「楽譜を見て弾け!」と先生が言う理由とは? | 「育児書にない!&しゃかりき!」〜元塾講師&ASD母子&不登校勉強対策用のブログ

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ASD当事者で、子供もASDです。元社会科塾講師です。
歴史の受験勉強、育児についての話や不登校の娘への対応の話、自分自身の生き方についても語ります。

2025年春に、塾講師ブログ「しゃかりき!」と合併しました。

みなさま、昨日もありがとうございます。

都道府県名暗記シリーズは
まだ続くのですが、まだノート作成が
追い付いておらず、完成しだい、
ブログにアップしたいと思います。



娘はピアノ教室に通ってますが
ピアノ教室で、
「ちゃんと楽譜を見て弾きなさい」
と先生に指摘されるようになりました。

ただ、先生は、
なぜ楽譜を見て弾かなきゃいけないか?
の理由を説明してくれません。

おそらく、先生としては
「当たり前のこと」すぎて、
説明をしないだけだと思います。


家で練習していたとき、
娘は楽譜を見ないで鍵盤を
見て弾くときがあったので、

「なぜ、先生が鍵盤を見て弾け!と言ったか
理由はわかる?」

と娘に質問してみました。

すると、

「万が一、音を間違えて覚えていると
いけないから」

という、答えが!


それで私は

「それは、違うよ。
ブラインドタッチで弾けるようにするため」

と話したら、娘は驚き!


いや…半年前くらいにも、話したやん…

と心のなかでツッコミを入れましたが、

教えた方は覚えていても
教えられた方は忘れていること
ありますから。

教える方は、すでに知っていることを
教えてるから、忘れないけど

教えられる方は、新しい情報を
次々と教えられるから、
そりゃあ、全部は頭に入らないわな、と。

だから、何回も手を変え品を変え、
教えるんですが…。

覚えてないことを
責めたりバカにしたりしず、
何度も教えるしかない。

教育って、実はすごく地味でコツコツな作業の積み重ねだったりします。




話を戻します。


楽譜を見て弾く、というのは、

別の視点からすると

鍵盤を見ない、ということ。


なぜ、鍵盤を見ずに弾かなきゃいけないか?
というと、
手が無意識に、鍵盤の間隔を覚えて、
スラスラ弾けるようにしてほしいからです。

簡単な曲ならまだしも、

モーツァルト、ましてやショパンの曲に
なったら、
鍵盤見て弾いてたら間に合いません。

手が無意識に動かないと、
あのスピードや、音の動きは
出せません。
とんでもなく音がとびますから。


楽譜を見る癖をつけておくと、
楽譜を読む速さも身に付きます。

楽譜を一瞬で読めないと、
たいがいのクラシック曲は
弾けません。

だから

楽譜を見て弾くことは大切なのです。




よく
「楽譜を見ないで、覚えて弾けるなんて
すごいね!」
と相手は善意で誉めてくれることはあります。


それを言う人は
音楽演奏をあまりやってない人が多いですが
中には、演奏はできる人もいます。

演奏はできるし、楽譜もバリバリ読めるけど、
自分がどうして、こんなに美しい音を出せるのか?のカラクリをわかってない人も多い。

これはつまり、「できること」と「教育できる力がある」は、イコールではない、
ということ。

勉強でも同じ。

有名難関大学出身の人が
全員、先生として素晴らしいわけじゃない、
のは、そういう理由です。


もちろん、「できないままの人」は
「教育力はない」です。

でも、「できない人だったのができるようになった人」でかつ、「なぜできなくて、そして、
どうしたらできるようになったのか?」の
努力の軌跡を覚えている人は
教育力がある可能性は高いです。
ただ、そのときの分析が間違ってると
ただのスパルタになってしまいますが…。


「できる人」でも、分析力や類推力があれば
教育力もあると思います。


このあたりは、すごく難しいですね。



音楽だけでなく、
勉強でも、
「何でもかんでも先に覚えて、何も見ずに
解くことできる人」

より、

わからないことは調べたり、
辞書をひきながら解いていく人の
方が結果的に、
できるようになることが多いです。

とくに、
社会や古典や英語のリーダーやグラマー。


ではでは、明日もまた更新できるよう
がんばります!