「ごじたくーる 歴史模擬授業」11エーゲ文明 | 「育児書にない!」~ASD母子の育児&お勉強&歴史の授業~

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ASD(自閉症スペクトラム)当事者で、娘もASDである、元社会科塾講師のセザール=れくす、が描く、「ASDのお子さん向けの受験勉強についてのブログです。
育児についての話や不登校の娘への対応の話、自分自身の生き方についても語ります。

みなさま、昨日もありがとうございます。


今日は土曜日なので

「ごじたくーる 歴史模擬授業」シリーズをば。


詳細はこちら↓





前回から古代ギリシアです。爆笑


前回は、古代ギリシアを勉強するための

前提事項等をお話ししました。


前回はこちら↓ 


今回からは、

古代ギリシアの流れをスタート

していきます。



1:エーゲ文明


 

1:はじめに

今日はエーゲ文明についてお話しして

いきます。


エーゲ文明とは

エーゲ海の周辺の地域でおこった

古代文明のことです。


(エーゲ海とは地中海の海の一部の

呼称で、ギリシャやトルコと接している

海です。)





エーゲ文明は

時期的には、

メソポタミア文明やエジプト文明と

いうオリエントの地域の文明と

重なっています。


エーゲ文明はオリエントの影響をもとに

ヨーロッパで初めて誕生した

青銅器文明です。


青銅器文明、オリエントの影響が

あった、ということから推測できる

かもしれません。


そう、エーゲ文明は

鉄器の製法を独占してた

ヒッタイトが滅亡する前までの

文明なのですね。


…というか、ヒッタイトが滅亡した

きっかけの要因とも言われている海の民により

エーゲ文明のミケーネ文明も

滅ぼされたとも言われてます。

(色んな説があります。)

ミケーネ文明滅亡後は

400年ほど、ギリシアでは

どのような歴史を歩んだか?か

不明になります。






そして、

このエーゲ文明については


私立中学受験、高校受験では出ません


高校の世界史では習います。

ただ、エーゲ文明のうち、

クレタ文明ミケーネ文明

教科書に載ってますが

トロイア文明は載ってません。


でも、私はあえて載せました。



それは、入試に出るか否か?でなく、


歴史を理解できるか


その歴史をつくってきた人々が

どういう人達で、

その人達が培ってきた国に

今はどういう人達が生きているか?

を知ることに重きをおきたかったからです。



入試、テストというのは


習ったものを理解するための

きっかけにすぎないと思っています。


入試、テストで良い点をとるというのは

最終目的ではなく、最終目的のための

手段の一つに過ぎません。



最終目的とは理解することです。



でも、そう言うと、


「知識の詰め込み」=「理解のさまたげ」=「自由な発想力や思考力も奪われる」

と思われる方がいらっしゃいます。


私はそう思いません。

(私がそうおもわないだけで、

私と違う意見の人に対して

批判しているわけではないです。)


知識はある程度ないと

理解もできないですし

理解できなきゃ、

発想も思考もできません。


なので、そのスタンスでこのシリーズを

つくっていくつもりで、


そうなると、どうしてもトロイア文明

入れたいんです。



その理由を画像にのせました。







なので、

歴史的に認められていることをメインに

授業はしたいです。


こうあってほしいタイプの説明はしたくない。


…という自分なりの考えがあります。





でも、トロイア文明トロイア戦争を知らないと、西洋のあらゆる歴史や文化がわからなくなる!という実体験があって


私の「理解すること」を目的とすると

トロイア戦争は必要になってしまう。


そういうので、どちらをとるか?

と結果、

トロイア戦争、トロイア文明を

語る歴史、伝説は現在まで

西洋の人々の思考や価値観に

少なからずも影響を与えている

ものの一つである

という形ですることにしました。爆笑





さてさて前置きが長くなってしまいましたが

ここからが本題です。




 

2:クレタ文明

エーゲ文明のうち、まず1つ目の文明を

今からお話しします。


謎、伝説の多き文明、クレタ文明です。


クレタ文明は

紀元前2000年ごろに

クレタ島というエーゲ海に浮かぶ島に

成立した文明です。


この文明は、民族は系統不明で、

使われた文字は、現在、未解読の

線文字Aでした。



文字が解読できないため

残っているものや伝説、

発掘された遺跡から


推測していくことになります。

(推測と言っても、こうあってほしい、

という意味のものでなく、

あらゆる痕跡に基づいた推測という

意味です。)



クレタ島には、

壮大で複雑な構想を持つ宮殿が見つかってます。

例えば、クノッソス宮殿。



クノッソス宮殿には

伝説(ギリシア神話)に、

ラビリンスに住むミノタウロスや

そのミノタウロスを倒すときの

お話の赤い糸伝説などの

伝説があります。



ミノタウロスは

頭は牛で、身体は人間という

実際には存在しない生き物なので

そのあたりは歴史のテストでは

おそらく出ません。


でも、クノッソス宮殿そのものは

存在しますので

そこはテストにも出る可能性は

あります。



また、クレタ文明の宮殿には

城壁が見当たりません。


城壁というのは

住んでいるところを守るための壁です。


何から守るか?というと

侵入者、敵から守るため。


簡単には入れないように

しっかりと高い壁を築きます。


つまり城壁があるというのは

どういうことか?というと

その宮殿を持つ国は

他国と戦争をしていたり

侵入者が多かった、とも言えます。



しかし、クレタ文明の宮殿には

城壁が見当たりません。


…ということは

戦争が日常茶飯事な好戦的な世界では

なかった、外部勢力への警戒心が

薄かった文明だと思われています。


また壁画には人物や海の生き物が

生き生きと描かれていたことから


明るくて開放的で平和な文明とも。


絵は描いた人達、その絵を好む人達の

価値観や生活、感情を表しますので。



そしてクレタ文明はミケーネ文明をおこした
アカイア人に紀元前1400年ごろに滅ぼされました。

ノートにもまとめてみました。



 

3:ミケーネ文明

次は、先程のクレタ文明を滅ぼした、

と言われているアカイア人がつくった

文明のミケーネ文明についてです。



こう書くと、クレタ文明をほろぼし、

そこで、新たにミケーネ文明を

つくった、とおもいがちですが

違います。



クレタ文明を滅ぼす前から

ミケーネ文明は成立しています。

しかも、場所も違います。

クレタ文明は島にありましたが

ミケーネ文明の小王国は

ギリシア本土にあります。


ミケーネ文明は

紀元前16世紀ごろに成立しています。


そして、クレタ文明とは真逆に近い

王宮の形です。


どういうことか?というと、


クレタ文明には城壁が見当たりませんでした。

しかし、ミケーネ文明は

巨大な城壁がありました。

そこから、軍事的関心が高い、

つまり、軍事的な国だった、

ということがわかります。


民族としては

北方から移住したアカイア人です。

彼らはクレタ文明やオリエント(メソポタミア文明、エジプト文明)の影響を受けて、小王国を

つくっていきました。


文字は線文字Bという現在、解読されている文字を使ってました。

線文字Bはクレタ文明が使ってた線文字Aに

学んでつくった文字です。(ただし、線文字Aはまだ解読していません。)



文字が解読できていること、

残っている遺跡などから


ミケーネ文明の政治は、

専制的な権力を持っていた

役人による組織をつかって、

地方の村の農民たちから農産物や

家畜や武器などを

貢納として取り立ててました。

そして、その貢物によって、

王宮で働く職人や奴隷を養って

いました。


そのような政治を貢納政治と言います。





また、クレタ文明同様、ミケーネ文明も

伝説のお話はあります。


その中の一つが、

現在のトルコにあった都市のトロイアとの

戦争、トロイア戦争


トロイの木馬伝説や

「カサンドラ症候群」の名称の元になった、

カサンドラという人物の話のある、

トロイア戦争。



トロイア戦争は

ミケーネ文明の都市を中心としたアカイア人の

軍と、

トロイアの都市の軍が戦った戦争で、

この戦争により、

トロイアは負け、王国は滅亡します。



つまり、ミケーネ文明は軍事的に強い!というイメージがある!という感じです。

(あくまでイメージです。)



ただ、このトロイア戦争は

教科書には文化史にのみしか載ってません。


おそらく、伝説の部分がどこまで

歴史的に事実か?がハッキリしていない

部分も多いので、

教科書には書けない。


でも、このトロイア戦争を

神話的、ファンタジー的に描いた

芸術作品は多く、

また、トロイア戦争、トロイア文明の

ロマンが後の西洋に与えた部分は

大きいので、西洋の歴史を理解する

ための潤滑油のような役割が

トロイア戦争にはある、と感じたので

記しました。







そして、

強かったミケーネ文明にも

突然の終わりがおとづれます。


その終わりの原因は不明です。


紀元前1200年ごろに、

ミケーネ文明のそれぞれの王国が

突然破壊され、滅亡したのです。


滅亡理由は、色々と推測されております。


ミケーネ文明の王国がしていた貢納王政の支配体制のいきづまり、気候変動、外部勢力の侵入のため、等々。

外部勢力とは

ヒッタイとの滅亡の要因とも言われている

海の民という説も。



ヒッタイトとミケーネ文明のそれぞれの王国が滅亡したのは、どちらも紀元前1200年頃なんですよね。



でも、歴史を教えるときは

憶測は憶測、史実は史実、と

ハッキリとわけないといけないので

あくまで、ミケーネ文明の、

海の民による滅亡説は

推測の一つです。




ノートにもまとめました。





2:暗黒時代

 

1:暗黒時代

クレタ文明やミケーネ文明のエーゲ文明は

青銅器文明だと、先程お話ししました。


そして、ミケーネ文明が滅亡した、

紀元前1200年頃、

ギリシアも青銅器から鉄器の時代に移行します。


しかし、ミケーネ文明滅亡後は

ギリシアは混乱した時代になり、

それが400年続きます。



400年ですよ、長い!


日本の戦国時代よりも、

約4倍も長い!



この400年の間に

ギリシアでは人口が減り、

ミケーネ文明の王国内に

住んでいた人々は新しい定住地を

求めて移動していきました。、


そして、ミケーネ文明で使われていた

線文字Bはいつのまにか忘れられ…。


そして、この混乱の400年は

現代では記述による記録が残っていません。


そのため、何も見えない(真っ黒で暗い)状態なので、この時期を暗黒時代と言います。




 

2:暗黒時代後

暗黒時代の400年間にギリシアの人々は

ギリシア本土に残ったり、本土内を移動するもの、エーゲ海の島々や、小アジア(トルコがあるあたり)に移住していった、人々もいました。



その結果、それぞれの地域で長く暮らしていったことから、それぞれのギリシア人は

地域によって言葉の違いが出てきました。


方言の違いから

イオニア人、アイオリス人、ドーリア人、

と分かれます。



そのイオニア人がつくったポリスが

アテナ、

ドーリア人がつくったポリスが

スパルタです。



この暗黒時代のあとのギリシャは

このポリスごとの生活、政治に

なってきます。


では、ポリスとは何なのか?

について、次回はお話ししていきたいと

思います。


牛しっぽ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛あたま


今回は以上です。


今回は、生徒さんとの話はなく、

ほぼ、れくす先生のマシンガントークでした。



次回からが、みなさんがよくイメージする、

ギリシャのお話になります。


続きはこちら↓