産できた人よりも

人間的に劣っているわけではない。


それは頭ではわかってたけれど

どうしても、流産したことを考えると

「自分がダメな人間と認めること」と

なってしまうような気がして


流産したことから目をそらしていた自分が

いるんだ、と。



悪いのは

「そのような価値観を持つ

差別の心のある自分の考え」であり


流産したこと、そのものに

良い、悪いはない。



ただ、流産したことの真実だけ。




そして、その事実を受け入れたとき


初めて自分の本当の気持ちがわかったんです。



私自身が流産したことで

一番辛かったのは


他の人のように妊娠→出産できなかった

劣等感ではなく


自分が妊娠を

希望してしまったことで

死を産み出してしまったこと

だったのです。



流産の原因は染色体異常だし

別に私自身が

何かをして流産したわけでは

ないけれど


「流産」とは「我が子の死」。


その考えが

私の中にあったから。

私自身が妊娠を望まなければ

我が子が死ぬことはなかった。


それが何よりも辛かった。


流産してしまった子のことを

常に思いながら

自分を責め続けることが正しいのかも

しれない、

だって私が産んであげられない身体だった

のだから、と…


つまり、生きて産んであげられなかった

ことへの罪悪感と

自分が罪人になってしまったような

怖さがあった。


そう無意識に思って、


心の中で

「生理さえこなければ、自分はこれ以上、

また我が子の死に出会わなくてすむ。」

と思っていたのです。




そう気がついたとき、

「死に向き合うこと」

を決心しました。



「死」とは何か?

「生きる」とは何か?


そもそも、地球上でなぜ生物が

存在しているのか?


それについて、自分なりに考える、



そういうことを続けていくうちに

やっと前に進め、

生理も来ました。



そして、

最終的には家庭教師の仕事で、

大学時代に好きになった世界史の授業を

受け持つことになり、

それで

自分なりの気持ちに区切りをつけることが

できました。


もし流産していたら

私は世界史の授業をできないまま

一生を終えていた。


世界史の授業をすることが

大学時代からの夢で目標だった。


運命っていうのかな?


とりあえず、もう一回だけ

妊娠をする努力をしてみよう。


でも、あとは天に委ねよう、と。


他の人には私の人生は

「かわいそう」に見える人生かも

しれないけれど


私は、どういう人生を歩むか?を

決めて歩くのでなく、

目の前の対処をすることで

道を一つづつ作って歩いていこう、と。


目の前で起こったことに

一生懸命がんばって

自分しか歩めなかったオリジナルな人生を

歩みたいな、と。



その後、3度目の妊娠で娘を出産できました。


でも、妊娠できなくても

私は私なりの人生を歩めたと思います。


だって妊娠→出産で

私は仕事を失った。


もし子どもがいない人生なら

仕事を続けて、今ごろは開業していた

かもしれない。

それはそれで私らしい人生。


でも、もう2度と開業する人生は

今世は私は歩めない。




娘が産まれたあともアメリカドラマには

お世話になりました。


私が強迫性障害になったこと、

娘も自分も発達障害(ASD)であったこと、

そして、今は娘が不登校になったこと、


すべて、

そこに付随する

価値観や感情を

切り離して、


まずは




事実だけを受け入れる。





そうでないと、

自分の本当の気持ちは

わからないし、


自分の本当の気持ちが

わからないと

前に進めない。



という考えの元でいつも動いています。




娘の不登校は

「学校に行かないことになった」

ただそれだけのこと、


そこを受け入れてからでないと

「後の進路」や

「娘にどう親が接するのか?」

「私が本当にすべきこと」は

見えてこないなー、と。




アメリカドラマは

私にとって、

私の迷いに一筋の光を

示してくれます。ニコニコ



ちなみに、私が心の支えになった

アメリカドラマというは



「Xファイル」、「ER」

「LAW&ORDER」シリーズ、

「クリミナルマインド」、

「MAJAR CRIMES」

「ホワイトカラー」

「スコーピオン」

…等々です。



最近は「FBI」「BULL」なども。




どのドラマでも

心療内科での診断やカウンセリングは

当たり前、という姿勢だし


自閉症スペクトラムや強迫性障害の

存在も、当たり前かのように出てきます。


私が強迫性障害じゃないか?と

早期に気づけたのは

「クリミナルマインド」のおかげで

そこから自主的に心療内科に行きました。

(結局、最終的には自力で軽症化した。)



これからもアメリカドラマを

見続けたいと思います。