「自宅で保護者がお勉強教える方法 ~ごじたくーる~」最終回 | 「育児書にない!」~ASD母子の育児&お勉強&歴史の授業~

「育児書にない!」~ASD母子の育児&お勉強&歴史の授業~

ASD(自閉症スペクトラム)当事者で、娘もASDである、元社会科塾講師のセザール=れくす、が描く、「ASDのお子さん向けの受験勉強についてのブログです。
育児についての話や不登校の娘への対応の話、自分自身の生き方についても語ります。

「ごじたくーる」最終回です。

学校再開して
「いらないよ、もうこのコンテンツ」と
思われる方もいらっしゃると
思いますが
私は
「学校に行けない」のが

新型コロナ対策によって
学校そのものに通えない

という全体的な状態だけでなく

身体的な問題で、
集団生活を苦痛に感じて、
いじめられて、
学校の教育方針に合わなくて…

等々、
個人的理由によって
学校に通えない

という方のためにも!

という想いがあってこのシリーズを
つくりました。
「個人的な理由」というと
「わがまま、なまけている」
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが
私はそう思いません

だって「不登校」の人たちって
つらそうじゃないですか!
それって
「学校に行ってないことを楽しい」
と思ってないという証拠です。
もしただのワガママなら
学校に行ってなくても
平気で外を出歩いたり
家庭内でもニコニコしているはず。

もちろん、本当に学校に行く必要が
ないと思って自宅にいる子もいますが、
罪悪感や劣等感で苦しむ子のほうが
多いと思います。

「学校に行って、他人をいじめている子は
ワガママでなく我慢強く、
その子達によって学校が怖くなった子が
学校に行けない子は
ワガママで我慢がたりない?」

そんなわけない
すごく理不尽!!


学校に行っていたら「勉強」して
身に付いた「知力」「知識」「技能」が

「学校に行けない」だけで
それを身に付けられないなんて
おかしいじゃないですかえーん


人は誰しも生まれながらの「権利(基本的人権)」を持っていて、
その権利のなかには
「教育を受ける権利」だってあります。

学校に行かない人は、その権利がない?!

学校に行くことって
宗教改革のきっかけに
なった免罪符みたい、
と私は思います。

「学校に行かない人は、
もしくは、他のスクールに行かない人は
教育を受ける権利はない?」
そんなわけない

そういう気持ちがあって、
この記事の最後のページを書きました。

⬇️⬇️⬇️







私自身は、学校でいじめられたし、
小学校の先生の迫害にもあいました。

いつ、不登校になっても
おかしくありませんでした。

でも不登校になりませんでした。

それは私が我慢強いわけではありません。

私は「一人でいる方が好き」だったから、
学校で一人でいても、さびしくなかったから、
それだけでした。

ただ、やはり、休み時間に一人でいるのは
なんか劣等感で苦しむので、
図書室に行ってました。

誰もいない図書室で
私はいつも本を読んでました。
歴史人物の偉人伝の漫画本が楽しくて
とくに
「モーツァルト」「ベートーベン」「シューベルト」などの作曲家の話が楽しかったです。
私は音楽教室に通っていたので
自分が弾いている曲をつくった人は
こういう人生を歩んでいたのか!とか
こういうことがあって、あの曲が
できあがったのか!とかわかって
楽しかったのです。


また一番衝撃に残った本に
歴史人物の伝記まんが「春日局」がありました。
そこに出てくる竹千代(徳川家光の幼年期)が
自分にすごく似ている気がして、
その竹千代に自分の人生をかけている春日局が
私さえ応援してくれている気がしたのです。

両親のお江の方と秀忠が
同級生や小学校の先生に見え、
春日局が自分の母に見えたのです。

「実母は
乳母の春日局が竹千代の人生にかけたように、
私の未来に、かけているのだろうか?
もしそうならうれしい。」

と感じたのです。

小学生向けの本なので

春日局をより良く描いてはいるし
「大奥」がなぜ誕生したのか?という
話も省略されるし、
徳川家光が将軍職に就いてからの
弟への対応や、農民やキリシタンの人々に
対する対応も書かれていなかったので、
今となると、
「歴史」でなく「歴史物語」なのだと
思いますが、
そのときは
春日局や徳川家康(家光の祖父)が
 自分の味方に感じたのです。


そのあと、誰も友達がいない状態で
よく行けたな、と思う修学旅行。
そのとき、行った法隆寺で
私は、なんというのだろうか、
「この空気(オーラ)が心地よいな」と
感じたのです。
なぜだかわからないのですが、
私は飛鳥時代の
「古事記」の世界と、
外来宗教の仏教が入り交じった空間が
とてつもなく落ち着くんです。

それはその後、どうしても
もう一回、飛鳥時代の空気に触れたい私は
親に頼んで、今度は
家族で行った明日香村。
そこで同じ感触を受けました。



これについては、前世?スピリチュアル?
という話になるので、
まあおいていおいて…。

でも、この明日香村に行ったとき
「将来、歴史に携わる仕事ができたらいいな」と思ったので、今があるのだと思います。

私がここで言いたいのは


もし私は
教育を受けていなかったら

こんなにも楽しくて
自分の生き甲斐にもなる世界に
出会えなかった、

ということになります。
でも、学校に行っていたこそ、とは
私は思いません。
得られるものもあったけど、
失ったものも大きかったから。


不登校になると、
教育が受けられないとなるのは
その子の将来にとって
行動を制限されるのでは?
と感じました。


だから、自宅で教育に触れられる機会を!
という気持ちで書きました。


私は勉強は学校でできたわけじゃない、
実母の家庭教師のおかげだから。

娘は幼稚園のとき不登校気味でした。
年中さんまでは
集団生活や先生の対応に違和感があり
行きしぶりはありましたが、
年長さんで不登校になったのは
同級生のいじめがきっかけでした。

幼稚園の先生に散々
「こんなに心が弱くては将来困るよ」
という予言脅しや
「みんなはできてるんだから、
努力が足りない」という
多数派は正義!な脅しをしてきて
もう親としては憤慨していました。




でも、「憤慨できる」というのは
自分の考えに自信がないとできません。
私は教育のプロであり
たくさんの生徒をダメにした先生を知ってて
そして、いじめを乗り越えてきたので
堂々と、幼稚園の先生は「間違っている」と
思えます。

でも教育業界の闇を知らない保護者の方だと
先生の言葉で落ち込んだり
自分や不登校になった子供を責めたりする可能性もあります。
「教育の機会」を「学校」に「人質」として
とられてしまうと、先生には逆らえません。

だから、「自宅でも教育できる!」とわかれば、人質は解放される。
それだけでも、親は子供をまもれるし、
とんちんかんな対応の学校にたいし
正々堂々と意見が言えると思います。


それで、この、ごじたくーるを書きました。

長きにわたり、
「ごじたくーる」ありがとうございました。

漫画版も描く予定なので
またよろしくお願いいたします。