思い返すと約10年前
セレブロのHPに何か役に立てないかと思い、文字を書くだけならとブログのコーナーを引き受けました。
当時、セレブロは圧倒的にマンパワーが不足しており、HPの更新もままなりませんでした。
外部の方がHPにきても、全く動いた気配が無いと、このチーム大丈夫か?そんな思いを持つと思います。
現に私も他チームのHPを見ても、一向に更新されないとそう感じました。
せめてブログだけでも決まった日にキッチリ更新されれば、その印象も大きくかわると考えました。
何か1つでも確りと決め事が守られる事が、このチームにとって必要とも考えて居ました。
その中で私に出来る事、それが毎週月曜日のブログ更新と、決まった時刻に送迎バスを走らせる事でした。
グランドの中は正しく興味深い活動が出来て居ましたので、運営も何か少しでも協力しよう、そんな事が始まりです。
以後10年間、私の都合で更新を止めた事はありません。これは、私の覚悟の表れと自負しています。狂気じみていたかも知れませんが、三男の通夜の時も更新しました。
そんな覚悟も綺麗に終われるうちに終る、余力を持って惜しまれる内に終る、それも私の美学です。

私にとっては最終回ですが、セレブロのブログが終る訳では無いと思います。私の担当が終るだけです。
何年か前から、終わらせるタイミングを計って来ました。
まず第一に、長く続けていると話題が無くなり同じ様な話題に片寄ってしまいます。
これは中々大変です。
次に、私がこの役割を担ったつもりでも、見方を変えると他の者が背負うべき役割を奪っている、そう思えるからです。
私が書くわけですから、当然私の周りの話題となります。昔ならほぼ全てを把握出来ましたが、今は活動の良くて半分、さらに記事はその半分程度です。数年前から、セレブロ広報としての役割は果たせていませんでした。特にジュニアの話題はほとんどありません。ジュニアユース、特に13周りが中心になってしまいます。
そして最大の理由は、このブログが持つ役割が時代と共に変化し、書き手と読み手の間に微妙なズレが生じていると感じるからです。
その最たる例は、ジェネレーションギャップです。
私の感覚は自分年齢プラスマイナス10歳位です。
昭和世代のコミュニケーション感覚では、伝わる物もうまく伝わらないかも知れません。
笑う所で笑われず流す所で怒られる、少なからずその雰囲気はありました。
書いている方は友達感覚でも、読む方は学校の公式文の用に理解さるようです。
SNS社会で当たり前に過ごして来た世代と、大人になってから知った世代とでは、その捉え方自体全く別なのかも知れません。
ブログにこうあった、こう書いてあった等の声も遠巻きに耳に入ります。
それは私個人の呟きと思っても、セレブロの見解と捉えられます。
そうなると、縛りも多くなり当たり障りの無い内容となります。
ならば文字に頼らず、写真や動画で十分です。
この時点で、既に時代に必要とされていないと言えます。

最初の頃は内輪だけのコミュニティーでした。
それでも長く続けるとそれなりに反応も増えて来ました。
3年位前のデータとして、月曜更新すると1日以内に1000人近い人が反応していました。週間で3000前後だったと思います。
私のモチベーションだったのは、多くの方から少年ジャンプと同じで楽しみにしてます、そう言われる事でした。初対面の方からもよく言われました。
何のテクニックもありませんので、ただ文字を羅列した殺風景な長文でした。
そんないい加減なブログを、楽しみにして頂き感謝します。
私が担当を降りると言うと、何か叩かれまくったり非難轟々の様に写るかも知れませんが、全くそんな事はありません。
私が綺麗なうちに終わりたいだけです。
確かに時には誤解も生みました。
文字には感情がなく、また温度もありません。ゆえに、傲慢にも見えたでしょう。
その一例です。
私は10年前から何度もこう表現しました。
保護者の努めは月謝と送迎のみ。
この表現に気分を害した保護者が多いようです。
ここに、双方の受取り方の違いが生まれます。
おそらく対面で私から言われると、気分を害する人はとても少ないでしょう。
私の意図は、それ以外何もやる責任は無いから気楽に居て下さいです。
しかし、受け手からするとそれ以外は黙って言う事を聞けともなるようです。
確かに必要以上に保護者が近づく事を好みません。
その理由は、保護者の組織が生まれるとそこに入れない人が出来ます。
仕事の都合で出れない人も居ます。
それが元でチームを辞める事もあります。
現に、親の都合で子どもを犠牲にするなど本末転倒。
ここまで説明すれば、上記の文言に批判する人は激減するでしょう。
当初からこれくらい丁寧に説明すれば良かったかも知れません。
自分の巻いた種ですが、近年、あの人怖い視線を感じます。
しかし、私の価値観はそこにありませんし、怖がられる人間も必要悪です。
もし私が死する時が来るとすれば、それは子ども達から怖がられたり嫌われたりする時です。
私の周りに子どもの輪が出来なくなったならば、もう私は不要です。
子どもの信任を得てこその指導者であるべきは、当然の事です。

私のブログに代わり、学生コーチたちがインスタグラムを始めたりしてくれて居ます。
今後は活動の様子はそちら等で発信されると思います。
今回の事は誰にも相談せずに私個人の判断です。
今後については未定ですが、不定期の投稿はあるかも知れません。
30分リフティングの投稿だけは、人に譲る気はありません。
引き時を知り、引き時を間違えないようありたいです。

老兵は死なず
ただ消え去るのみ

何処かに

私の引退のようになってしまいましたが、グランドには通常通り立ちます。
勿論13大会に向けてエンジン全開です。
ブログ担当を降りるだけです。
長い間お付き合い頂いた皆さん
ありがとうございました。
昔の方が調子づいて言いたい放題で、面白い投稿が多かったですね。


セレブロのHPからここに来た方には、サッカーやセレブロの活動とは全く関係無い話題で失礼します。
永くお付合い頂いている方は、もうその季節かとなるでしょうか。

今年の9.11日は7年前のあの日と同じ、雨続きの後で日差しが強く湿度が低いカラッとした晴天でした。
17時7分の日差しは、正にあの日でした。

今でも当時真っ先に現場に行った先生と、
現役深谷小学校校長は仏壇に手を合せに来て下さいます。
深谷小学校を中心に9月は命を考える学習を取入れて居ます。
とりわけ、深谷小学校から深谷中学校に移られた現校長先生は、我が事のように取組んでくださいました。
それでも、徐々に風化して行くのは仕方なく、むしろそれが自然です。
人づてに聞く事がありますが、同級生だったと思われる生徒が、人知れず手を合わせてくれる話を聞きます。本当に有り難いです。

私がこの時期にこの話題に触れるのは、今ある当たり前はいつ崩れるか分からないからです。
その経験をした者として、それを伝える義務があると思っています。
朝、どんなに忙しくてもイライラしても、怒った状態で子どもと別れないで下さい。
どんなに面倒でも、行ってきますと言って下さい。

おそらく、普段聞く事の出来ない話をします。
子どもを失って日にちが経過するとどうなると思いますか?
これはあくまでも私の場合の話しです。
残念ながら、徐々にですが記憶は薄れます。
痛みは激痛が襲う事は無くなります。
それは、痛みを受けない様に敢えて思い出さなくしています。
我が子の思い出を避ける事があります。
その答えは簡単で、いつもそんな事を考えていたら、到底まともな精神状態ではいられません。
人はそうして自分を守るのでしょう。
そう言うと随分残酷にも聞こえるでしょうが、それが現実です。
私達が出した答えは、死んだ命よりも生きてる命が大事と言う事でした。
正に極限だった時に、お母さんお腹すいたとの次男の言葉、その言葉を境に妻の母性のスイッチが入りました。
私は静かに噛み締めたり思い出したり出来ないので、その記憶をなるべく封印します。
しかし、一度その封印が解けてしまうと、何十倍もの痛みが襲う事になります。

そんな思いは、逃げられない者が仕方無くする事で、平穏な生活の人が考える必要などありません。
当たり前の、行って来ますと行ってらっしゃいを大切にして下さい

事故から7年
色々な経験をして色々学びました。
当時厳しい発言をしましたが、警察、検察、判事、我々に寄り添ってくれるのはお巡りさんだけです。
私には検察検事の正義は、民意とはかけ離れており歪みさえ感じました。
悪い事は悪いが通用するのは警察だけでした。
検察は公判維持と証拠能力の立証が優先し、判事は判例重視主義。
検察審査会制度はただのガス抜き。
審査会は立派で常識が通用しますが、その決定を受けた検察が自分の間違いを肯定などしません。
不起訴不当を議決した検察審査会には感謝しています。

ふっかちゃんシールの貼られた児童用ヘルメット。
このヘルメット配布の裏には、小学3年生の犠牲があった事を、頭の片隅に置いて頂けると幸いです。

土曜日はU15公式戦で、久々に選手を乗せてSFAフットボールセンターに行きました。
U15はこの会場が引き当たる事が多いてすが、私は久々でした。
実は私、この会場で勝った事がありません。
う〜ん、今回もまたでした。
流れの中からの失点は無く、セットから2失点。
DFとGKの連携ミスと言えるでしょう。
組織的連動
特にDF時にその弱点が表れるように思います。
バラバラ感は否めませんでした。
話は変わりますが、会場に向かうバスの中で選手に話しました。
旧騎西高校は、原発事故の避難所として活躍した場所だよな。
千人単位で避難した人が暮らして居たんだよな。
しかし、選手は?
そうなんです、彼らは当時の記憶は残って無い世代なんですね。
ワタシの話がにわかに信じられないようでした。
私にはついこの間の話しに感じますが。

昨日のU14の新人戦
何とも言えない負けでした。
狭くやってミスし、大きく広げられて失点。
あくまで印象ですが、早く狭くやろうと突っ込んで慌ててミス、そんな感じでした。
狭くやる事を否定はしません、むしろその道を選ぶべきと思います。
しかし、何でもかんでも狭くでは、自分の首を締めるような物です。
時と場所を選べばこそ、その威力が発揮出来ると思います。
後半から少しボールを持つ事で、こちらの時間帯が多くなりました。
その辺りに答えがあるのでしょう。

U13は合宿の成果が見えるようになりました。
まだまだこれからですが、出来るようになった事は評価します。
今後は、速く厳しい相手に何処まで出来るかの勝負です。



土曜日より、新13体験練習会が始まりました。


多くの選手が参加してくれましたが、こちらはまだまだ続きますので、もう少ししてから触れる事にします。
先週は大忙しで合宿の報告をしました。
急遽夕食を食べて帰る事になり、帰宅予定時間が遅くなりました。
21時過ぎに戻り、それからブログと合宿報告のtodayを書くとなると、流石に時間的に厳しくなるので、帰路途中の道の駅水紀行館から投稿しました。
そんな関係で少し急ぎ足な内容だったと思います。
今週は少し補足したいと思います。

TRメニューは例年通りで、ランパスが最大の目的です。
初日は親には堪えられない、2日目は親には見せられない、3日目は涙で見られない、そんな感じでしょうか。
しかし、この課した試練以上の物が帰って来ると思います。
3日目の動画をカンタが撮っていたと思いますが、何処かで公開出来るかも知れません。
その他のTRは楽しくやります。
今年はセンターリングシュートが盛り上がっていました。
2日目に藤原湖マラソンが開催され、誰も居ない山間のグランド付近は千人以上の人で賑わいました。
子ども達は休憩中にランナーを応援していました。
正直、遊びのような大会と想像して居ましたが、かなり本格的な大会でトップ選手の坂を下るスピードは驚きでした。
そんなラストスパートの選手が、子ども達の応援となるとみな大きく手を挙げてくれます。
さすがと思いました。
そんな彼らは、翌日自分達がその坂を下るとは思っても無かったでしょう。
合宿最終メニューは30分ラン。
今年はグランドを出て一般道を走りました。
グランドを出れば平らな所は何処にもありません。
行きは長い登り坂。
深谷駅東の中央陸橋くらいの登りのイメージです。
先に合宿した14.15が走ったコースで、殆ど交通量は無く安全上も問題無いコースでした。
登り坂の中間点付近で折り返し横山グランドまで戻ります。
トップで帰って来た学生コーチが、途中で大応援団が居たけど何ですか?と言っていました。
その後も帰った選手が、凄い応援だったと皆口を揃えます。
私は全く意味が分からず、折返し地点から戻ったカンタに聞きました。
カンタの説明で全てが分かりました。
折返し地点にカンタを待たせていましたが、時間の都合で30分以上1人で道端に立って居ました。
その姿を心配した近所の青年が、とうしたのかと声を掛けてくれたそうです。
カンタが合宿でこれから選手が走って来る事を説明すると、家族総出で応援グッズまで用意して大応援をしてくれたそうです。
選手みな本当に嬉しかったようで、さながらランナー気分を味わったようです。
こういった温かい触れ合いは、やはり地域コミュニティが強く残る場ならではですね。
多分、前日の藤原湖マラソンでも応援したのでしょう。

遠路、現地まで来て頂いた保護者も居たように見受けました。
本当は最終日のランパスや30分ランは見て欲しいです。
しかし親の心とは裏腹で、苦しむ姿を見られたく無いと言う選手の気持ちもあります。
私は保護者側の気持ちに近いです。

今回の経験は、選手にとって変化のきっかけになったと思います。
しかし、全員一律にそうなる訳でわなく、現実はやる子とやらない子の差がより開く事に繋がるのです。
それでも、例えあの3日目間だけでも乗り越えた自信が得られれば良しです。

ある選手のtodayでの言葉が響きます。
23名走りましたが、5~7位はジュニアでした。
この事実をどう見るのか、何を感じるのか?
そこにこの先が示唆されているように思います。
この合宿をどう活かすか
それは君たちしだいです。

本年度の合宿を20~22日の3日間、水上藤原で行いました。
初日は雨、2日目曇りのち晴れ、3日目は晴れでした。
40度の世界に居る我々からすると、格段に涼しい環境でした。
この合宿のテーマは、自分との闘いです。弱く逃げようとする自身との闘いです。
行ってきますから只今まで、全てが自己修練と位置付けています。
前段階の静岡遠征にて、ある程度の課題は上がって来て居ました。
しかし、それはそれでこれはこれ、私の目で判断しました。

私の合宿の代名詞と言えば、ランパスと最後の30分ランです。
30分×3日間、TRの始まりはランパスからと決まって居ます。
ここでは選手の本質が如実に表れます。
速い遅いは全く重要ではありません、自らの限界と闘いそこを突き抜けるかなのです。
全力ダッシュを30分間繰り返す訳ですから、楽なはずなどありません。
苦しい中で次の一歩を前に踏み出せるかなのです。
最初の5分で既に苦しみはMAXです。
そこからもがき苦しみ抜くと、15分辺りからランナーズハイの状態に入る選手が現れます。
自分と闘わない限り、決して踏込む事が出来ない領域です。
この辺の闘いは、正直、親には堪えられないと思います。
それでも3日間苦しみ抜いた選手は、やって良かったと言ってくれるでしょう。
みんな合格点の闘いを見せてくれました。
この合宿で最重要選手と位置付けた選手は、3日間毎日違うミスターXとやり切りました。
歴代で見ても最上位クラスの闘いでした。
ミスターxとは、セレブロの学生コーチ達です。
OBでもある彼らは、全てのメニューを選手と共に動いてくれます。
眼の前に最高のお手本が居る訳です、これ以上の環境はありません。
この、彼らの献身的な働きこそセレブロの財産です。
遠い昔に出来なくなった私からすれば、私の思いを忠実に具現化してくれる宝です。
私の思いは、私の言葉を聞いて育った選手は当たり前に理解してくれます。
私の経験上、同じ苦しみを共有した者は、年齢に関係無く結びつきます。
本当に有り難い存在でした。

生活の面に関しては、まだまだ傍観者が多いようです。
親には耳の痛い話しかも知れませんが、やや親の手が早すぎるように思います。
公共の場、集団生活、そんな言葉を当て嵌めると、周りに対する気配りが浮かび上がります。
今年は、出来る子20%様子見の子60%出来ない子20%という感じでした。
昨年は3分の1づつでした。
コロナの問題や家庭の都合等もあり、食に対しては強要しません。
しかし、スポーツをやる以上は最重要な問題である事は事実です。
私の立場では、これ以上踏み込みません。
多くの場合、食べられないではなく食べないに該当してると感じました。

今回、ジュニア組が初日と最終日に日帰り参加しました。
こいつらランパスも走るし30分ランも上位で帰って来ました。
最終日は苦しい事ばかりを承知でやって来ました。
みんなカッコ良かったですね。

今回、コロナ助成金で群馬県から2000円、みなかみ町から2000円のクーポン券を貰いました。
今、その券を使いステーキを食べて居るようです。
また、2000円分のお土産も買いました。
今回の補助を昨日まで知らず、宿の方から説明を受けました。
時間の関係もあり、子ども達の意見を集約して保護者の同意は得ませんてした。
お土産を楽しみにして下さい。


今回、悪かった事や出来なかった事に対して、それぞれ気付きを得る事が出来たと思います。
そして、これから秋に向けてこの成果が表れると思います。
皆で一つになる、そんなきっかけになったと思います。

大変で難しい中、送り出して頂いた保護者の皆様には心より感謝申し上げます。
少し強くなった我が子を楽しみに待って居て下さい。
もうじき出発します。